ウィッチストライク
大人の魔女って、なんか響きがいやらしい。
テレビのキャスターが語っていたのは、魔女が街に現れたということ。それも三人。だが、見つかっただけで捕まってはいない。
簡単な話だった。見つかったのはソラたちじゃない。目の前にいるこのおばさんと、その仲間二人だったという事だ。
あぁ。もうたくさんだ。瞑鬼はただ、ちょっと可笑しくて面白い日常を送りたいだけなのに。
派手な戦闘も、胸が裂かれる恋もいらない。普通で異常で、毎日微妙に変哲があって、それでいてみんなが笑う。そんな簡単な世界を望んでいるだけなのに。
瞑鬼の目が濁る。流れる血は泥水へ。歪な模様の魔法回路が浮かび上がった。
目の前にいる、敵と思しき人物。奇しくもアヴリルと同じ名前を冠する女を、淀んだ双眸で睨みつけ瞑鬼は猛る。
「……おわかりですわよ。クソババア」
全力で走っていたせいか、瞑鬼の心臓はエイトビートのリズムを刻んでいる。夏の夜だけあって、身体は汗だらけだ。
激しい動悸が胸を痛め、管を流れる血液の奔流が勢いを増す。全身の筋肉が苦痛を訴え、脳が急速な休息を要求している。
けれど、瞑鬼は目を瞑れなかった。現実から逃げられなかった。
相手が名乗ったその名前。リストラストはアヴリルのファミリーネームで間違いない。だとすると、考えられるのは親戚か直系か。
出会ったのが瑞晴だったなら、恐らく話を聞いただろう。急いでいても立ち止まって、わざわざ海を越えてきた親にババアなんて言わない。
けれど、瞑鬼は知っている。目の前にいるこの若作りが、決して味方ではないということを。マーシュリーの目が嗤う。
「アヴリルたちの居場所を教えてくれませんこと?わたくし、迎えにきたのですわ」
どんなトンデモご都合な科白を聞いても、不思議と瞑鬼は冷静だった。疲れ焦っているのは身体だけで、頭はいたって冷えている。
瞑鬼を見据えるその穢れた両眼は、一応は母親のそれだった。
魔女というのは、単性生殖で子孫を増やす種族。一年に一度妊娠期があり、その時期に栄養を過剰に摂取すると身籠もるという繁栄方法だ。
ソラから聞いた話では、だからこそ子供を大切にするらしい。手塩にかけて育て、芸術品と言っていいほどの愛情を注ぐそうだ。
「……黙っていてはわかりませんわ。貴方、知っているんでしょう?」
おっとりとしていて、まさに親子と思わざるを得ないマーシュリーの目。体の作りも声も、何もかもが肉親であることを告げていた。
だが、瞑鬼は見抜いている。外側ではなく、内側の性質を。あの魔女が放っているオーラは、瞑鬼が何度か感じたものだった。
明美と同じ匂いがする。それが最大にして最高の、言えない理由だった。
魔女は子供を愛する。だから探しに来た。
魔女は子供に全てを注ぐ。だから、その子供が自分の想いと違った時、自分の手で処分する。
「……あの世で教えてやる」
そういった時、すでに瞑鬼の身体は戦闘モードへと移行済みだった。魔法回路が開き、全身から漆黒の粒子が溢れ出している。
構えていたのは、瞑鬼第一の魔法。勝手にフラッシュボムと名付けた、光の爆弾だ。
辺りには他に人はいない。街灯もないこの夜道では、虹彩は開ききっているはず。そんなところに太陽のごとき光を撃ち込まれたら、とてもじゃないが立っていられないだろう。
相手が構えるよりも早く、瞑鬼はありったけの力で距離を詰めてゆく。目の前のババアはとっくに三十路を過ぎた魔女。どんな強力な魔法を持っているかは未知数だ。
目標まであとあと一歩。魔力の桁が似たような二人は、反射速度も似ているはずだ。なのに、マーシュリーは悠然とした態度で突っ立っている。
不意に、その見惚れるほど美しい肌に、歪な紋様が浮かび上がった。そこから漆黒の粒子が溢れ出す。
警戒する間も無く、瞑鬼はマーシュリーの眼前まで迫っていた。あとは両の手に力を込め、相手の目を潰すだけ。
そう、生じていた差は決定的だった。それまでは。
「ばん」
瞑鬼の耳を、ただの科白が通過した。激しくもなく、また何か言霊が込められた様子もない。本当に、ただ子供が鉄砲で遊ぶ時のように。
だが、異変はすぐに瞑鬼に降りかかる。思い切り振った両手が、ぶつかる事なく空を切ったのである。
おかしい。何故だろう。瞑鬼は不思議に思う。あるべきはずの場所に、左手がなかったのだから。
「…………はっ?!」
動揺を隠せない瞑鬼。身体のバランスがおかしいと悟ったのは、刹那あとだった。
「あっ!っっっづゔ!」
気がついてしまった。分かってしまった。空振りしたのも当たり前だ。何せ、脇腹から左腕にかけてが、大砲で吹き飛ばされたかのごとく消えていたのだから。
全身を裂くような痛みが一瞬にして脳内を駆け巡る。気を抜いたら死ぬようなショックに、瞑鬼は叫んで耐えることしかできなかった。
霞む視界に映るのは、右手の人差し指を突き出して、ピストルの形を作ったマーシュリーの姿だった。
痛みを堪える傍、瞑鬼は冷静に分析していた。
今しがた自分の半身を奪い去った魔法。強力すぎるその正体を。
「あらあら、思ったより根性ないのですね……」
月に映えるその顔を、瞑鬼は一生忘れない。記憶が抜け落ちても、魂が覚えてくれそうだ。
魔法回路を全開で開き、なんとか痛みを堪える。
純白のドレスが星空の光を吸い取って、夜の闇の中イヤに目立っている。
しかし、その光景に瞑鬼は違和感を覚える。仮にマーシュリーの魔法を、超強力な弾丸を打ち出すものだとすると、今頃ドレスは返り血で真っ赤のはず。
それに、周りの建物や地面にも異変はない。抉れた形跡も、ダメージを帯びた痕跡すらない。
冷静ではないが、瞑鬼は状況を観察できていた。結びつかない点と点を苛立たしく思う。
両手が揃ってない以上、フラッシュボムは使えない。魔力を吸ってないから、第二の魔法も同じ扱いとなる。しかし、匂いだけではどうにもならない。
なんとか次の策を考えていると、いつの間にかマーシュリーが目の前まで迫っていた。その手には、大凡育ちの良さなど微塵も感じさせない物が握られている。
今時ヤンキーでも使わない。メリケンサックという全時代の遺物を、マーシュリーは振りかぶっていた。
プロ相手に素人場所はどこまで通用するのか。