始まりの夜
日常はいつか崩れるのだから、日常という。
翌日の仕事は順調で、瞑鬼も朝からばりばり働いていた。五時に鳴ったアラームを一瞬で止め、閉じる瞼を気合いで開眼。気付のつもりで顔を洗い、体操服に着替えレッツトーニング。
何日間も続けていると、次第に体力がついてきた気もする。初めはひいこらだったのが、今では10キロなら朝飯前くらいにはなっていた。
一時間ちょっとのトレーニングを終え、帰宅した直後に朋花を起こす。まだ頭が動ききってない事など御構い無しに、適当に朝飯を叩きつける。
一通りの準備が終わってから、ようやく瞑鬼のシャワータイム。さっさと済ませて、眠りこける朋花を叩き起こす。
手伝いを求むも、今日は朝から友達と予定が入っているらしい。八時にどっかに集合で、それからショッピングとのこと。実にマセた小学生である。
朋花が遊びに行くのを見送ると、瞑鬼は急いで倉庫へ向かう。早朝に来たダンボールから品出し。検品を済ませ店頭に並べ、時間と同時にシャッターを開ける。
それからはいつも通りの業務内容を、淡々とこなすだけだった。客が来れば接客し、在庫が切れれば補充する。
お昼になると、一斉にみんなが帰宅してきた。瑞晴が森から帰ってきて、朋花は満足げな顔でカバンを膨らましている。
陽一郎も帰ってきたことにより、桜家は完全に再始動となった。
昼飯を適当に済ませ、仕事は四人体制にチェンジ。
「……遅れてすまん。ちょっとゴタゴタしててな」
「……別にいいですけど、何してたんですか?」
丸一日陽一郎が家を空けるのは初めてだった。いつもは夜にいなくなる程度だったのが、昨日は夜通し消えていた。
再婚相手でも探しているのかと思っていた瞑鬼だったが、陽一郎に於いてはそれは考えられないことだと悟る。帰ってきた直後に仏間にいかれては、とてもじゃないが疑えなかった。
酒臭くもないので、飲み仲間とのナイトフィーバーでもないらしい。
夜には頻繁に消える陽一郎だが、一体どこで何をしているのか。瑞晴曰く、前々からとの事だが、この愛娘を置いて優先すべき事項があるとはどうしても思えない。
「…………陽一郎さん、いつも何してんだろうな」
何気なく呟く瞑鬼。レジでぼーっとしていた瑞晴が反応する。
「……そうだねぇ……。私的には、友達と遊んでるって線が有力かな」
「まぁ、そりゃストレスも溜まるわな……。こんな事になって、投げ出さないし、凄えと思うよ」
「小さい頃からそうだったんだよね。お父さんとお母さんが交互にいないって感じだったよ。まぁ、片方いれば十分だったんだけどね……」
店先を眺める瑞晴の顔は、とてもじゃないが過去を振り返って懐かしんでいる顔ではなかった。何だか、後悔しているような、心残りがあるような、そんな顔である。
狭い家の中に四人もいるというのに、不思議と音はあまりなかった。仕込み場に篭った陽一郎は出てこないし、掃除を命じられた朋花に至っては何をしているかわからない。
瞑鬼たちも、ただ黙って外を見ているだけだ。客足は細く、会話もない。甘ったるい果実の香りが、瞑鬼の肺を夏色に染めていった。
「……ねえ瑞晴、今日って海祝いのお祭りだよね?」
ぼけぼけとしていたレジ側に、突如襲来した朋花。右手には固定電話の子機を握っている。
掃除をしているかと思ったら、友達と電話をしていてらしい。
「……あぁ、確かに今日だったね」
「ねね、一緒に花火見よ?ここからでいいからぁ〜」
「あぁ……、ごめんね。今日は千紗とご飯食べに行くから……」
頭をかきながら申し訳なさそうに謝る瑞晴。一緒に見れないと知るや否や、朋花の顔が露骨に曇る。
瞑鬼は一人、話題には入れない寂しさとの格闘中。しかしここで変に割って入っては、朋花にロリコンと罵られるのが関の山。
この県には、夏どきにそこそこ有名な三つの祭りがあった。その内の一つが、今日やる海祭り。バイトしていた付近の海でやる、鎮魂祭である。
そのほかにも陸祭りと空祭りがあり、それらが大体7月の終わりから8月の中頃にかけて、順々に行われるのだ。
露天も少々。精々温泉街あたりが少し賑わう程度の、本当に神を祀るだけの祭りだ。
地元民は現地へは行かずに、家から花火を見るというのが伝統だった。
「あ、神前くんと一緒に見たら?」
「……うぇ〜〜」
瞑鬼を目の端に止めたかと思うと、そのまま瑞晴が去って行く。掃除機の音が聞こえ始めた。
夏祭り。夏休み。学生気分でいられるのも、いったいいつまでだろう。そんな中学二年生のようなことを考えながら、瞑鬼は通りの路を見る。
あっという間に日は沈み、仕事終わりの午後六時。片付けをしていると、瑞晴が玄関を後にする音が瞑鬼の耳に入る。
千紗と一緒に晩御飯食べてくるから、今日はいらないとの事。つまりそれは、ソラたちの家へ行くことを示している。
商品棚を磨く瞑鬼に一声かけ、瑞晴は夕日へと向かって自転車を漕いでいった。今からだったら、帰る頃には空が真っ暗なのは間違いない。
迎えに行くという適当な覚悟を決めて、瞑鬼は店のシャッターを降ろす。
家に戻ると、今日は珍しく陽一郎が晩御飯を作っていた。
「……珍しいですね。陽一郎さんの晩御飯」
「あぁ……。そういや結構作ってなかったってこと思い出してな。やってないと腕が落ちるだろ?だから今日はな」
「私は瞑鬼と違って好きだよ。陽一郎のご飯。味濃いけど」
「…………俺だって嫌いじゃねぇよ」
軽く朋花と牽制し合う。1日の恒例行事を終えると、次に瞑鬼は家庭という職場に鞍替えだ。
風呂を洗って、洗濯機に洗剤をぶち込む。後は全員が終わったらスイッチを押すだけ。
漂ってくる親子丼らしき匂いにつられ、足は自然とリビングへ。瞑鬼の予想通り、食卓には三人前の親子丼が並べられていた。
瑞晴が作るのより結構濃いめのそれを、ゆっくりと口に運ぶ瞑鬼。一風変わった口当たりだが、意外と癖があってやめられない。
食べ終えた後は食器の片付けと、明日の仕入れの確認。さっさと全部済ませて、ぬるい三番風呂で疲れを癒す。
八時を過ぎても、まだ瑞晴は帰ってきていなかった。携帯を見るも、連絡はなし。少しばかり反抗期らしい。
ラフなジャージに着替え、テレビの前で親父座り。ビールを勧めてくる陽一郎を無視して、瞑鬼と朋花は愉快痛快なアニメに釘付けられていた。
内容は、魔法使いの子供が里を抜け出して普通の暮らしをするという、いかにもなテンプレ話。作画の綺麗さと脚本の丁寧さが人気の作品だ。
「……なぁ、お前的に魔女ってどう思う?」
安心の回。