後に長い一日だったと言う。
明日からは不定期かも。
ふぅ、と一息ついて椅子に腰掛ける瑞晴。一時期消えていたはずのお母さんオーラも、今では完全に戻っている。
「……そろそろ帰るか?」
「……だな。これ以上は明日がキツそうだし」
そう言って、瞑鬼と夜一は帰り支度を始める。
その様子を不思議に思ったのか、何の気なしに千紗が訊ねる。
「あれ?夜一ら泊まってかんの?」
「……あぁ。実は明日朝から試合があってな」
「……そう」
「…………悪い」
口では付き合ってないと言っている二人だが、瞑鬼たちから見たら完全なカップルだ。リア充爆発しろの科白を言っても、今なら許されるくらいには仲がいい。
夜一曰く、明日格闘技の模擬試合があるらしい。朝から昼までだが、ここから行くにはきついとのこと。
瞑鬼に至っては、明日も普通に開業が待っている。学生と違って夏休みが一ヶ月もない社会人にとって、この期間は地獄と呼べる。友人たちは夏を満喫しているのに、自分だけが働くと言う環境は十六歳には辛すぎた。
商店街の朝は早い上に、明日は瞑鬼一人での切り盛り。何かと多忙な店長が不在である以上、サボるわけにもいかないのだ。
女子高生組二人も、流石に今回は引き止められなかった。せめてもの友情として、玄関まで見送るのがせいぜい。そこから先は、二人には別の使命が課せられる。
瞑鬼は自転車で。夜一は自分のバイクで、それぞれ帰路につく。夜一のバイクの後ろには何眠りの朋花が載っている。着替えも無いし、朋花には明日瞑鬼の手伝いという重大な役目がある。
それならわたしが。そんなことを瑞晴に言われても、瞑鬼がイエスと言える訳がない。あの家に、二人きりで一晩など、瞑鬼の理性が何度プッツンするだろう。
ネオンもほぼ消えた夜の街を、二台の二輪車が音もなく過ぎて行く。瞑鬼の速度に合わせて、夜一もバイクのスピードを落としてくれている。9時過ぎにはほとんど車通りのない道だからこそできる芸当である。
森の匂いと、肌にまとわりつく夏の空気。夜に出歩くのは気持ち良い。見えるのはランプの先だけで、聞こえるのは動物たちの鳴き声のみ。
十年以上もこの街で過ごしてきたずなのに、そのどれもが瞑鬼には新鮮だった。
「……悪いな、夜一」
とろとろと隣を走る夜一に一声。前を見たまま話しかける。
「……何がだ?千紗と風呂に入れなかったことなら、別に怒ってない。また今度チャレンジする」
「…………がんばってくれ」
恒例になりつつある、夜一の返し。考えれば、これだって二ヶ月前までは考えられなかったのだ。
元の世界の夜一のことは、正直よく覚えてない。瑞晴の周りにいつも居たのは記憶にあるが、その喋り方も、行動も、瞑鬼の脳裏には保存されていなかった。
商店街が見えてくる。田舎の腐った店たちだが、やる気だけは一人前だ。まだ電気がついている店がちらほらある。
夜一の家とは逆方面なので、ここで今日は解散。朋花をバイクから降ろし、今度は瞑鬼の自転車へ。
半寝ぼけなのか、以外にも瞑鬼の腰に手を回してきた。小さな手が、しっかりと身体を掴む。
例の河川敷で、二人は別れた。瞑鬼にとっては忌々しい大川だが、悔しくも今日は美しい眺めが広がっていた。橋の上から見下ろす川は、月の光が照り帰って所々輝いている。
「…………口は堅いと信じてるぞ」
「……心配するな。あんな楽しそうなこと、口外するものか」
暗闇の中で、お互いが笑い合う。つり上がった口元だけが見えた。
特別製の電動バイクが、静かな音で去って行く。
スクーターのような形だが、本人曰くバイクらしい。乗り物に疎い瞑鬼にはどうでもいい違いである。
去りゆく姿を見ていると、なんだか瞑鬼も免許が欲しくなってしまう。高校の同級生が、マイバイクでどこでも行く。学校では禁止だとしても、どうしても憧れてしまう自分がいた。
手動二輪にまたがり、瞑鬼もペダルに力を入れる。いつもより少しだけ重たいタイヤが回り出す。
家に着いたのは、すっかり暗くなった10時近くだった。本眠に入りつつある朋花を担ぎ、不器用ながらに鍵を解放。リビングに寝かせた後は、急いで風呂をはる。
まるで父子家庭のようなその姿に、瞑鬼は自分で自分を笑いそうだった。異世界に来た当初は、こんな事になるとは夢にも思っていなかったが、案外やってみるとそれほど苦でもない。
魔王がいて、魔女の亡命なんていう非現実イベントの連続なのに、やっている事は日常と変わりない。色々と不安要素は尽きないが、それでも今はこの日常を壊したくなかった。
朋花が風呂に入ったあと、急いで瞑鬼も身体を清める。明日の仕込みを確認し、一応農家にも一報を。瑞晴のおじいちゃんが、半寝ぼけで対応してくれた。
風呂上がりのアイスを食いながらリビングの机に突っ伏す朋花。背中やらパンツやらがチラチラと視界に映るも、全く瞑鬼は反応しなかった。
遠慮なく叩き起こし、何とか自力で部屋まで行かせる。扉が閉められたことを確認し、ようやく瞑鬼は自分の部屋へ戻ることができた。
真っ暗な部屋の中で、蹲っている二つの毛玉。腐った主人の帰りを待っていたら、向こうの世界に連れて行かれたらしい。
月明かりだけを頼りに、足元に注意しつつベッドにダイブする瞑鬼。1日分の疲れがどっと出る。
残った力でアラームだけをセットして、瞑鬼は深いまどろみへと落ちてゆく。
高校生でバイク。いいですね。憧れますね。