地獄おわって天国へ
死ぬことに対して危機感を覚えなくなったら、それはそれで怖そう。
何か柔らかいものに包まれている。頭がふわふわとして、まるでマシュマロの枕に埋めているような感触。
ほのかに香る潮の匂いにどこか懐かしさを覚え、神前瞑鬼は目を覚ました。やんわりと開けた視界に映るのは、木の板で作られた天井と思しきものだ。
ここはどこかと思い、起き上がってみようと試みるも、まだ身体に力が入らない。全身が筋肉痛という名の悲鳴をあげている。
「…………っ!」
ふと、顔に何かが落ちてくる。二つ部の水滴が瞑鬼の頬を伝って、真珠の道を形成した。
目に映っているのは、何もない天井だけ。けれど、頭の上の方からふと甘い香りがしていた事に気付く瞑鬼。それと同時に、上に何かの気配を察知した。
「…………瞑鬼さん……」
「……ソラ?」
はっきりと耳が働く。聞こえて来たのは、柔らかでかつ童貞を殺すような声。その声の主であるソラの膝枕で、瞑鬼の頭は支えられていた。
その事実に気づいた途端、なんだか瞑鬼の耳が赤くなってしまう。その様子に気づいたソラも、足が痺れたのか、えへへと愛想笑いを浮かべる。
まだ寝ていたいという気持ちを抑え、瞑鬼は体を起こす。どうやらベッドの上で寝ていたらしい。
周りにはソラ以外の影はない。部屋の内装を見渡し、ここは吉野家であるとの結論が出た。
瞑鬼さん、とソラが呟く。声は震えていて、その上目の端には涙の跡もある。瞑鬼は思い出した。自分はソラに心臓を貫かれたのだ、と。
しんと静まり返る部屋。聞こえるのは、ソラが鼻をすする音だけ。窓を閉め切っているからか、昆虫のオーケストラは演奏停止状態だ。
「…………んなさい」
瞑鬼の目がソラを見る。その視線に反応したのか、ソラの瞳に水滴が浮かび上がった。
気まずい空気を感じ取り、瞑鬼はなんとなく部屋を見渡してみる。壁掛け時計が告げる今の時刻は午後9時。実に約三時間での復活だ。
何かを言わなくては。そんな気持ちは十分すぎるくらいにある。けれど、何を言っていいのかわからなかった。
相手はつい何時間か前に自分を殺した女の子。それも、人間界にいるのはタブーなはずの魔女だ。普通に考えたら、怯えて会話なんて成立しないだろう。
だが、残念な事に瞑鬼に一度きりなんてルールはない。生き返るのだから、多少部が悪い賭けでも乗りたくなってしまうのだ。
「…………ごめんなさい」
ただソラは瞑鬼の顔を見て、今にも泣きそうな顔で謝っている。いや、もう泣いていた。
「心配すんな。俺は死なん」
笑いの一つでも起こそう。そう思って、瞑鬼が出した最大限の冗談がこれだった。
けれど、返ってきたソラからの反応は、瞑鬼が予想していたのとは随分と違っていた。
「ごめんなさいっ!」
ベッドの淵に座っていた二人。その片方のソラが、瞑鬼めがけて全体重を乗せてきた。そのまま抵抗する間も無く、瞑鬼は一人用の小さなベッドに押し倒される。
ソラは瞑鬼の腰に手を回し、ぎゅっと握りながら泣いている。ごめんなさい、と何度も口にしながら。瞑鬼は人生で初めて、女の子を泣かせてしまった。
ソラの体温を感じる。女子中学生の身体は中々に暖かく、クーラーが効いている部屋だと丁度いい気持ち良さだ。
気恥ずかしさと戸惑いとで、瞑鬼は動揺を隠せないでいた。しかし、ソラは手を離さない。安心してなのか、それとも後悔してなのか。ただ瞑鬼に謝っていた。
初めて間近で感じた、女の子の涙。人は泣くときは震えるし、声だって裏返るらしい。瞑鬼にとっては新発見だ。
だからなのか、瞑鬼の両腕は自然に動いていた。
これ以上この状態を維持するのは理性的に危険だと判断した。それなのに、右腕がソラの背中に回される。
「…………安心しろソラ。俺は生きてるぞ」
「……でもそれは、魔法で生き返っただけじゃないですか。私は確かに瞑鬼さんを……。それに、絶対とは言えないって瑞晴さんが……」
瞑鬼が何を言っても、ソラは自責の念で押しつぶされそうになっている。ここで、お前のせいじゃない。俺は許す。なんて言っても無駄だということくらい、蘇りほやほやの瞑鬼だって理解できる。
一瞬だけ考えて、瞑鬼はこの場を抑える行動を思いつく。勇気も度胸もメンタルも、今は用意している暇なんてない。だから直行だ。
「…………でも、俺はここにいる」
言葉を口からこぼすと同時に、瞑鬼は両手でしっかりとソラの身体を包み込んでいた。瞑鬼にしがみつくように抱きつくソラと同様に、腕に力を込める瞑鬼。
決して大きくはないが、形も感触もいい胸が、瞑鬼の心臓あたりに押し付けられる。瑞晴と比べても、どちらかと言えばソラの方が大きいかもしれない。
「これで俺は対価を得た。可愛い女子とのハグなら、一回くらい死んでも構わんさ」
「…………なら、瞑鬼さんには一生分のハグ権をあげます」
そう言うと、ソラは回した腕により一層の力を込めた。瞑鬼の熱を実感するように、自分で鼓動を確かめるように、しっかりと抱きついている。
最高の気分に瞑鬼が浸っていると、ふと下の方から音がした。何人分かの足音と思われるそれは、段々と瞑鬼たちのいる部屋まで近づいてきて、丁度ドアの前で歩みを止める。
こんこんと扉がノックされ、そのままがらっと開かれる。瞑鬼の目に映ったのは、寝巻き用のジャージを着た瑞晴の姿。いつもの通り、髪は肩あたりで結ってある。
その後から出てきたのは、海の家のTシャツを装備したアヴリルとフィーラ。そして三人の目は、瞑鬼たちのいるベッド一点に集中している。
齢15の少女と、目が濁った高校生が、ベッドの上で抱き合っている。そんな異常で不浄な空間を、六つの目が凝視する。肝心のソラは、突然の来訪者に気づいてない様子。
ヤバイ。本能がそう告げる。けれども、瞑鬼には上に乗っているソラを退かせるだけの話術が思いつかない。
瞑鬼の視線と、瑞晴の視線が空中でかち合う。どこか冷たささえ感じさせるような瑞晴からの見えないメッセージは、瞑鬼が変態であると言いたげだ。
何秒か経っただろうか。不意に、アヴリルたちが腹から声を出す。
「良かったですわぁぁぁー!!」
「……ダイビング」
じっと見ていただけのはずだったのに、気がつくと瞑鬼は三人の女の子に腕を回されていた。天国といっても差し支えない状況に、瞑鬼の頭は爆発寸前になる。
はい。と言うわけで、今回はあれです。ご褒美回ってやつです。
鬼辛い思いしたんだから、これくらいはいいよね……?