心配ないと言ってくれ
ソラ?カラ?はてさて、それは一体なんなのか。
ゆっくりとした足取りで、ソラが男たちに近づいて行く。もうこの場にいる誰もがソラを止められないのは明白だ。
腕を切られた大学生が魔法回路を展開。先ほどの魔法で、ソラの攻撃を防ごうとする。空気を固める魔法の中でも、そこそこの強度であろうあの魔法は、生半可な攻撃では壊せない。
しかし、結果は残念にも無意味となった。無色透明の盾は、ソラの魔法の威力を落とすことも叶わずに切り裂かれる。
ここまで来たら、瞑鬼ももう一人の大学生も、ソラの魔法を理解し始めていた。空気を切れるのは、同じ空気しかない。それが、瞑鬼の結論だ。
恐らくアレは、空気を刃にする魔法。それを飛ばすのも風力となると、風を操る力なのかもしれない。
大学生の表情が苦痛に歪む。反撃の気をなくしたそいつの横を悠々と過ぎ去って、アヴリルに手を伸ばすソラ。差し出された右手は、金髪ピアスの血で濡れていた。
「……カ、カラ……」
アヴリルが呼んでいる名前。あれが今のソラの名前なのは、傍観するだけの瞑鬼にも理解できた。考えるに、ソラの中には二人の人がいるのではないか。
アヴリルが手を伸ばそうとしたその時、ソラの視界の端に人影が伸びる。最後に残された大学生が、玉砕覚悟でナイフを振り上げる姿が目に映る。
今度は手を動かすこともなく、ソラの勝ちが決まった。風の刃が空を切り、大学生の皮膚を剥ぐ。身体中に無数の切傷を作られ、大学生の顔は蒼白一色に染められた。
まだ辛うじて動ける体を引きずって、二人は這うよう去ってゆく。金髪ピアスはついぞ動かなかった。
「……匂いがする。あと一人」
「待ってください!その人は……!」
アヴリルの必死の制止も無視して、ソラが瞑鬼との距離を詰める。一歩踏み出されるたびに、瞑鬼の中にはある感情が芽生えていった。
明美にやられた時にも感じた、確実に死ぬという感覚。確かな死が歩み寄ってきている。だが、頭で理解しても体は動いてくれない。
ぼこぼこに殴られた頭は痛みを訴え、脚は二つ揃って大爆笑。力を入れようとしても、うまく立つことができない。
「……私はカラッポ」
自身の周りに空気の刃を舞わせながら、ソラが呟く。
足りない脳を必死に回転させ、瞑鬼は考える。この場を納める方法を。ソラを落ち着かせる方法を。
状況的に考えて、あの姿はぷっつんしたか二重人格かという所。発動条件は、恐怖心か危機感あたりであることは間違いない。そしてアヴリルと話をしていることを見るに、完全に理性が飛んだという訳でもないらしい。
大学生に対する冷静な態度と、人の話を聞かない耳は健在なようだ。
「…………だから埋めなくちゃ。何がいいかな?」
一番気になるのは、ソラの正体だ。しかし、それはもう殆ど瞑鬼の中で結論づけられている。
今のソラの様子と、ぴったり一致する人物を瞑鬼は知っている。
頭の中から離れてくれないくらいに、鉄板に残った焦げの如くへばり付いている。
それは、小針明美という女。あるいは、魔女と言った方が正しいかもしれない。確かに、三人は魔女特区出身だと言った。人間であるとは言ってない。
そして、魔女が求めるもの。十五歳になった魔女が、人間界にくる目的。それはーー
「魔法回路……でいいや」
気がつくと、もうソラは瞑鬼の目の前まで迫っていた。手を伸ばせば、簡単に届いてしまうくらいの距離に。
近くで見たらわかるが、やはり魔女の魔法回路は太くて分厚い。三回死んで魔力が増えた瞑鬼と比べても、遜色がないくらいに可憐で歪な神経。
ソラは笑っていた。夕日に映えるその笑顔は、何度見てもやはり可愛らしい。目も鼻も口も、全くソラのそれだった。
ここから戦闘体制に入ったとして、勝てる確率はどれほどか。魔力はまだまだ残っている。その気になれば、三つの魔法の三連コンボでもかませるだろう。
しかし、瞑鬼はそれができない。ここで瞑鬼が彼女たちを倒してしまったら、彼女たちがどうなるか。いくら瑞晴と瞑鬼が説得したところで、どこかへ去ってしまうのは確実だ。
そして、この世界は味方なしで生きて行けるほど甘くない。どこに頭のおかしい魔王軍が潜んでいるかもわからないし、いつまたソラのもう一人が出るかもわからない。
そして魔女であることがバレれば、ほぼ確実に殺される。子供で魔女界での発言権が薄い彼女たちは、恐らくは捕虜にはできないだろう。
覚悟を決める瞑鬼。どうせ、何度死んでも生き返るのだ。ならばここは一つ、秘密を共有するのも悪くはない。
「カラっ!!」
アヴリルとフィーラが、魔法回路を開いて走る姿が目についた。でも、もう間に合わないのは確実だ。
ソラがその細い腕を天に掲げる。大気が渦を巻く音が、瞑鬼の鼓膜を突き破る。
保証なんてない。生き返るのも、彼女たちがここから離れないのも。だが、かけるのは瞑鬼の得意分野。それに、瞑鬼が彼女たちを信じなければ、誰が信じるのか。
初めて会った時を思い返す。きっと彼女たちは、普通に来た魔女ではない。それは姿と状況が物語ってる。
魔法回路を閉じる瞑鬼。それと同時に、ソラの手が瞑鬼の心臓を貫いた。
「……道歉」
ソラの口から言葉が漏れる。ソラに戻ったのか、カラのままなのか。そんなことはどうでもいい。
脳が焼き切れるような痛み。それを気合いで我慢して、瞑鬼は最後の力を振り絞る。
「…………待ってろ、ぜってぇ戻ってくる」
顔は見えない。もう血が足りないようだ。けれど、なぜだかソラがはっとした気がした。
最後に見たのは、走ってくるアヴリルとフィーラの姿。最後に感じたのは、胸を貫いたソラからの、痛烈なまでの贖罪。
4回目となる静寂に、瞑鬼の意識は落ちてゆく。
今までは敵に殺されてましたが、初めて味方にやられちゃいましたねー。まぁ、たまにはありでしょう。