Sight off
れっつばとる!
目の前の状況を判断する瞑鬼。出した結論は、これは魔法だということ。誰のかはわからないが、恐らくは空気を固定するような魔法だろう。
だったら話は簡単だ。ここまで強度があるのなら、範囲が狭いのは自明の理。右手がダメなら左手で殴ればいいこと。
素早く右手を引き、今度は左のアッパーを。しかし、そんな苦し紛れに当たってくれるほどヤンキーは優しくない。
擦りもせずに、瞑鬼の左手が宙を切る。その隙を突いて、またもや瞑鬼の髪が掴まれた。こうも連続で引っ張られると、いずれ禿げるのは確実だ。
目に飛び込んできたのは、迫り来るヤンキーの膝。本能がやばいと反応し、なんとかおでこで相殺する。
「殺してみろよっ!」
ふらついていた瞑鬼の脇腹に、漆黒の粒子をまとったミドルキックが突き刺さる。激痛だ。それも、死にそうにない分、余計に苦しい。
瞑鬼が受けたダメージに対して、向こうはほぼ無傷の状態。耐久戦では部が悪い。かと言って、【改上】は使えそうにない。殺す殺すとは口で言っても、彼らは結局殺してくれないのだ。
口の中に溜まった血を吐き出す瞑鬼。歯は折れていないが、何箇所か切れているようだ。
周りを見る。ソラたちの周りは、喧嘩に参加してない一人ががっちりとガードしている。いくら三人とは言え、女子中学生じゃ突破できそうにない。
「……お前ら……」
暗く濁った双眸が、下卑た笑みを浮かべた金髪ピアスの眼を射貫く。その眼に秘められたのは、極上に濃厚な怨み。瞑鬼が本来持っていた、世界に対する侮蔑の眼だ。
瞑鬼は決意していた。今度こそは、この馬鹿どもを、2度と目の前に現れないように駆除すると。
脳内を戻す。明美に殺られた時に。思い出す。自分の中に眠っていた、腐った生への希望を。
瞑鬼の身体から、漆黒の粒子が溢れ出す。その量は、金髪ピアスに内蔵された総魔力量の約三倍。
すうっ、と息を吸い込んで、瞑鬼は叫んだ。
「sight off !!」
相手がわかるかどうかは考えない。ただ、あの三人がわかればそれでいい。
言い終わると同時に、瞑鬼の身体は金髪ピアスの真下にまで迫っていた。
ありったけの魔力を込めて、猫騙しをお見舞いする。沈む夕日に加え、もう一つの太陽が生成された。
その眩い輝きは、まともに眼を開いていた人間の光彩を破壊するが如し。目の前のヤンキーとて、それの例外ではない。
光が消えるのと同時に、金髪ピアスからは苦悶の声が上がっていた。
「あ……あ、ぁ、あ……」
声にならない声、という奴なのだろう。よほど痛かったのか、顔を抑えて体を丸めている。
どうやら他の二人も、もろにこの魔法をくらったようだ。全員が全員、唸り声をあげて縮こまる様子がうかがえる。
「…………」
術者である瞑鬼に、この魔法でのデメリットはない。つまり、ほんの数十秒間だけは、自分以外の人間の視力を奪って戦うことができる。
金髪ピアスの前に立ち、思い切り顎をなぐりとばす。魔法回路全開のパンチは、身長180の男の体を宙に浮かせた。
二メートルほど飛んで、金髪ピアスが背中から地面に落ちる。汚らしい悲鳴が聞こえた。
しかし、ここで手加減する瞑鬼ではない。2度と会うことがないように、今後のことを考えてトラウマを植え付けるのが吉だろう。そう判断した。
「クソっ!くそがっ!!」
地面に倒れながら、金髪ピアスが口々に叫びをあらわにする。いくらでも叫べばいい。どうせここには、誰もこないのだから。
魔法回路を開いた状態で、瞑鬼は男の顔を踏みつける。そしてさっとしゃがみこむと、今度は口と鼻に手を当てた。締めるためではなく、ただそっと乗せるように。
「……俺アレルギーにしてやるよ」
そう言うと、瞑鬼は第3の魔法を展開する。それは匂いを操る魔法。そしてそれは、一度でも嗅いだことがある匂いに限られるというものだ。
せいぜい香水程度にしか考えてなかった瞑鬼だが、土壇場で戦闘用にも使えることを思いついていた。それは、瞑鬼の職場のせいかもしれない。
桜青果店は、文字の通りに果物を扱う店。そして、世界からいろいろなものを輸入したりもしている。
かつて一度だけ、瞑鬼はその匂いを嗅いだことがあった。世界一と言われる、その果物の香りを。
「あっ!あがぁぁぁっっ!」
果物の女王ーードリアンの匂いを嗅いだ金髪ピアスが、あり得ないくらいに拒絶反応を起こす。しかし、どれだけもがいても無駄だ。口も鼻も、逃げられないように瞑鬼が掴んでいるのだから。
首を締めるのは直接的すぎる。すぐに死んだらつまらない。けれど、匂いならそうそう死ぬことはない。
犬歯をのぞかせ瞑鬼が嗤う。このまま続ければ、一ヶ月はこの匂いに包まれることになるだろう。
しかし、快進撃はそこまでだった。
「おいっ!そいつ離さんかいボケぇっ!」
瞑鬼の耳に、うざったい声が入ってくる。見なくても分かった。あのヤンキーのどちらかだ、と。
声がした方向を見て、瞑鬼は舌を鳴らす。視界の先、ほんの5メートルそこらの距離の先で、ソラたちは捕らえられていた。一人のヤンキーがソラを。もう一人が、アヴリルとフィーラの首を脇でしめている。
ソラを捕まえた方の手には、小さなバタフライナイフが握られている。つまりは、脅迫されているという事だ。
「…………っ!」
瞑鬼の目が燃える。しかし、だからといってどうすることもできず、しょうがなく金髪ピアスを解放する瞑鬼。
次の瞬間には、涙目になった金髪ピアスからのお返しパンチが顔面を捉えていた。コンクリと砂利が合わさった道に、背中がこすりつけられる。
「お前……、マジで殺すからな」
起き上がる金髪ピアス。そして、瞑鬼の頭を踏みつけた。
やはり痛い。何度殴られても蹴られても、痛いものは痛い。これならいっそ、プロの殺し屋にやられた方が圧倒的に楽と言える。
何もできずに、瞑鬼はただ耐えていた。
「……瞑鬼さん……」
ソラの肩が震える。恐怖からか、目の端には涙が溜まっていた。
ボコボコに殴られる瞑鬼。何十発か殴られた後、金髪ピアスが踵を返し、水場へと向かう。
「おいおい、魔法使うのかよー」
「腕の一本はとっとかねぇとな」
げらげらと笑う仲間にそう告げ、金髪ピアスが流れていた水に手を突っ込む。すると、だんだんと水は凍り、やがて一本の氷柱が形成された。
鉄パイプほどのサイズのそれを構え、瞑鬼に振り下ろす。どごっ、と鈍い音がなった。そのまま何発も殴打され、瞑鬼の頭を警告が全速力で駆け抜けてゆく。
そんな瞑鬼の様子を見ていたソラの表情から、次第に焦りが無くなっていく。少女の瞳は覚悟へと変わり、目の前にいる相手に明確な敵意が向けられた。
「……このっ!」
ソラの身体に、神経のような細い管が浮かび上がる。やがてそこからは漆黒の粒子が漏れ出して、それに気づいたヤンキーの目が丸くなった。
さあさあ、典型的なピンチですよ。もうね、普通の主人公なら覚醒ものですよ。多分。