少女逃避行
そろそろ新学期やら新体制ですか?
みなさんはどうですか?一年やってけそうなクラスなりメンバーですか?
僕は無理そうです。
往復二分とかからずに、瞑鬼は再び少女たちの元へ駆け戻った。
焦る鼓動など頭から除外して、ただ保健の教科書を思い出す。
瑞晴に携帯を持つよう指示。こうも暗いと、全くと言っていいほど傷口が見えないのだ。
流石に今は破廉恥だなんて言っている暇はないと、懸命な判断を下す瑞晴。黙って瞑鬼の言うことに従い、患部を照らす。
最悪お腹ぱっくりまで覚悟していた瞑鬼だったが、現実はもっと優しかった。切れていたのはほんの脇腹五センチ程度で、出血もそんなに多くない。
子供の時から、親に傷の手当てなんてされた事がない瞑鬼からしたら、この程度の怪我はお手の物だった。
素早い手つきで救急箱からガーゼを取り出す。海水に浸かっていた可能性があるので、消毒液を吹き掛けて湿らせる。
「……我慢しろよ」
薄っすらと目を開けた、アジア系の少女に一言だけ断りを入れ、瞑鬼は腹部にガーゼを当てる。消毒液が染み込んでいては、さぞかししみるだろう。
なるべく苦しまないよう、何回かに分けて、簡単に血を拭う。それからもう一枚新しい無菌ガーゼを取り出し、今度はそれを傷口に置く。そして包帯を取り出し、ぐるぐるとお腹の周りに巻いてゆく。
夏だけあって、少女からはほんのりと汗の匂いがしていた。お互いに裸なだけあって、どうしたって邪な気持ちが芽生えてしまう。
顔のすぐ横に、すべすべの人肌がある。それも、同年代くらいの女の子の。
一旦そう考えてしまったら、もう抑えることはできない。何とか欲求が表に出るのを防ぎつつ、一通りの治療を終えた瞑鬼。
不恰好ではあるが、一応血は止まっていた。
側で施術を見守っていた二人の少女も、安心した顔で一つ息をつく。
「……謝謝」
瞑鬼の隣、ついさっきまで、瞑鬼が手当てをしていた女の子が、瞑鬼の耳元で囁いた。
ふわっ、と耳に息がかかる。ここでゾクゾクしてしまうのは、恐らく誰が相手でも一緒だ。男の本能、と言うやつなのである。
彼女が話した言葉は、確かに日本語ではなかった。そして英語でもない。
しかし全く世界の言語に詳しくない瞑鬼でも、この言葉の意味くらいはわかった。
中国語で言うところの、ありがとう。どうやらこのアジア系の女の子は、中国出身の人らしい。
「お、おう」
「這裡是哪裡?」
「…………え?え?」
自分が裸なのも忘れて、少女が何かを話してくる。全く聞いた事がない単語の羅列だった。
かろうじてありがとうだけはわかったものの、瞑鬼が習った事があるのは英語だけ。中国語は完全に想定外だ。
ちらりと瑞晴に助けを求めるも、残念なことにあちらはあちらで女の子とお話中のようだ。
ヨーロッパ系の娘と、どこにでもいそうな娘の二人と、英語で会話をしている。
桜瑞晴の英語の成績は抜群だ。人と交流するのが好きな瑞晴は、やたらと言語系の授業は熱心に受けていた。そのため、日常会話程度の英語なら余裕でこなせるのである。
スラスラと言葉が出てくる瑞晴を羨ましく思いながら、瞑鬼は視線を戻す。そこには、不安げな表情と、未知への渇望を抱いた少女の目があった。
瞑鬼とは対照的な、澄み渡った曇りなき眼、と言うやつだ。
色々と聞きたい事が山ほどある瞑鬼だが、ここはまず落ち着いてもらうのが先決だろう。下手に質問責めにしても、良い事などあるはずが無い。
しかし、何かを話そうにも、少女の姿はあまりにも刺激的だった。
膨らみかけた二つの山に、きっちりとしまったウエスト。腰からヒップにかけてのラインは、正に芸術的とさえ表現できるほどだ。それほどまでに、少女は美しかった。例えるならば、中世の絵画に出てくるモデルのように。
逆上せつつある自分の脳内シグナルを受信。とにかく瞑鬼はこの少女に服を着させることにした。
「……あの、君、今裸だよ?」
ユーアーネイキッド。こんなとこを女の子に言うのは、恐らく生涯一度きりだ。
さすがは教育大国だけあって、英語はばっちり聞き取れたらしい。だから女の子は顔を赤らめて、一旦自分の体を確認して、そして急いで隠すように胸を押さえつけた。
はっきり言って、こんな天然行動をされては瞑鬼の欲望がよけいに掻き立てられるだけだ。あれだけ可愛い女の子が、必死になって見られないように隠している。
最悪だ。まさかこんなところで、雄としての本能が働いてしまうとは。
腰の位置を固定。なるべく誰にも悟られないように、持ってきた服を少女に手渡す。下着類を一切持ってこなかったのは、完全に瞑鬼のミスだった。
着替え終わるまで待つ。とんとんと肩を叩かれて振り向くと、そこにはちゃんと服を着た少女が立っていた。
「……對不起、害羞」
どうやらこの少女は、恥ずかしがると母国語が出てしまうようだ。
確かに、嫁入り前の裸体を見知らぬ男に見られたのは最悪なことだろう。民族宗教によっては、最悪瞑鬼は殺されても文句を言えない。
一殺くらいならば、と覚悟を決める瞑鬼。助けておいて糾弾されるのもおかしいが、女の子の裸というのはそれほど高い価値があるのだ。
背後では、瑞晴と二人の少女たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。どうやらもう打ち解けてしまったらしい。
瑞晴の最強なトークスキルは、万国共通で強制的に心を開かされるらしい。どんなに頑張っても得ることのできない、瑞晴だけの魔法である。
何か話すことはないか、この話題をどう英訳しようか。そんなことを考えていると、殊の外話題は向こうからやってきた。
「……あの、ここってどこの国ですか?」
今度はしっかりと英語で帰ってくる。そしてそこはお互いに教育英語だけある。発音も文法も、不恰好なところが似ていた。
「……日本だよ。君たちはどこから?」
見た所、あたりに船らしきものは見当たらない。海岸に流れ着いたというのならば、随分と運が良かったと言えるだろう。
この三人がセットで来たのか、それとも一人一人が単体で流れ着いたのか。国政から見れば後者だが、常識的に考えれば前者しかありえない。
まさか、海一つ隔てて流れ着くなんて、そうそうあることじゃ無いだろう。
長らく少女は考え込んでいる。記憶喪失という線も考えられるが、ここで強いのは出身地を言いたく無いという可能性。
そしてそれは、暗に彼女たちがどこから来たのかを指し示す。
瞑鬼の頭に浮かんでいたのは、魔女特区の四文字だった。
この世界で人間が住んでいる分布は、まず日本全土。次に南アメリカと、ヨーロッパ少しと一部のアジアだけ。そしてそこに、中国は含まれていない。
地理の教科書曰く、北アメリカと、アフリカ全土。アジアのほとんどは魔王軍の手に渡っているらしい。そして、最後の魔女の生息域。
これは、中国大陸のみに限定されていた。しかも、全土を支配しているわけでは無い。ポツポツと各地に村があって、ただそれだけの暮らしをしているというのが現状だ。
この長い沈黙の時間。何を言おうかと、少女の頭は活発に活動中だ。
そしてその長考が何を指すのか。瞑鬼はその意味をわかっているつもりだ。
「……その、ち、中国、かな」
「…………うん、そう……」
この世界の人間は、なぜだかやたらと魔女特区出身というと驚く。その理由は、魔女が人を食べると思われているからだ。
しかし、実際は少し異なる。そしてそれは、瞑鬼だけが知っている、魔女の不思議な生態についてだった。
大方、この少女たちはあの儀式から逃れるために、わざわざ海まで超えて来たのだろう。そうならば、瞑鬼たちは無下には扱えない。
「……やっぱ、そういうこと?」
逃げて来たの?そんなストレートに聞けるはずがなかった。
ユーアーネイキッド。とっさに出てくる英語って、なんだかおかしな文法になりますよね。