瞑い鬼には棘がある?
ヤンキーに絡まれた瞑鬼くん。バイト先でこんなちゃらちゃらしたのに囲まれたら、僕なら速攻卒倒ですね。
静かに立ち上がり、瞑鬼は濁った目で三人を見る。
もうどうでもよかった。いつもいつも、瞑鬼の敵になるのはこんなアホばかりだ。
義鬼にしても、明美にしても。瞑鬼が目の敵にし、瞑鬼を目の敵にするのはいつ何時でも、こういう人間たちなのだ。
頭の中を、魔獣や《なにか》と戦った時に戻す瞑鬼。その心は、こんな茶番劇に付き合うのはもう面倒臭いと思っている。
きっと今目の前にいるこの愚か者たちは、殺したことなど無いのだろう。口から出てくる「殺すぞ」はあくまで脅しで、本当に殺すことはありえない。
だが、瞑鬼は違う。瞑鬼の口からでるそれは、脅しではなく、確認となる。
「…………殺すぞ?」
思えば、戦いでキレるのは久しぶりだ。最後に怒ったのは、恐らく明美に虐殺された時。
あれ以来、瞑鬼はこの言葉を封印していた。が、この場合ならもう仕方ない。言ってわからないやつには鉄拳を。痛みでわからないやつは死ねばいい。
「はぁ?やってみれば?」
その言葉が目の前の人間の口から出た瞬間、瞑鬼の体は動き出していた。魔法回路を開いて筋力を増強。そのまま《なにか》にやられたように、金髪ピアスの首を掴み、一気に指を押し込む。
声を出す間もないまま、大学生の一人は机に頭を打ち付けられる。ガタイで言えば瞑鬼が不利だが、総魔力量なら瞑鬼に勝てる相手は殆どいない。
殺人の了承が取れたので、もう加減する必要はないと考えた瞑鬼。手に込める力を緩めることなく、何やら喚く金髪ピアスを冷徹な目で見つめ返す。
この間、瑞晴を含めた蚊帳の外の三人は何をすることもできなかった。まさか本当に反撃されるとは思っていなかったのだろう。二人の大学生は、瞑鬼への攻撃を忘れて突っ立っている。
「……お前らが悪い」
魔法回路をより一層太く開く。漆黒の粒子が周囲に舞い上がり、明るい昼の室内を薄黒く染め上げる。
大学生の口から、掠れた言葉しか出てこなくなる。これ以上やると、確実に天国行きだ。
相手が瞑鬼と同じ、【改上】を持っている可能性はどれだけだろうか。恐らくはゼロだ。こんな魔法、持っている方が珍しい。
そう思ったからなのか、次第に瞑鬼は手を緩めてゆく。殺すのが怖かったのではない。単に、ここでやると後始末が面倒だと思ったのだ。
「こ、こいつ頭おかしいぞ」
「っざけんな!」
自分から許可を出したのに、3分前と言ってることがまるで違う。瞑鬼はその理由が理解できなかった。
これまで本気を出して戦った相手は、誰しも殺す覚悟も殺される覚悟もあった。魔獣にしても、《なにか》にしても。殺し屋をやっているらしい明美でさえも、それなりのプライドはあるはずだ。
最悪とも取れる結末を迎え、大学生たちのナンパは終了した。瞑鬼に首を絞められた金髪ピアスは、その仲間の回復魔法を持っているやつに癒してもらいながら帰って行った。もう2度とこんなことはしないだろう。
残されたのは、体から魂が抜けたような顔をした瑞晴と、いつも通りの表情の瞑鬼だけ。その瑞晴は、なぜだか瞑鬼のすぐ隣に寄ってきていた。
「……とりあえずは、ありがと」
「……あぁ」
二人の間に沈黙が訪れる。目は合わせていない。もし今瑞晴の目を見たなら、瞑鬼はその現実に押しつぶされてしまうだろうから。
ことが終わって、感謝の言葉も済んだと言うのに、瑞晴は黙って瞑鬼を見つめている。その中には、少なからずの恐怖も含まれているようだ。
瑞晴の視線が痛いほど刺さる。なにを言いたいのか。それは瞑鬼でも、考えなしにわかるくらいに鮮明だった。
「……騒がせて悪い」
「…………神前くんさ、そういうとこあるよね」
「……許可はもらったし、先に手を出したのはあいつらだ」
その言葉に、一瞬だけ瑞晴が反応した。目が上り、自分を見てない瞑鬼の顔をじっと見る。
「……お願いだから、もうやめてよ」
瞑鬼の目が、自然と瑞晴の方に吸い寄せられてゆく。
今までに、瞑鬼はこれを悪いことだなんて思ったことがない。小学生の時から、何かと親から殺すぞとは言われていた。実際に、一度だけだが義鬼に半殺しにされた事だってある。
その時に、義鬼は確認を取っていた。まだ小学生の瞑鬼に、殺すぞ、と。そして瞑鬼は応えた。やってみれば、と。
その結果が半殺しだ。それから瞑鬼は、確認さえ取れば何をしても良いと思うようになってしまったのだ。
「…………瑞晴」
瞑鬼が名前を呼ぶ。すると、当たり前のように瑞晴と目が合う。
ここで何を言えば良いのだろう。言いたいことはある。言わなければならないことはもっとある。
けれど、瞑鬼はうまいこと言葉にできない。自分を表す術は持っていても、誰かに向ける言葉がないのだ。
頭に浮かんだ単語を綴り、拙いながらに瑞晴に伝える。自分の思いを。
「……その、悪かった。ついカッとなった。だから……、もうしない」
「……ほんとにね。お願いだからね。約束だからね」
3度も同じことを確認されれば、さすがの瞑鬼と言えど覚えてしまう。もう一度だけ目を合わせる。もうここからは、言葉なんて不要だ。
つい手が出るのも、全ては瑞晴と自分のためだと思っていた。《なにか》との戦いの時もそう。
瑞晴がいなくなれば、真っ先に悲しむのは陽一郎だ。そして、陽一郎が悲しむことは、瞑鬼だって悲しくなる。
自分を拾ってくれた二人への、瞑鬼ができる恩返し。それは、命を賭して守ることくらいなのだから。
「……さって、そろそろ戻ろ。あんまり遅いと、またカップル疑惑ができるかもだし」
そう言えば、ここに来た一番初めに、二人はカップル認定されていたのだ。
陽一郎の旧友らしい吉野さんは、瑞晴のことは知っていたが瞑鬼のことは見聞外だったようだ。仕事につく前に、そのことで散々聞かれ回されたのも、今では良い思い出である。
「……そうだな」
床を見つめて、瞑鬼は答える。外にいる人たちは、みんながみんな海を見て、彼女を見て、彼氏を見て、友達とくだらない馬鹿話をしている。
そんな中で瞑鬼は、一人不幸なオーラを放っていた。それは、誰の目から見ても明確なものだ。
原因は明白だった。この街にはとんでもない殺人犯がいて、しかもそれが自分の血縁で、それを知っているのは自分だけ。
これではまるで、どこぞのスパイ映画の設定である。しかも、最後には主人公が死ぬような。
瞑鬼が求める世界と、世界が瞑鬼に与えるものとでは大きな差があるのだ。
潮風を肌で浴び、瞑鬼は前を向く。そこにはいつも通りに、太陽のような存在がいるのだから。
「知ってる?海のバイトってさ、仕事終わったら海占領できるらしいよ」
「……夕日をバックに泳ぐのか……。アリだな」
次の一歩のことなんてわからない。夏休みが終わった後の道も、明日の道すらわからない。
だから、瞑鬼は目先の希望に食いついておくことにする。たまにはそんな生き方も悪くないだろう。
腐ってない世界で、青春を謳歌する。それだけが、たった一つの願いなのだから。
度胸が欲しい。