魔女の影、どこですか?
ここから2章が本番ですね。
いつも通り、ゆるい日常とかを送りたいと思います。
「…………死ぬ……」
晴天の空が届ける熱線と言う名のプレゼントを全身で受け取って、神前瞑鬼はぼやいていた。その身体は汗でじっとりと濡れており、目からは生気が漂っていない。
自転車で商店街を走り抜ける瞑鬼の姿は、近所の人にはさぞ働き者の高校生に見えたことだろう。
瞑鬼の高校入学が決まったのはほんの数日前。夏休みが始まって2日目のことだった。
陽一郎に判子をもらい、自分の判子も作ってそれを提出。すると、校長先生直々に入学祝いの言葉を貰ったのだ。何でも、特別魔法支援金を受け取る生徒には、お祝いをするのが学校の方針らしい。
しかし、今は夏休みの初期も初期。いくら瞑鬼の編入が決まったとは言え、行くのはまだまだ先になりそうだ。
九月からは高校生に戻れることになった瞑鬼。そのためか、この夏は全てを仕事に費やすことに決めていた。自分が抜けた分の穴を、少しでも埋めておこうとの魂胆である。
本日の気温は36度。日本海側のこの地域では、いたって珍しくも無い温度だ。しかし、だからと言って慣れたかと言われると、そんな事はない。どれだけの時を過ごそうが、人間は暑さと寒さには適応できないのである。
午前中だと言うのに、嫌に日差しが照っていた。
そんな働き者の太陽を訝しげに睨みつけ、瞑鬼はもう一度気合いを入れ直す。
配達の途中であるにも関わらず、持っていたお茶のボトルから水分を補給する。こうも暑いと早く届けた方が良いのだが、それは車あっての話である。
ふと隣を見ると、そこには喫茶店があった。中では頭の悪そうな高校生たちが、頭を奇抜な色に染め上げ、ハッピーな脳内を店員さんにさらしていた。つくづく、夏というのはバカが暴れ出す季節であることを、瞑鬼は実感する。
クーラーを求めて動き出しそうになる足を抑えて、それを自転車のペダルまで持っていく。
陽一郎から貰った配達リストを確認。どうやら、次の依頼宅はここから5分圏内の様だ。
「……夜一の家か……。アイスでも集るかな……」
不吉なことを口にして、瞑鬼は自転車を漕ぎ出した。やけにペダルが重たい。まだ配達は5件ほど残っている。こうも暑くては、流石の瞑鬼と言えどやる気を失ってしまう。
住宅街を抜け、少しだけ郊外へ。ジャスト五分で、柏木邸に到着する。
フルーツの詰め合わせと書かれた段ボールを手に、インターホンを押す。やたらと重厚な音がなり、それが2回ほど続いた。
家の前で待つこと1分ほど。抱えた荷物の重さに腕が悲鳴をあげ出した頃に、その人は家から顔を出す。
「あらあら、瞑鬼君じゃない。配達?」
夜一の家から出てきたのは、やたらと若い印象を受ける夜一のお母さんだ。どうやら本当にお若い様で、夜一から聞いた話だと今年で四十歳になるらしい。
そして顔も夜一とそっくりで、恐らく夜道だと普通に瞑鬼は間違えるだろう。違っている点と言えば、髪がボサボサか長くてさらっとしているかしかない。
つい何日か前に夜一の家に遊びにきた時に、この人と瞑鬼とは面識があったのだ。
「……どうも。毎度ありがとうございます」
いかにも商売人な科白を吐き、瞑鬼は頭を下げる。ここ数週間で身についた、配達の基本スキルである。
若いのに大変ね。いやいや、そうでもないですよ。いやいや、立派よ。ありがとうございます。
他愛のない世間話を繰り広げ、その間にサインをもらう。それが、最近の瞑鬼の日課だった。
こういう仕事をしていると、嫌でも知り合いが増えてしまう。それも同級生ではなく、家で暇そうにしている主婦やじいちゃんばあちゃんが基本だ。
それによって、瞑鬼の人間不信も少しは治り始めていた。
「あ、夜一呼ぼうか?おーい!夜一ぃー!瞑鬼くんよー!」
瞑鬼の返答を待たずして、お母さんが二階へ向けて声を放つ。趣味でオペラをやっているそうなこの人の声は、瞑鬼の下腹を駆け抜けてゆく。
二階の、恐らく夜一の部屋であろう場所から、やる気のない間延びした返事が返ってくる。部活をやってない夜一は、どうやら暇を持て余していたらしい。
後ろの荷物たちのことを思い、瞑鬼はそうそうに切り上げようと決心する。
しかしせっかく呼ばれた手前、挨拶だけしてさようなら、なんて訳にはいかないだろう。そんな冷淡な態度を取れば、明日から社会人失格である。
少し待っていると、気怠そうに階段を降りてくる足音が一つ。やたらと足取りが重たそうなのは、宿題でもしていたからなのだろう。
「……おーう。おひさ」
朝一学校の男子高校生よろしく、心の底から生気が抜け落ちたような顔の夜一。仕事をしている瞑鬼とは違って、普通の学生にとって夏休みとは惰眠との格闘期間らしい。
夜一がくると同時にさっさとリビングへ行ったお母さんを視界の端へ。瞑鬼も返事をする。
「……あぁ。悪いな。勉強中だった?」
「いや……、こっちこそすまんな。大方、勝手にお袋が呼んだのだろう?」
気まずそうに夜一を見る視線から何かを感じ取ったのか、本人は至って冷静に状況を分析していた。
「…………」
「………………」
流れる沈黙。外では蝉が延々と喚き続けており、車が過ぎる音が二人の耳を刺激する。
ただここに立っているだけでは、無駄に体力を吸われるだけだ。しかし、話題を振ろうにも、貧困な瞑鬼の語彙力では、うまく言葉を見つけられないでいた。
夜一があくびをする。こちらは完全にオフモードだ。一ミリグラムの警戒心も見せずに、呑気に空を眺めている。
足りない脳をフル回転させ、なんとか瞑鬼は一言を絞り出した。
「……あぁ、その、千紗はもういいのか?大分落ち込んでたって聞いたんだが……」
瞑鬼が訊ねたのは、あの日の事件以降の千紗についてだった。
変わらないこの平和。