異世界日常、くつろぎます
青白い電球に照らされた部屋の中で、神前瞑鬼は正座をしてじっと座っていた。眼前には四角いテーブル。畳ばりの和室からは、なんとも日本的な匂いがする。
瞑鬼と対面して、仕事終わりのビールを仰ぐのは、雇い主にしてこの青果店の店長である桜陽一郎だ。1日の作業を終えたからなのか、その顔からは疲れが滲み出ている。
閉店してから一時間。後片付けを終えた今、陽一郎が待つのは愛娘の作る夕食のみである。
「お前……、どんな魔法が使えるんだ?」
ほんのりと顔を赤らめた陽一郎が、借りてきた猫よろしく小さく座る瞑鬼に訊ねる。部屋の真ん中にあるちゃぶ台に座らされた瞑鬼からしたら、実に威圧感がある事だろう。結納の挨拶に来たというわけでもないのに、それ以上の緊張が瞑鬼を苛んでいる。
頼みの綱である瑞晴はと言えば、折角同級生が夕餉にあずかるという理由で、しきりに台所と格闘を繰り広げている。時折聞こえてくる、食器が崩れたような耳を裂く音が、如何に瑞晴が豪勢なものを作っているかを瞑鬼に伝えてくる。
家にいるのは3人きり。お袋さんは魔王軍との戦いに出て行ったきり、帰ってきていないと陽一郎は語った。帰ってきてないと言うことがどう言うことなのか、瞑鬼はそれがわかってしまう。
暫し酒を仰ぐ陽一郎と会談していると、次第に台所の方から鼻腔をくすぐる匂いが漂ってきた。何度も嗅いだことのある匂い。全国のお袋御用達、肉じゃがの匂いが、瞑鬼の体を駆けめぐる。温かい食事の匂いを嗅いだのはいつぶりか、瞑鬼にはそれを思い出すことができなかった。
家庭が崩れてから、食事といえばコンビニ。栄養もへったくれもない、ただ腹を満たすためだけの食事をしてきた瞑鬼にとっては、その食べ物はあまりにも優しさで溢れていた。
そこで瞑鬼の頭は現実へと帰還し、耳から流れてきた情報への応えを選出する。
「あ、魔法ですか」
「おう。一人でこの世界生き抜いてるってことは、何かしらすげぇの持ってんだろ?」
見当違いな陽一郎の意見を聞いて、瞑鬼は思わず耳が痛くなる。そもそも、魔法を見せろと言われても、見せる魔法がないのだ。この世界の人間は誰でも最低一つは使えるらしいが、それはあくまで生まれ育ったらの場合である。
魔法回路すらろくに開いた経験がない瞑鬼が、果たして魔法を使えるのか。答えは火を見るより明らかである。
「その……、魔法回路は開けるんですけど、肝心の魔法の使い方が……」
ばつが悪そうな顔を浮かべ、瞑鬼が答える。
正直な話、魔法が使えないというのがどれくらい非常識なことかわからない。本には魔法回路を開くのが一般的と書いてあっただけで、それ以降のことは書かれていなかったのだ。
居心地が悪そうな目をした瞑鬼を見て、陽一郎がおもむろに立ち上がる。そして、未だしっかりと意識がある足を瞑鬼の真横までもってくる。丁度瞑鬼を見下ろすような形だ。
高身長かつ筋肉質の陽一郎の身体は、下から見上げるには十分な恐怖を与えるだろう。
「わかんねぇのか……。もしかして瞑鬼、お前魔女特区の出身か?」
魔女特区、という聞き覚えのない単語に瞑鬼の耳は反応する。名前から察するに、魔女が住んでいる場所なのだろう。世界地図を見た際に、魔女が多数住んでいる場所があるということは勉強済みだ。
しかし、瞑鬼の覚え違いでなければ、その魔女特区とやらは、危険区域指定のはずだ。魔女は人間側でも魔王側でもない、第三の勢力。絶対数こそ減少傾向にあるが、その個体の強さに関しては魔王の折り紙つきだ。
実はそれが、魔王が世界を手にしていない原因の一つでもあったりする。
「いえ……、その、実はどこ出身なのかよく覚えてなくて……」
またも瞑鬼は陽一郎から顔をそらす。元来、自分のことを人に話すのは苦手なのだ。
しかし、陽一郎はそんな瞑鬼の態度に違和感を覚えなかったらしい。軽く、そうか、と呟くと、どっかりと瞑鬼の隣に腰を据える。