朝の伯爵、起こす婚約者1
伯爵の朝は、とても遅い。
とても遅いというか、お昼を過ぎないと起きてこない。
婚約者である私には見慣れた光景見慣れた景色、見慣れた部屋である。
緑っぽい色を基調にした部屋の中で眠る伯爵は、「眠れる森の美男子」である。この呼び名にはひとり秘かに満足している。
部屋の模様替えをされてしまうとすぐに崩れ去ってしまうのだが。悲しい現実は頭の隅に放置だ。
根本的に、伯爵と私の生活時間はずれている。
私は朝早くに起きて、夜早くに寝る。
それに対し、伯爵は昼に起きてきて明け方に眠る。伯爵が起きている時間、ほとんど王宮に騎士として登城してしまうので、一日会えないなんて珍しくはない。
寝ている伯爵に会うことの方が多いくらいに。
などと言ってはいるが、一般的な婚約者同士ならばそんなことは普通なのだが、それが私たちには当てはまらない。
何故って、私は今、伯爵家に身を寄せているのだ。
事実上の同居、である。
乗り気だった伯爵も謎だが、反対する声もなかったことに驚いていた私は自身の反対の声を上げることができなかった。結婚前の男女を同じ家に住まわせようとする神経がわからない。
私の父に至っては、普段は厳格なくせに二つ返事で同居の件を進めた。慎みはどうした、慎みは。
そんな伯爵と私ではあるが、多分愛されてはいる。
たまに疑いたくなるけれど。
例えば、今とか。
目の前の布の塊を前に、私はさてどうしたものかと、勇ましく腰に手を当てて唸っていた。
「・・・お嬢様、いかが致しますか?」
遠慮がちに声を掛けてくれたのは、私の斜め後ろに控えている伯爵家の女中頭だ。
私よりも二回りくらい年上な彼女は、伯爵が小さな頃からこの家に仕えていて、伯爵のことを大切にしている。
「あー・・・まぁ、いつも通りにやりたいんですけどね。私は。」
「最近は慣れておしまいになったのか、反応があまりありませんよね・・・」
「うっ!・・・ですねぇ。」
この伯爵家に来てから、私の日課の中に伯爵、アークを起こすことが加わっている。
女中頭、オリガさんと顔を突き合わせて伯爵を起こす術を考えてみるのだが、そろそろネタ切れになってきているのが実情だ。
何よりも、伯爵は寝起きが非常に悪い。
揺すってもなかなか起きないし、周りで騒ごうが、頬を抓ってみようが起きない。
こうも起きないと、いっそ清々しいものである。
最近では私も感心してしまって、起こすことにそんなに躍起になっていない。
寝顔を見ている方が平和だと、このひと月で知ったからだ。決して諦めたわけではない。ただ、そんなに起こす気がないだけで。
私にあまり起こす気がない、そのことに不満を持っているのは伯爵自身らしい。最近、私が起こさずに用事に出かけてしまったことを知った伯爵がどうもその後から元気がないようだと、オリガさんから聞かされたのは数日前だ。
だって、起こしても起きないじゃないか。
それを不満に思っているといわれても困るというものだ。
しかし、そんな話を聞いてしまえば、私の生来からのお人好しが顔を出してしまうのだから溜め息を吐くしかない。我ながら厄介な性格である。
「・・・オリガさん。しばらくこのままって駄目ですかね?」
若干、遠い目になりながら往生際悪く弱音を吐いた。
そんな時期はとうに逸しているかもしれないが、たまには口にでも出してみないと私がこのことに納得していることになってしまうのも困る。
女中頭の彼女を振り返ると、困ったように首を傾げて、目だけで「それだけは勘弁してくださいませんか。」と伝えてくる。
「・・・」
こぼれる溜め息をそのままに、私は一歩、伯爵の寝台に近づいた。
薄い紗のかかる寝台は大きく、人が三人横になっても余裕なことだろう。
私の部屋にもあるが、いまだに緊張して目が早く覚めてしまう。慣れない大きさの寝具は、私のストレスの原因となる。なので、毎朝土いじりをする。これがいいストレス解消になるのだ。
実家にいた時もそうしていたのだが、花を植えたり、庭をかまったりするのが好きで、毎日のように土と戯れていた。それが、変な娘だとみられる要因になったのは言うまでもないが、私はそれを後悔してはいない。
母の好きだった花壇を私は誰の手にも渡したくなかった、という意地だったりするが。
その花壇を置いて、この伯爵家に来たことは、それ以上に自分にとって何か大切になりうるものがあると思ったからかもしれない。
いけない。また脱線した。
紗を捲った先には、姿勢よく眠る一人の美男子。
細く、さらさらした髪は綺麗な天使の輪を作る金髪。閉じられた目は、真珠のように白く美しい肌に覆われ、瞼を縁取る長い金色の睫毛が彼の人の眠りを守っている。
麗しい。
そう、一言に集約してしまう光景が、そこにはある。
「・・・伯爵?」
駄目でもともと、と私は眠る伯爵に声を掛ける。
思った通り、静かな寝息が聞こえるだけだ。
私は握っていた紗から手を離し、そっと伯爵の寝台に近づく。その細部が見える位置まで来ると、私はそっと寝台の横に腰を下ろし、目覚めぬ伯爵の横顔を見つめた。
眼福もののその光景は、いつになっても慣れることはない。
私が好きな光景だ。
見るたびに、何かしら新しいことに気付く。
あまり口を開くことのない伯爵は、眠っているときは子供のように健やかだ、とか。
伯爵と私は十近く年が離れている。
私は十六。
伯爵は二十四、五だとか。
それを認識する機会は、残念ながらまだない。
その理由は言うまでもなく、明らかではあるが。
とにかく、眠っている伯爵と会う機会の方が多い私には、あまり多くを語ることはできない。
なので、私が伯爵について語れることと言えば、眠っている姿の時だけである。
頬を突いてみるが、相変わらず反応はない。
この寝つきの良さは実に羨ましいことだ。私などは寝付くまでに時間を要するものだから、小さいころからあまり一人で眠るのは得意ではない。
すやすやと寝息が聞こえてきそうなほど、どこか幸せそうに眠る伯爵。
今は閉じている瞳は、濃い青色をしている。はっとする美しさだ。
金色の髪と、青いその瞳の組み合わせは、海を見たときの光のきらめきを意識した時のようで、私は嫌いではない。
「伯爵ー」
私の伯爵の呼び名は聞いての通り、「伯爵」である。
それ以外に呼んだことがないので、名前「アークレット」で呼ぶタイミングを逃している。
伯爵の方だって、私のことは「君」呼びである。
・・・ひと月も経てば、婚約者なのだし名前で呼び合っていてもおかしくはない気がするのだが。
何か?私の名前を呼びたくないと?・・・それは冗談として。伯爵の方も、タイミングを逃しているのではなかろうか。でなくば、廊下ですれ違うときなど、「・・・君」などと手を挙げて、少しの間の後に声はかけまい。
いい加減名前で呼び合いませんか、って言った方がよいのだろうか。
伯爵、伯爵ーと呼ぶのも疲れたしね。
いっそのこと名前で呼ぼうかなー。・・・どうせ寝てるんだし。
聞こえないだろう、と私は物は試しにと初めて伯爵の名を呼んでみることにした。
「起きて、アーク。」
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
え、なんか恥ずかしいかも。
思わず頬を抑えてみたりして。顔、熱いし。
あれあれ?と一人で首を傾げながら、だんだんとアークの方が見れなくなってくる。
一人でじたばたと何かと格闘していると、その視界の端でかすかに伯爵が身動ぎしたのが見えた。
「!!」
もぞもぞと布団に隠れるように丸まり出す伯爵を見て、私は絶叫した。
「起きてたんなら起きてくださいよ!伯爵――――――っ!」
恥ずかしすぎて顔が真っ赤だったんですよ、私は。
てーか、いつから起きてらしたんでしょうね。あ、身動ぎしだしたら伯爵は起きてますので。(眠っている間は動きません。)
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