救いのない世界より、悲劇を
リゼルはまやかしの微笑みを信じて破滅へと突き進む。
侍従はただ静かに破滅へと歩むリゼルを見守る。
公爵令嬢リゼルの悲しくも美しい最後へ突き進む悲恋の物語です。
リゼルは公爵家の令嬢として、きちんとした教育・教養・マナーを身に着けていた。いくつかの主要な外国語も習い始めており、才媛の誉れが高かった。
そんな彼女の婚約者は当然というべきか、第一王子殿下だ。最初の出会いは、子供茶会と言う名の王子たちの婚約者と側近の見極めの茶会だった。リゼルは金髪と青い目を持っていた。ドレスは子供らしくパステルカラーの黄色と差し色にリゼルが好きなピンクが入ったものだった。
一方、第一王子殿下は銀髪と紫瞳で、落ち着いたネイビーのジャケットだ。あえてクラバットは避けて、リボンタイと子供らしい半ズボンで軽やかさを演出していた。
第一王子殿下に挨拶をする段になり、リゼルは公爵家令嬢として最初に立つべきだと思ったが、同格の公爵令嬢がこちらをけん制してきた。リゼルはあちらの方が公爵家として格が上なのを理解していたので、黙って二番目に並んだ。
最初の公爵家令嬢がにこやかに王子の前を去ると、次はリゼルの番だった。
「若き太陽、第一王子殿下にご挨拶申し上げます。ヴァルヘルト公爵家、リゼルでございます」
リゼルは挨拶も完璧で、カーテシーも美しかった。だが、第一王子は興味の色もなくただ機械的に微笑の仮面を被ったまま挨拶を返し、当たり障りない一言二言の会話で終わった。
だから、リゼルはなぜ選ばれたのか分からず、でも、婚約式の時に見せた第一王子殿下の優しい微笑に心がときめいたのを、今でも覚えている。冷たい方だと思っていたのに、あんなに優しい顔を、微笑を向けてくれた事に、リゼルは心が震えるほどうれしかったのだ。
ユリウスがリゼルの侍従に選ばれたのは、第一王子の婚約者の監視と言う役割が大きかった。ユリウスは第一王子の側近候補だったが、第一王子との相性があまりよくなかった。だが、優秀な者をつなぎとめるための苦肉の策として、リゼルの侍従に選ばれた。
婚約式で、第一王子がリゼルに見せたまやかしの微笑みが、ユリウスには気に入らなかった。王族として表情のコントロールが完璧な第一王子が気まぐれに見せた優しそうな微笑に、リゼルの頬が少し赤くなったのを見て、ユリウスは心が痛んだ。だから、ヴァルヘルト公爵家に住み込みになる前に、王子に尋ねた。
「どうしてあそこで微笑を浮かべられたのですか?」
「ヴァルヘルト家は私の後ろ盾として申し分ない。感謝の意を示して、何が悪い?」
ユリウスは何も言えず、黙って引き下がった。
ユリウスがリゼルの家であるヴァルヘルト公爵家に住むようになると、リゼルの立場が否が応でも理解できてしまった。
ヴァルヘルト家には、嫡男がいた。リゼルより5つ年上の兄である彼は、すでに当主としての教育を受けている立場であり、ひどく忙しかった。リゼルの下には2つ年下の弟がいた。こちらも、早いうちから当主の補佐としての教育を受け始めていた。
本当ならリゼルが男児であることを望まれていたが、女の子だったため弟が出来た。
「いい使い道が出来た」
とは、ヴァルヘルト家当主の、第一王子との婚約が調ったリゼルへの言葉である。
リゼルは素直な女の子だった。家の方針に逆らうこともなく、淡々と第一王子の婚約者として不足がないよう勉強にマナーに語学にと様々なことを学んでいた。そのうち、王宮へあがっての勉強も増え、寝る時間が削られるような生活をこなしていった。
「第一王子殿下が婚約式で見せてくださった笑顔があれば、大丈夫よ」
少し休むよう進言すると、呪文のようにリゼルはあの時の微笑を持ち出すのだ。第一王子はリゼルに対して通り一遍の対応しかしていないのに、彼女はたった一度のまやかしの微笑を信じ込んでいるようだった。
ユリウスは真実を告げるわけにもいかず、ただ黙って彼女が懸命に勉強を続けるのを見守るしかなかった。
ユリウスの心配をよそに、リゼルは第一王子の婚約者に相応しい女性に育っていった。冷たい家庭に育っていたリゼルは、もともとの性質なのか、家庭に影響されたのか、他人の感情にあわせた振る舞いができる人だった。
ユリウスの表情にも敏感で、少し疲れていても見抜かれて、さり気なく休めるような頼み事をする。侍従だからと酷使することはなく、いつも柔らかく、どこか甘い優しさで包まれているようだった。
それなのに、リゼルは第一王子の事だけは理解していなかった。或いは、したくなかったのかもしれない。ユリウスが真実を告げても、きっと信じなかっただろう。
リゼルの様子が変わったのは、学園に入学してからだった。その年は、第一王子殿下に合わせて生まれた子息令嬢が多かった。さらには、平民ではあるが聖女として指名を受けた少女も入学していた。
「リゼル、何故あの者に優しくできない?」
第一王子殿下から叱責されるリゼルの姿が増えた。”あの者”とは、平民の聖女である。聖女である以上、平民ではなくなるのだが、学園に通う間は”聖女見習い”と言う形をとるため、身分が”平民”なのである。
「ですが、第一王子殿下にあまりに近すぎるかと」
リゼルの言葉は真っ当ではあるが、嫉妬の色が混じっているのを隠しきれていなかった。平民を理由に第一王子に近い距離で話す彼女は、リゼルにはどこか勝ち誇って見え、それがより一層リゼルの嫉妬を煽るのである。
ある日、第一王子は聖女と昼食を取り、学園内の花園を二人でそぞろ歩いた。もちろん、側近たちが少し離れてついていたし、聖女側にも護衛の者たちがいるため、本当に二人きりではない。だが、リゼルは第一王子とそう言った交流をしたことがなかった。それゆえに、リゼルの嫉妬心を最大限にあおるには十分な出来事だった。
リゼルは腹立たしさをどうぶつけてよいかわからなかった。ただ、感情が赴くままに、聖女の持ち物を床にたたきつけてしまった。
ユリウスが止めに入った時には、すでに聖女が特別大事にしていたガラスペンが割れており、インク壺が割れて教科書やノートも汚してしまっていた。リゼルは感情の爆発が収まると、ただぼんやりと割れたガラスペンやインク壺を見つめた。
そこを、大きな音に驚いて教室をのぞいた大勢の生徒たちに見られてしまった。ユリウスはそっとリゼルの腕を引いて、教室を後にした。
リゼルの行動は、すぐに教室をのぞいた生徒から聖女へ告げられた。リゼルの淑女然とした微笑の仮面を被った顔より、素直な笑顔を見せる平民の聖女の方が生徒から人気が高かった。リゼルの行動は、高位貴族による平民へのいじめとも、婚約者の地位も守れない貴族としての弱者ともとれて、リゼルはしだいに孤立していった。
第一王子の怒りは、リゼルにまっすぐ向かっていった。ガラスペンは聖女の亡くなった母の遺品だったと言う。聖女は第一王子に取りすがって泣いた。またそのことがリゼルの神経を逆なでし、嫉妬の炎は天を焦がす勢いだった。
第一王子の態度はもはや婚約者としてのものではなく、敵意を含んだ視線をリゼルに向けるようになった。リゼルは、ただただ第一王子を失いたくなかった。
心を抉られ、擦り切れていくリゼルの様子に、ユリウスは慰めの言葉をかけようとして、思いとどまった。リゼルにユリウスの言葉が届くとは思えなかった。ただ、そっとリゼルの影のように側にいて、二人の溝が広がっていくのを見ているしかなかった。
リゼルの懊悩を側で見続けているユリウスは、ふと窓の外に第一王子の姿をとらえた。聖女を隣に置き、リゼルには見せたことのない本当の柔らかい笑みを浮かべている。ユリウスは、さりげなくリゼルの視界から二人を遮る位置に立って、黙って少しやつれたリゼルを見ていた。
リゼルの懊悩をよそに、聖女は第一王子との交流に心を傾けて行った。今は平民でも、聖女となれば王族に並ぶ地位となる。聖女から見れば、リゼルは血の通わない人形のように見え、そんな女性と婚約している第一王子がかわいそうだと思っていた。それならば、自分が第一王子の支えとなって生きていきたいと、自然と聖女は考えるようになった。
リゼルの立場が揺らいだのは、すぐにヴァルヘルト家に知れてしまい、叱責をかった。これ以上失態を犯せば、家から切られてしまうだろう。だが、リゼルはあの婚約式の第一王子の微笑だけが心の支えなのだ。それが失われようとしてる。平静でいられるはずがなかった。
初夏のある日、その日は魔法の授業があった。リゼルも授業に参加するために外にいた。学園の花園には、真っ赤なバラが咲いていた。学生たちの間では”告白の花”として人気があって、毎年園丁が生徒たちが勝手に切らないようにと目を光らせている。
そんな花を第一王子が持っていた。リゼルが遠くで見ているのも気が付かないのか、関心がないのか、第一王子は聖女にその真っ赤な花を手渡した。うれし気な聖女の声がリゼルの鼓膜を叩いた。
第一王子は聖女に花を渡すと、授業へ行くために聖女の側を離れた。リゼルは、反射的に授業のために手に持っていた杖を振って、氷魔法を発動した。気がついたユリウスが、
「お嬢様、いけません!」
と言ったが、ユリウスの制止の声はむなしく響き、聖女が手に持っていたバラは凍り付いて粉々に砕け散った。それはまるで、リゼルの心の様だった。
「きゃあ!」
聖女の悲鳴に、異変に気が付いた第一王子が戻ってきた。そして、リゼルを睨みつけると聖女の肩を抱いて医務室へと向かっていった。
「お嬢様……」
ユリウスが声を掛けても、リゼルはうつろな瞳をただ前方に向けていた。
次の日から、リゼルは積極的に聖女をいじめ始めた。それまでは、リゼルの感情の爆発で引き起こされた幼い破壊行動だけだったのだが、リゼルの持ち前の知性を活かしたいじめに切り替わった。気が付くと物がなくなっていたり、気が付くと実家の周囲に不穏な影があったりと、聖女を精神的に追い詰めていった。
第一王子がいることで聖女本人は守られても、その周囲に手を伸ばされては、そうそううまく守れるものではない。何しろ彼女の家族は貴族ではなく平民なのだ。下手に対策を取れば”やりすぎ”となってしまう。
ユリウスはリゼルを押さえようとしたものの、あのうつろな瞳を思い出すと思い切った行動を取りづらく、形だけになっていった。
リゼルは何故自分が聖女をいじめているかも分からなくなっても、いじめの手を緩めることはなかった。
そうして、学園の卒業を終えて”聖女見習い”から正式な”聖女”となった彼女をいじめた罪で、リゼルは断頭台に立つ事になった。
「我が国の宝である聖女を貶め、苦しませ、悲しませるとは言語道断である」
重々しい王の言葉は、しかしリゼルに刺さることはなかった。ただ、リゼルは王の顔をぼんやりと見つめるだけだった。
ユリウスは、平民用の牢獄に入れられたリゼルと面会した。リゼルの髪を不器用にくしけずり、顔を拭いてやると静かに立ち上がって待っている看守たちを振り返った。
「用意が、整いました」
リゼルは素直に立ち上がって、
「ありがとう、ユリウス」
と揺蕩うように言って、看守の方へ素直に歩いて行った。おぼつかない足取りなのに、背筋が伸びているのが、どこか悲しかった。
ヴァルヘルト家は早々にリゼルとの縁を切っており、平民としてリゼルは断頭台に立っていた。石が飛んできて、ところどころに当たったが、リゼルはぼんやりとしたまま立っていて、血が流れても表情は変わらなかった。ひどい野次にも何の感情も見せなかった。リゼルの顔が見える位置にいた者たちは次第に口数が少なくなって、ただ、少女が断頭台の露と消えるのを見守った。
ユリウスは、ひっそりと断頭台を見つめていた。枷がかけられ、刃が落とされるまで、真っ直ぐにリゼルの最後をしっかり目に焼き付けた。ゆっくりと、リゼルの死の痛みと悲しみが心に広がった。
去っていく人々を眺めながら、ユリウスは思った。
(私が覚えていなければ、誰がリゼル様を思い出すのだろう?)
静まり返った広場で、こっそりとリゼルの遺体に近づくと、小さな花を添えてユリウスは広場を立ち去った。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。




