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気狂いピエロ 世界ヘビー級王者 マックス・ベア(1909-1959)

作者: 滝 城太郎

強いことは強いが、どこまでが本気なのかわからないボクサーだった。自己顕示欲が強い役者肌だったので、マスコミが発達している今日ならパウンドフォーパウンド人気ナンバーワンは間違いなかっただろう。ハンサムなのにユーモアのセンスが抜群でノリが良いのに加えてあの腕力である。アクション俳優としてもスタローンやシュワルツェネッガーに匹敵する独自の人気を得ていたかもしれない。

 歴代白人ヘビー級ボクサーの中で最も華があったのが、マキシミリアン・アルバート・ベアことマックス・ベアであった。現役時代、映画でも主演を張るほどの男ぶりだったベアの周辺には常に華やかなロマンスの噂が尽きず、本人も美しい女性には目がなかったことから、名うてのプレイボーイとして勇名を馳せていたが、ボクシングの腕の方も一流で、全階級を通じたオールタイムハードパンチャーのトップ一〇〇を選ぶ場合、必ず上位にランクされている。

 「色男、金も力もなかりけり」というのが世の常だが、その全てが揃ったベアは、全盛期には「近代最強」の声も上がるほどの強さを発揮した。ただし、気まぐれでおどけた性格が災いしたか、意外なほど短命だったのは惜しまれる。

 それでも、引退後も映画出演を続けるかたわら、人気レフェリーとして活躍したあたり、もって生まれた魅力があったということだろう。


 ベアの愛称の一つである「リバモアの屠殺人」というのは彼の職業に由来している。ネブラスカの片田舎からカリフォルニア州リバモアまで仕事を求めて一家で移住してきた時、ベアがありついた仕事は、当時は下賤な職業と見られていた精肉工場の屠殺人であった。慣れるまでは反吐が出そうな死臭が漂う屠殺場で、ベアはハンマーで豚を殴り殺しては、生肉を担いで運ぶ日々を送っていたが、その頃のハードワークが、華奢だった彼に強靭な筋肉をもたらした。

 リングでは殺傷本能剥き出しの荒々しいファイトで観客を魅了したベアも、ハイティーンの頃はひょろりと背が高いだけの温厚でむしろ女々しい性格だったという。ところがある夜、悪友たちと駐車していた車から酒を盗んで回し飲みしていたところ、車の持ち主が戻ってきて殴られてしまった。

 「あの時は死ぬほど怖かった」と後に述懐しているほど意気地なしのベアだったが、たいして効いてはいなかったので逆に殴り返したところ、相手は一発でのびてしまった。

 ベアが自身に秘められた天性のパンチ力に目覚めたのはこの時だったという。

 プロデビューは二十歳と遅かったものの、端正な顔立ちのわりに派手な倒しっぷりで瞬く間に人気者になった。試合報酬もデビュー戦の三十五ドルが十試合目で四千ドル、十四試合目で七千五百ドルと驚異的なペースで跳ね上がっているが、現代でもデビューからわずか十数試合で一万ドル近く稼げるボクサーとなると、オリンピックか世界選手権のメダリスト級からプロ転向したエリートくらいなものだろう。

 まして貨幣価値が全然違う時代である。ハンサムな白人強打者という付加価値があるにせよ、すでに軽量級や中量級の世界チャンピオンクラスの集客力があったことには驚くほかはない。

 容姿と腕力と財力に恵まれたベアには、当然大勢の女性が群がったが、貧しかった頃の反動で金は気前よくばらまき、デビュー一年目に五万ドルも稼ぎながら、収支決算は一万ドルのマイナスだったというから、遊び人としての素質も相当なものだったようだ。

 本業がボクサーなのかジゴロなのかわからなくなるほど酒と女に狂い始めたベアは、やがて「百万ドルの肉体と十セントの頭脳を持つ男」と陰口を叩かれるほどになった。いつもにやけた表情でリング上から観客席の女性を物色しているような男が、ゴングが鳴ったとたんに「屠殺人」に変貌するのだから、対戦相手からすると本当にいけ好かないやつだったに違いない。

 そんな順風満帆のベアのキャリアに大きな影を落とすきっかけとなったのが、一九三〇年八月二十五日に行われたフランキー・キャンベル戦だった。

 デビューからここまでわずか一年三ヶ月で二十三勝三敗のキャリアを持つベアは、十九のKO勝ちのうち十五回を二ラウンド以内に片付けてきた。しかも敗戦のうち二つは反則負けである。

 対するキャンベルはキャリア六年で三十三勝三敗(二十六KO)、目下十四連続KO中と波に乗っている。しかもベアが唯一完敗を喫したレス・ケネディに四ラウンドKO勝ちしていることもあってか、対戦前から自信満々で、ベアのことを散々にこきおろしていた。

 一ラウンドから両者のプライドが激しくぶつかり合い、まずはリーチで勝るベアが接近戦からの右フックでカウント9のダウンを奪った。二ラウンドはキャンベルも盛り返し、息もつかせぬ打撃戦が続く中、ラウンドの終了間際にリング中央でもみ合った際、バランスを崩したベアが転倒しマットにはいつくばってしまった。

 観客の嘲笑を浴びて慌てて立ち上がったベアの目に入ったのは、ダウンと勘違いしたキャンベルが観客席に向かって片手を挙げながら意気揚々とニュートラルコーナーに向かってゆく姿だった。

 この余裕しゃくしゃくの態度がよほど腹に据えかねたのか、ベアは観客に気を取られているキャンベルに猛然と襲いかかり、凄まじい勢いで右スイングを叩き込んだ。これをまともに浴びたキャンベルはリングの上でくるくると二回転してロープにもたれかかったが、ここでゴングに救われた。

 ダメージが残るキャンベルは、三ラウンド以降は完全に劣勢に立った。そして運命の五ラウンド、ベアのトレーナーにして友人だったが些細な口論がきっかけで昨夜のうちにキャンベル陣営に寝返ったティリー・ハーマンの汚い野次がベアの殺傷本能を完全に目覚めさせてしまった。

 ベアの右アッパーでロープに吹っ飛ばされたキャンベルは、半ば意識が飛んでいたのであろう、ノーガードのままベアに突っ込んできた。そこに狙い済ました右フックが炸裂。キャンベルはよろよろとロープにもたれかかったが、中段のロープに腕が絡まって宙吊りになったまま、さらなる追撃弾を浴びるはめになった。

 慌てたキャンベルのコーナーからスポンジが投げ入れられたが、レフェリーのトビー・アーウィンはまるで悪魔に魅入られたかのように相手を殴り続けるベアの鬼気迫る姿の前に完全に硬直していた。観客席から「もうやめさせろ」と怒号が飛ぶ中、ようやくベアが我に返った時には、キャンバスに崩れ落ちたキャンベルはピクリとも動いていなかった。 

 翌日、キャンベルは収容先の病院で亡くなった。緊急手術で開頭した時には、パンチの衝撃で脳がずたずたに傷ついており手の施しようがなかったという。殺人容疑でサンフランシスコ市警から拘束されたベアは一万ドルの保釈金を払ってようやく釈放されたが、あまりのショックにしばらくの間、精神的におかしくなっていたそうである。

 カリフォルニア州で一年間の活動停止処分を受け、一時は引退も考えたベアだったが、生来の浪費癖のため貯金などびた一文ないうえ、キャンベル戦のファイトマネー一万ドルも借金の穴埋めであらかた消えてしまっていたので、やむなく東海岸でリングに上がることにした。しかし、以前のような荒々しさは影を潜めてしまい、キャンベル戦から一年間は二勝四敗と苦戦が続いた。

 この間、ベアの私生活に劇的な変化が訪れていた。キャンベル戦の憂さ晴らしに出かけたリノのカジノで出会ったドロシー・ダンバーに一目惚れしてしまったのである。

 サイレント時代から人気女優として活躍していたダンバーは、ベアより七歳年上ですでに三度の結婚歴がある恋多き女であった。ベアと出会った時には幸い三人目の夫との離婚準備の最中だったため、ベアは猛アタックをかけ一九三一年七月八日に晴れて二人は夫婦になった。もっとも、名うてのプレイボーイで鳴らしたベアのこと、結婚をほのめかして付き合っていた女性たちから訴訟を起こされるなど、それなりの代償は支払わされたが(ダンバーとは二年後に離婚)。

 結婚を機にベアは再び連勝街道を歩み始め、一時は遠のいた世界ヘビー級タイトルも射程距離に入ってきた。ただし結婚してからの一年間負け無しとはいえ、十勝中KOは五つしかなく、内容的に見る限りベア本来の実力が発揮できているとは言い難い。

 そういう意味では、かつて惨敗を喫したアーニー・シャーフとの再戦は世界タイトル奪取への試金石となる大事な試合であった。

 『ブロンドの虎』ことアーニー・シャーフは戦績こそ五十二勝十敗(二十一KO)とベアよりはやや見劣りはするものの、ハイレベルな対戦相手に揉まれてきただけに経験も豊富で、世界に最も近い男の一人と目されていた。

 なにしろ、ベア以外にもジェームズ・ブラドック、ヤング・ストリブリング、パウリノ・ウズクダンといったヘビー級のトップクラスに全て勝っているうえ、ベアがほとんど触れることさえ出来なかった『フィラデルフィアの幽霊』トミー・ラグラン(元ライト・ヘビー級チャンピオン)にも二勝二敗と五分の星を残しているのだ。

 一九三二年八月三十一日は酷暑のせいか、リング上のベアとシャーフも五ラウンドまでに体力を消耗してしまい、締まらない試合となった。それでもタフネスで勝るベアが終盤にシャーフを追い込み、最終十ラウンドの終了直前に右強打を頭部に叩き込むと、シャーフはその場に昏倒し約三分間意識を失っていた。

 シャーフが意識を取り戻したことで一番ほっとしたのはベアであろう。キャンベル戦のような悲劇を再び繰り返していたとしたら、もはやリングに上がる気力も失せていたに違いない。ベアはそれほどまでにキャンベルの死に責任を感じていたのだ。(後に追悼試合を行い、報酬の全額をキャンベル未亡人に手渡している)

 ところが、話はこれで終わらなかった。一九三三年二月十日、プリモ・カルネラにナックアウトされたシャーフは、意識を失ったまま四日後に二十四歳の若さで帰らぬ人となった。当初は巨人カルネラの強打が死の直接要因と見なされていたが、執刀医の所見によりカルネラ戦以前に脳が損傷を受けていたことがわかった。

 実際、ベア戦以降のシャーフは明らかに動作が緩慢になっており、カルネラからダウンを喫したパンチは何の変哲もない左ジャブだった。すでにベア対シャーフのリターンマッチから半年が経過していたため、今回のリング禍のことで当局から事情聴取されることはなかったが、ボクシング関係者や一部のファンの間では、賭け率が七対一で圧倒的に有利と見られていたシャーフがKO死したのはベアのパンチによる後遺症という見方が大半であった。

 

 話はそこから二十日前に遡る。一九三三年一月三十日、ドイツの新首相にアドルフ・ヒトラーが任命された。すでにナチスは第一党の座を占めていたが、ヒトラーが事実上のトップに就いたことでドイツの右極化がさらに進展してゆくことは陽を見るより明らかであった。ヨーロッパの暗い時代が刻々と近づいていた。

 ちょうどその頃、アメリカでは往年の名王者ジャック・デンプシーがプロモーターとしてビッグ・イベントを企画していた。前世界チャンピオンのマックス・シュメリング対実質的なNO1コンテンダー、マックス・ベア戦である。

 シュメリングは一年前にMSGの観客席から「泥棒」コールが起こるほどの露骨な地元判定でタイトルを失っており、現在無冠といってもヘビー級の第一人者であることは疑う余地がなかった。したがってベアがこの試合に勝てばタイトル挑戦はいよいよ現実味を帯びてくることになるわけだが、そのこと以上にベアはシュメリングとの対戦に固執する理由があった。

 当時、ドイツの政権与党であったナチスは早くから人種差別政策を打ち出しており、その最たるターゲットはユダヤ系の人々であった。シュメリングはナチス親派ではなかったが、ドイツの国民的英雄というだけで、父方の祖父がユダヤ人であるベアにとっては憎悪の対象になってしまったのだ。

 一九三三年六月八日、ヤンキースタジアムで行われたシュメリング対ベア戦は五万三千もの観客がつめかける大盛況で、興行収入も軽く二百万ドルを超えていた。両選手の報酬もシュメリングが七万五千ドル、ベアが二万六千ドルとこれまたタイトルマッチ級である。

 「選手生活の中で対戦相手に敵意を覚えたのはこれが最初で最後だった」というベアは、ユダヤ人の象徴であるダビデの星を描いたトランクスでリングに登場した。しかも試合前からマスコミがユダヤ人とドイツ人の対決と煽ったことで、試合会場にはユダヤ系の観客が押し寄せ、何の罪もないシュメリングが完全に悪役扱いされてしまったのは気の毒だった。

 当時のアメリカでは、政府レベルでこそ国家の威信をかけた一戦と見なす向きもあったが、国民レベルにおいては、ファシズムあるいはナチス嫌悪はそれほど浸透していなかったため、ドイツ出身のシュメリングにせよイタリア出身のカルネラにせよ、一般のファンから差別を受けることはなく、アメリカでもドル箱の人気ボクサーであった。

 ところがベアがシュメリングをまるで民族の敵であるかのように過剰に意識したことで、ユダヤ系以外のアメリカ人までが感化され、この一戦を民族同士の戦いに置き換えて見るようになってしまい、やがてボクサー個人に対する関心よりも、民族的な偏見によってファン心理が扇動されてゆく悪しき前例となった。(この試合はスポーツの世界に政治的意図が介入した最初の事例と言われている)


 一ラウンド開始のゴングと同時にベアはワイルドな右フックを振るってシュメリングに襲いかかってきた。KOしか眼中にないかのようなベアの猛攻にシュメリングもたじたじだったが、大きなモーションに合わせた左ストレートのカウンターで一瞬ベアを棒立ちにさせてからは次第に自分のペースを取り戻してきた。

 二ラウンド以降も一発狙いのベアに対し、シュメリングはジャブで距離を置きながら空振りを誘ってはインサイドからのショートの連打に活路を見出そうとしていた。

 ベアは力みすぎているのか攻撃は単調だったが、反則すれすれのパンチも随所に織り交ぜてくるのでシュメリングも気が抜けない。オーバーハンドライトが空振りすれば、振りぬいた右を戻す際にバックハンドで顔面を狙い、クリンチを振りほどく時には突き飛ばすようにシュメリングのバランスを崩しておきながら右に回りこんで後頭部を目がけてパンチを振り下ろしてくるのだからたまったものではない。事実、このパンチでシャーフは脳を損傷しているのだ。

 六ラウンドまではほぼイーブン。しかし七ラウンド以降は疲労の色が濃いベアの手数がめっきり減り、ショートレンジでの打ち合いに勝るシュメリングが着実にポイントを稼いでいった。

 そして十ラウンド、体力を温存していたベアが一気にスパートをかけてきた。九ラウンドまでとはパンチのスピードも段違いである。逆にリードブローが少なくなったシュメリングはベアの突進を抑えきれずガードを固めて防戦一方となった。

 ラウンドの中盤過ぎ、スウェーでかわそうとしたシュメリングにフォロースルーの効いたベアの右が命中すると、シュメリングは横倒しにダウン。ここはカウント9で何とか立ち上がったものの、足にきているシュメリングがロープ沿いに逃げようとするところにベアが詰め寄る。

 もう一発右を浴びてロープにもたれかかったシュメリングの後頭部を殴りつけたところでレフェリーが割って入り、試合終了。ベアは事実上の頂上決戦を制したのである。

 ベアがシュメリングに勝ってから二十日後、世界王者シャーキーは初防衛戦でカルネラにまさかのKO負けを喫し、ベアのターゲットはカルネラに移った。カルネラはベアが勝てなかったウズクダン、ラグランとの防衛戦に勝利した後、三度目の防衛戦の相手としてベアを選んだ。

 世界戦までの間ベアは何をしていたかというと、全く試合はしていない。実は映画に出演していたのである。

 一九三三年十一月に封切られた『世界拳闘王(Prizefighter and the Lady)』は、主人公のボクサーを演じるベアが歌と踊りまで披露するミュージカルコメディで、日本(昭和九年七月封切)をはじめ世界中で公開され話題となった。

 映画初出演のベアの玄人はだしの演技もさることながら、特に注目すべきは現役世界王者のカルネラと往年の名王者デンプシーがボクサーとレフェリー役で出演していることであろう。

 カルネラはムッソリーニのお気に入りのボクサーであり、イタリアもユダヤ人差別政策をとっていることを考えると、本来ベアとカルネラの共演はありえないはずだが、気まぐれで目立ちたがり屋のベアは知名度を上げるチャンスと割り切ったのだろう。

 実際のデンプシーはベアのマネージャーだが、来るべき世界タイトルマッチそのままの組み合わせでベアとカルネラがボクシングシーンを演じているところが面白い。しかも本物の世界タイトルマッチも映画と同じ結果になっているのだ。


 一九三四年六月十四日にMSGで行われたカルネラ対ベア戦は、映画のようにドラマティックな逆転KO勝利とはいかず、一ラウンドから一方的な展開となった。

 ラウンド中盤にベアの打ち下ろすような右が顎の先端に決まり、まるで巨木が倒れるようにカルネラがダウンすると、ベアはこのラウンドで片付けようと一気に勝負に出た。足にきているカルネラはさらに二度のダウンを追加されたが、何とか追撃を振り切りゴングに救われた。

 二ラウンドもベアの猛攻が続く。ベアのパンチは狙いすぎるあまり大振りになってなかなかクリーンヒットはしないものの、身体ごとあずけるように踏み込んでくるため、ダメージが残るカルネラはバランスを崩してベアと絡まるように横転。このラウンドの三度のダウンはいずれも勢い余ったベアがカルネラの上に重なりあうように倒れ込んだもので、まるでプロレスの試合のようだった。

 実に三ラウンドまでに七度ものダウンを喫したカルネラだったが、そのほとんどがもつれ合って押し倒されたようなダウンであり、ベアのパンチも浅かった。それは、スピードは遅くとも二一六cmものリーチを誇るカルネラのジャブが邪魔になってベアが懐に入りきれなかったからである。左リードが少ないベアは、ジャブをヘッドスリップでかわしながら右に踏み込みざまロングフックあるいはスイングを振り回してくるが、カルネラの長い腕に絡まるか、盛り上がった肩の筋肉に妨げられて一ラウンドのようにピンポイントにはなかなか命中しない。

 一方、カルネラの回復力も驚異的だった。七、八ラウンドにはシャーキーを一発で悶絶させた至近距離からのショートアッパーを連発しベアの腰が浮くシーンも見られた。

 中盤以降、流していたベアに再びエンジンがかかったのが十ラウンドである。ラウンド終盤にダウンを奪うと、続く十一ラウンドには猛然とスイングを振るってKOを狙ってきた。ベアも打ち疲れたか振りが大きすぎてガードが疎かになっているところにカルネラのパンチを浴びるシーンも見られたが、テンプルをかすめるような一撃でダウンを奪うと、疲労困憊のカルネラはここでギブアップ。

 結果だけ見ると、計十一度ものダウンを奪ったベアの圧勝だが、これだけ倒しながらテンカウントを聴

かせられなかったのは、過去のリング禍がトラウマになってフィニッシュブローを手加減してしまったのかもしれない。事実、この世界タイトル戦は一部の専門家からは道化試合と酷評されており、ファンの中にもシャーフ戦以降のベアは顔面への思い切ったパンチが打てなくなったと広言する者も少なくなかった。


 ついに拳の世界の頂点に立ったベアは、そのプレイボーイぶりにも拍車がかかり、もはや歯止めが効かなくなってしまった。シュメリングをKOした時には、ナチス嫌いの大女優グレタ・ガルボがからお誘いがかかり、お次は一九三〇年代のセックスシンボル、ジーン・ハーローとまさによりどりみどりだった。

 夜遊びと並行して、カジノでのショー出演、主演第二作映画のロケと多忙なベアは、実弟のバディらとのエキジビション以外はリングに立つことはなく、約一年もの間実戦から遠ざかっていた。

 それでも一九三五年六月十三日の初防衛戦では圧倒的優位と伝えられていたのは、挑戦者のジェームズ・ブラドックがライトヘビー級あがりの三十歳のベテランで、すでにピークを過ぎたと見られていたからだ。

 試合の序盤から中盤にかけては、いつでも倒せるという過信からか、ベアは相変わらずの道化師ぶりを見せていた。これはベアの女好きを利用してその狡猾さで知られるブラドックのマネージャー、グールドがリングサイドに美女を揃えてベアを挑発させた成果ともいえた。

 ベアは自分を熱い眼差しで見つめている美女たちのことが気になって集中力を欠き、終盤になってようやく本気を出し始めても大振りのパンチがことごとく空を切り、明らかな判定で逃げ切られてしまった。

 この予想外の勝利に、ブラドックが「シンデレラマン」の愛称を贈られ、その偉業が称えられた一方で手抜きとも思われるような杜撰な試合を演じたベアは、専門家筋から散々にこき下ろされた。

 とはいえ、ファンの多くはベアこそがヘビー級最強であると信じていた。そこでデンプシーはベアの名誉回復のため、ブラドックが対戦してもまず勝てる見込みはないと思われていた次期チャンピオンの最有力候補ジョー・ルイスとの試合をプロモートした。

 この試合は最強の白人対最強の黒人という興味深い組み合わせだったせいか、タイトルマッチ並みの評判を呼び、記録映画(邦題『白対黒』)として日本でも公開された。

 ただし試合内容は一方的で、ルイスのスピーディーなジャブとコンビネーションにいいようにあしらわれ、三ラウンドに二度のダウンを喫したベアがラウンド終了後に、セコンドのデンプシーに棄権を願い出たほどだった。

 ほとんど打ち合わず逃げ回ってばかりのベアの醜態に呆れたデンプシーは、「さっさとKOされてこい!」と試合続行を渋るベアを無理矢理送り出すと、ベアは大して効いてなさそうなパンチでくずぐずと崩れ落ち、そのままカウントアウトされてしまった。

 ベアにとってこれが生涯初のKO負けであると同時に、テンカウントを聞いた唯一の試合だったが、試合放棄のような負け方がいかにも芝居じみていて、ダメージを最小限に抑えるための回避行動のようにしか見えなかった。

 その証拠に、ベアはルイス戦以降は二線級とのイージーファイトが中心とはいえ、わずか一年の間に十八連勝(十四KO)と完全復活を思わせる好成績を残しているのだ。この中には二十一勝〇敗一引分のホープ、ジュニア・マンセルを一方的に打ち据え、五ラウンドKOに屠った試合も含まれる。

 再びスター戦線に返り咲いたベアは、一九三九年六月一日、次期世界チャンピオンの呼び声も高いルー・ノヴァとの対戦にこぎつけ、大きな話題となるが、下唇からの出血が原因で十一ラウンドにレフェリーストップされてしまう。

 ところがベアはまだ終わっていなかった。そのノヴァを病院送りにしたトニー・ガレントを手玉に取った勢いで、ノヴァとの再戦が実現した(一九四一年四月四日)。

 MSGに二万人強の観客を集めた注目の一戦は、四ラウンドにベアが先制のダウンを奪うも、追撃のパンチが雑でとどめをさせず、すぐにノヴァの反撃を許してしまう。

 かくして八ラウンドに二度のダウンを喫したベアはまたしてもレフェリーストップのTKO負けに退いたが、ルイス戦の時のダウンよりもダメージは深刻そうだった。

 これで自らの限界を悟ったのか、現役を退いたベアは俳優業の傍らレフェリーとしても時折リングに姿を見せるなど、相変わらずの人気ぶりで多忙な日々を過ごしていたが、五十歳の若さで心臓麻痺で急死した。

 生涯戦績 66勝13敗(51KO)

 


ベアは金遣いも荒かったが、多くの先人たちのような経済的破綻をすることはなかった。社交場に入り浸ってはいたものの、誰かが勘定を済ませるまで女の子たちを笑わせてばかりいたというから、その辺はちゃっかりしていたようだ。

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