表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/17

第5話「君を、愛してる」

 

 春の王都は、日ごとに華やかさを増していた。


 だが、王城の奥深くにある第三王子の私室では、重苦しい沈黙が空間を満たしていた。


 ルシアン・ヴァルトハイムは、カーテンも開けず、机に肘をつき、頭を抱えていた。


 (……また兄らの会議には呼ばれなかったか)


 王位継承権がありながら、“次の王”の座からは外れている

 ——それがルシアン・ヴァルトハイムの王宮での立ち位置だった。


 第一王子では長兄である ハンセン・ヴァルトハイムは誰もが納得する帝王の器を持ちながらも、健康不安により継承は困難とされている。


 二番手である第二王子 グラハムは軍務に長け、国内外に睨みの利く実力派として知られており、順当に考えれば次期王で間違いないのだが——


 その合理主義で冷酷な人間性への不安が王宮内で高まっており、絶対的な支持を集められてはいなかった。


 このままでは相続権を争い、王宮が二分する。


 だからこそ第三王子であるルシアンは、あえて自分に”無能””放蕩”のレッテルを貼ることにした。


 “政治的に適度なお飾り”という居場所が与えることで、平穏な王宮暮らしを得たかったのだ。


 

(おかげで……王宮会議にも出席せず、平民の買い出しルートを分析している暇があるってわけだが)


 誰もが「問題児」と見なす中、ただ一人——アリサ・クリスティ。

 彼女だけが、自分にまっすぐな視線を向けてくれた。


(まったく……何やってるんだ私は)


 目の前には山のように積まれた資料。

 書類の中身はすべて、“王都南部の市街地商店の買い出しルート”および“平民の生活動線”に関する報告だった。


 言うまでもなく、それらは彼女——アリサ・クリスティの動向を追うために、彼が情報部に依頼して集めさせたものである。



「まさしく職権濫用だな……放蕩王子ここに極めり……か」



 書類の間から顔を覗かせた小さな手帳には、“中央市場・アラハン商店にての遭遇確率/8回中4回(50%)”と、律儀に記されたメモ。


「もしこれで会ったとて偶然じゃない。なんとも……戦略的、そう、戦略的アプローチってことだな」


 苦し紛れの言い訳を呟きつつ、椅子の上で項垂れる王子。



 そしてその日の午後、王城の外へ“たまたま”出向き、“偶然”アリサの買い出しルートに現れ、

 “たまたま”会話を交わす——それをなん度も返すのは、もはや狙撃より正確な偶然操作であった。



 アリサの優しさもあり、その場で軽く会話が弾む程度の関係にはなっていたが、彼女はまだ、自分が誰なのか知らない。


(まさか、王子なんて名乗ったら、彼女の性格からして、絶対距離置かれるに決まってる。どうしたものか)


「かといって……このまま名前も言わず、ただの通りすがりの出会いを装うのも……流石に無理がある」


(そもそも——それでいいのか?ルシアン・ヴァルトハイム)


 誰にも答えられない問いが、彼の部屋の空気に溶けていった。




 * * *




 その日の午後も、ルシアンはフードを被り、城を抜け出していた。


 王都南部。小さな市場の一角。

 新鮮な野菜を並べた屋台の前で、見慣れた黒髪が揺れた。


「いた……アリサだ」


 息を呑む。


 今日はやけに眩しく見える。昼下がりの陽射しが彼女の白いエプロンを柔らかく照らし、あのガラスのように澄んだ瞳が、今日もきっと誰かを救うように優しく笑うのだろう。


 距離を詰める。声をかけようか、肩を叩こうか、何度繰り返した“偶然”の再会なのに、言葉だけが出てこない。


(だめだ、これではまるで中途半端な演劇役者じゃないか)


 だがその瞬間。


 アリサが手にしたかごから、布包みに包まれた瓶がころんと転がり落ちた。


「……っ!」


 反射的に足を伸ばし、キャッチ。


「っと、危ない」


「あ……!」


 アリサがこちらを向く。その視線が合った瞬間、何かが静かに繋がる。


「あら……またお会いしましたね!」


 ふわりと笑う彼女に、ルシアンの胸が詰まる。


「ま、また偶然だな。君は今日も買い出しかい?」


「はい、お嬢様のために。……相変わらず、同じ場所でお会いしますね。もう傷は大丈夫なのですかか?」


「ああ、君の処置が良かったおかげで、すっかり元通りさ。王宮医ですら関心していたくらい……(しまった)」


「王宮医?……それは流石に大袈裟ですよ。でも悪化しなくて何よりでした」


 アリサはそう言って、笑顔を向けた。


 ルシアンの脈が跳ねる。自覚している。それはもう完全に——恋だった。


(やっぱり、このまま名乗らずに彼女に近づくのは、不誠実なんじゃないか?)


「アリサ……あの、俺のこと、まだ何も話してないよな」


「はい?あ、たしかに……まだお名前も伺ってないですね!失礼しました!」


 言いかけた名前が喉元で止まる。

 言ってしまえば、きっとこの関係は壊れる。

 でも、黙っていても、それはやっぱり——


「俺の名前は……」


 覚悟を決め、自分の名を言いかけた時、突如として、空気の色が変わった。


 市場の外れで、複数の兵士たちが馬車を取り囲んでいる。


 市民のざわめき。目を凝らすと、馬車の上で何か布に包まれた木箱が運ばれていた。


「王家の紋章……?」


 瞬間、ルシアンの背筋に冷たいものが走った。


(これは……軍機だ。こんなところで動くなんて、何が——)


「あぶない、伏せて!」


 アリサの声と同時に、背後から矢が飛んだ。


 すぐ横の壁に突き刺さる。誰かが狙っていた。彼を。


「こっちです、早く!」


 アリサは迷わず、手を引いた。


 人波をすり抜け、裏通りへ。狭い路地を走り抜けながら、ルシアンは確信した。


 これは単なる通り魔ではない。何者かが、意図を持って——


(王子である俺を狙っていた……?)


 やがて、安全な路地裏に身を隠し、息を整えながら、ルシアンはアリサに向き直った。


「アリサ……どうして、矢が来るのが分かった……?」


「私、セレーナ様の従者として、色んな“見る目”を育てられてきましたから。でも……それだけじゃない」


 アリサの瞳が揺れる。


「貴方が“名乗らない”理由も、何となく分かってた気がするんです」


「そう……俺は、ずるい男だ。身分を隠して、偶然を装って何度も近づいて……君の気持ちに甘えて」


「でも、私も嬉したったんですその……身分がどうこうじゃなくて、あなたを私の目で見て、誠実な人だなって思ったから」


 その一言が、ルシアンの胸を突き抜けた。


「こんな、嘘だらけの俺を、そんな風に」


「でも、その優しさは、本物なのでしょう?」


 この時、ルシアンは確信した。

 自分の人生は、この人に捧げるためにあるのだと。


 ——だが。


「俺は、俺の名はルシアン・ヴァルトハイム……このまま進めば、きっと、君を巻き込むことになる」


「でも——まだここは安全では」


 アリサの言葉を遮るように、ルシアンが一歩退いた。


「まだ……今は、その時じゃない。でも約束する、後日必ず迎えに来るから、君は自分の屋敷に帰ってくれ」


 その瞬間、背後の影に気づいた。


 王国直属の諜報部——“黒鴉”の一人が、静かに現れる。


「ルシアン殿下。今の襲撃、我々の管轄です。どうか、お戻りを」


 ルシアンはしばし沈黙し、やがてうなずいた。


「……わかった」


 アリサにもう一度視線を向ける。


「アリサ、俺は……私は、君を愛している」


 それだけを告げて、彼はその場を後にした。




 * * *



 その夜、アリサはセレーナ・フォレスターの屋敷で自分に与えられた専用室で思いにふけっていた。


 

「君を、愛している……か」


 ルシアン・ヴェルトハイム……その名前は流石にアリサも知ってた。


「高貴な人だとは思ってたけど……まさか王子様だったなんて」 


(それにしても、あの時の矢は、本当にルシアン様を狙ったもの——?)


 アリサは矢が放たれる瞬間……自分の背中に、何か異様な気配を感じた気がした。

 だからこそ、直前に危険を察知することが出来た。


 セレーナから教わった、状況把握と危険察知の観察術。

 それが役にたった瞬間だった。



 ——もし、あの矢の狙いが、自分に向けられたものだったとしたら。



 そう考えながら、自分の部屋を見渡す。

 そしてメイドにしては、随分と良い環境を与えられていると改めて感じた。


(セレーナ様は、私をメイドではなく、まるで妹のように扱ってくださる。

 あの方の為なら、私は何度でも、この命を投げ出す覚悟ができている)


 もしこのまま自分がこの屋敷にいれば、ルシアン王子を取り巻く何かの陰謀に、

 セレーナを巻き込んでしまうかもしれない。


 アリサにとってそれは、絶対に避けたい可能性だった。


(セレーナ様には、静かな暮らしを取り戻してほしい。

 あの方の笑顔には、戦や陰謀は似合わない。


 私がここを離れることで、それが守られるなら本望だ)



 アリサはその夜、静かに荷物をまとめセレーナ・フォレスターの元を去った。


「個人的なトラブル、一身上の都合につき、しばらくお暇をお与えください」


 とだけ、置き手紙に記して。


 そして彼女は、荷物を抱え屋敷から街へと続く街路樹をゆっくりとした歩き出す。


 ——これが、今の私にできる誠意。



 セレーナ様の平穏は、絶対に私が護るんだ。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ