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第4話 「セバスチャンの憂鬱」

 

 王国領・城館最上階の参謀執務室。



 陽の光を拒む分厚いカーテン、壁一面を覆う戦略地図。



 その中心に置かれた黒檀の机には、整然と文書が並び、一糸乱れぬ秩序を保っていた。



 ——だが、セバスチャン・クロイツネルの視線は、そのどれにも向いていなかった。

 彼は肘をつき、万年筆の先を空中でくるくると回し続けている。



 体型に一糸乱れず完璧にフィットした白い執務スーツ。


 冷静沈着を絵に描いたような整った顔立ち。


 輝く銀髪の前髪からのぞく、鋭く知的なまなざし。


 その姿は、まるで氷でできた彫刻——美しさと威圧を同時に帯びた存在感を放っていた。


 ……ただしその内側に、“恋愛とは定量化可能な現象である”と信じて疑わないという変態的思考、

 いや、致命的にポンコツな恋愛回路を隠していることを除けば、だが。



(……愛情表現とは、なぜこれほどまでに困難なのだ)




 彼の目の前の文書に記されたタイトルは、


 《セレーナ・フォレスターへの恋情プレゼン案 第32項》


 それは——恋文でなく、まさしくプレゼン資料の類だ。


 彼にとって“愛”とは、論理に支えられてこそ真実味を持つものだった。




(論理的に正しければ、彼女の知性ならば理解してくれるはずだ。前回の“我が愛の提案書 改訂版その9”は、その点完璧だった)




 ——完璧なはずだったのだ。


 内容は構成三部、訴求四項、注釈付き。さらに詳細な補足意見を加えて添付したのだ。


 それを、目の前でセレーナにびりびりと破かれた。



(あれは……想定外だった)


 セバスチャンは心の底から困惑していた。


 愛とは、伝わるものではなく、理解されるべきものだと信じていたからだ。




 (“好意”とは、数値化できないものなのか?)


 試みに、今朝は“あなたの存在は私の思考の87.6%を占めています”と伝えてみようかと考えた。

 理路整然、正確無比。それでいて深い情が滲むはずだった。




 ——だが直後、脳裏にあのセレーナの表情と言葉がよぎる。


『あなたはね、ミスター・ノー・デリカシーよ。セバスチャン』


 あの冷ややかな目。

(だが、それが良い……)


 鼻で笑うでもなく、ただ無言でプレゼン資料を破棄する所作。

(不思議に嫌な気持ちにはならなかった、むしろ——)



「しかしなぜ……この真摯な想いが、なぜ伝わらないのだ」


 彼は王国が誇る天才だ。戦略、外交、統計、文化論——

 すべてにおいて一流、否、異次元だ。


 国内で知謀において匹敵する人物といえば、彼の愛の対象——



 セレーナ・フォレスターくらいだろう。



 だが、セバスチャンのセレーナへの愛のアプローチは、ことごとく失敗し続けていた。


 もうお分かりだろうが、恋愛においてはの彼はまったくのポンコツ。

 恋愛学校落第レベルと言える。



(彼女の“好き”とは、私の“正しさ”とは違う……異なる規範のもとにあるのか)


  彼はふと立ち上がり、書棚に並ぶ、これまで自分が書き溜めた執筆資料の背表紙を見やる。


  一冊、転生者についてまとめた考察資料が目に入る。



(……やはり転生者には転生者にしかわからない”嗜好”があるのだろうか)



 セバスチャンは、窓の向こうに霞む王都の屋根群を眺めながら、そっと息を吐いた。


 彼には確信があった——セレーナ・フォレスターは、かつて別の世界に生きていた存在だと。

 その口ぶり、価値観、時折ぽろりとこぼれる比喩や言い回し。

 それらは、この大陸のどの学術体系にも一致しない。


 そして何より——死んだ弟のヨハネスに転生した“ヨージ”の存在が、大きな鍵だった。


 彼が断片的に語った“元の世界”の構造、文化、技術。それらは、セレーナの振る舞いと不思議なほど一致する。


 ——ただし、その先はまだ霧の中だ。


(異世界からの転生者がこの世界にもたらす影響……彼らの知識体系、そして——因果の交差。まだすべては見えていない)


 仮説はいくつもある。だが、決定打が足りない。


 彼は知っている。この謎を解き明かすことは、戦略上の大義を超えて、

 セレーナという存在を「正しく理解する」ための、彼なりの渾身の努力でもあった。


 その時、ノックが響いた。


「閣下、ご報告を」


「入れ」


 扉を開けて入ってきたのは、情報部付きの副官。硬い表情が、何かの異常事態を示していた。




「今朝未明、国境監視隊が不審人物を拘束しました。若い女性、吟遊詩人風ですが……


 事故による記憶混乱の可能性もあり、しかも——“転生者”を自称しております」




「……転生者、だと」




 セバスチャンの瞳が、わずかに細まる。




「はい拘束後の言動も奇妙で……

 “地面に魔力がないのかも!”と土に念を送り続けたり、勝手に“高貴な血を引く者”を名乗って倒れたり……兵の間でも少々混乱が」



「ふむ……実に興味深い。その女は今、どこに?」




「第二区画の収容棟に——」


「……わかった、私が行こう」




 副官の眉がぴくりと跳ね上がる。




「自ら、ですか? このような——」


「その証言が“本物”であれば、彼女(セレーナ)に関わる……いや、『私の仮説』を証明できるかもしれない」




「仰っている意味が……」


「分からなくて当然だ」




 セバスチャンはゆっくりと席を立ち、肩にかけた白の外套をひと払いした。


 その動作に、奇妙なまでの覚悟がこもっていた。




 まるでこれから戦場へ赴くかのように、彼は静かに歩き出す。



(転生者を理解するには、転生者を分析するのが最も合理的だ。

 なんという僥倖……やはり私とセレーナは結ばれる運命……なのだな)




 それはあまりにも奇妙で、そして真剣な——“恋の探求の始まり”だった。


「転生者とは何か……その因果の連鎖まで、私が解き明かしてみせよう」




 冷徹と情熱が同居するその声音に、誰もが彼の本心を測りかねる。


 けれどそれこそが、セバスチャン・クロイツネルという男の——


 一途で滑稽な“片想い”のかたちだった。




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