第3話「もう一人の転生者」
……やばい、やばい、やばい、これ、どういう状況……?
地面は硬くて冷たい。しかもゴツゴツしてて、背中からじわじわ湿気が染み込んでくる……すっごい嫌な感じ。
鼻をつくのは泥と水、そして草の青臭さ。
風の音が耳の奥でゴーッと鳴り、空がやけに——いや、明らかに高い。
「え……ここどこ?」
ミユキは泥まみれの顔をしかめながら、なんとか上体を起こした。
骨は……たぶん折れてない。頭はガンガンするけど、生きてる。たぶん。
「あたし、生きてる……? てか、死んだ……?」
記憶をたどる。
通学中。チャリで坂道を下りながら、スマホ片手に同人誌に夢中だった。
(いや〜あれ尊かった……推し×推され(逆カプは認めない)で、養い婚契約からの忠誠心MAXな年下攻めが——)
「ノー!そこ今じゃない!!」
ミユキは自分の頬をぺちぺち叩いた。
「そう、たしかあれだよ……飛び出してきた柴犬を避けようとして、フェンスが……なかった? いや、あったけど低すぎた!?」
最後に見たのは、水路っぽい斜面。自転車ごと宙を舞って、水面に向かって回転して——
死を覚悟した。
「……ながらスマホの腐女子高生、犬を避けて転落死」
自分で口にして、あまりのシュールさに頭を抱える。
「ダサい!いや、エピローグが雑すぎでしょ!ネットでも流行んないよそんなクソラノベ!」
ぐったりと肩を落とし、泥にまみれた長袖シャツとよれたスカートを見下ろす。
スマホは? バッグは? ……ない。
(てか、どこここ……東京じゃなくない? いや、日本ですらない気がしてきた)
鳥の声しかしない。車も電車も、文明の音がしない。
空は濃く、雲の形すら絵画的。
「ま、まさか……異世界転生……とかじゃないよね?」
自分の声が、妙にクリアに響いた。
ミユキはずるずると小川へと這い寄る。水の音。浅瀬。清涼感。
(まずは水分補給! 水があれば一週間は生きられるって動画で見たし!)
そして川面を覗き込んだ、そのとき——
「……誰?」
そこに映ったのは、自分ではなかった。
波打つ栗色のロングヘア、宝石みたいな紫の瞳、陶器のように白い肌、整いすぎた顔立ち。
「これ……私!? いや、“理想の受け顔”じゃん……!!」
言葉を失うミユキ。
「なんで自分の顔にキュンとしてんの!? 推しの女体化かっての!!」
顔をぱしゃぱしゃ洗っても、映る美少女は変わらない。
服も布地の編み込みが細かくて、どこか中世風。
「ガチ?……ここ完全に異世界だわ……」
ガクブルの膝を押さえながら、ようやく確信に至る。
「異世界転生って本当にあったんだ……!ひぃぃぃやばいぃぃぃぃ!」
(でも異世界モノなら絶対テンプレあるじゃん!? とりあえず知識は履修済みだしなんとかなるっしょ!)
その瞬間、彼女の脳内で“履修済みテンプレ”がフル回転し始める。
(よし、まずはチート確認! ステータスウィンドウ! 魔力覚醒! 精霊召喚!)
高々と右手を掲げる。
「出でよ、私の転生特典っ!!」
……無音。
「……え、ノーエフェクト!? バグ!? いや、セリフミス!? 何も起きない系!?」
さらに両手を広げて構え直す。
「我が血に宿りし封印の力よ……解き放たれろっ!!」
……風すら吹かない。
「え、無風!? ノーエフェクト2連!? 待って、どのテンプレにも当てはまってないんですけど!?」
膝をついて空を見上げる。
「テンプレが通じない……ってマジか……どうすればいいのだ!」
そのとき、崖の上から声が響いた。
「そこにいるのは誰だ!」
衛兵らしき男たちが数名、こちらを見下ろしていた。
銀の胸当て、濃紺のマント、腰に剣。完全に“ファンタジー側”の人種。
(来た!異世界モブだ!テンプレ通りにまずは自己紹介よね!)
ミユキは勢いよく立ち上がり、胸を張って名乗る。
「我こそは異界より来たりし運命の迷い子……ミ……」
(ダメだ、本名“ミユキ・タカハラ”じゃモブのスイッチに響かない!)
「我が名は”ミュリエル・カレル”! 神に選ばれし転生者なり!!」
一瞬の沈黙。
「……あれ、こいつ、吟遊詩人のエリンじゃね?」
「ああ、最近国境をうろついていた要注意人物か」
「名前が違うだろ!なぜ嘘をつくんだ……怪しいな」
「え、あのですね!これはキャラ名っていうか、思いついた設定で……」
ミユキは必死に説明するも、衛兵たちは呆れていた。
「おまえ頭を打ってるのか……?」
「もしかしたら宗教の勧誘かもな」
「念の為、拘束した方が良さそうだな」
「ええっ!? ちょ、違うって!テンプレの出だしは“保護”されるのがセオリーなのに!」
「やはり意味不明だ、捕縛せよ」
「えええぇぇっ!? 早すぎない!?いったん落ち着いて話合おう!」
あわてて叫ぶミユキもとい、ミュリエル。
「ええい、大人しくしろ!痛い目にあいたくはないだろ!」
「そこはテンプレなの?チートは!? スープは!? 村長の出迎えは!? “この味は……味噌汁に近い”って言わせてよぉぉぉ!!」
その日、ノアザルト辺境にて、“高貴な生まれを自称し謎の言動を繰り返す女”が捕縛されたという記録が、王国国境警備日報に記された。
そしてそれは、規定に従い、王国参謀長官 セバスチャン・クロイツネルへと送られることとなる——。