第13話「追憶の歌姫」
グラハム邸の謁見の間に、朝の陽光が射し込む。
第二王子グラハムは、濃紺の衣装に身を包み、背筋を伸ばして長机の奥に座していた。
その肌は雪のように白く、目元には知的な陰影が宿る。穏やかな微笑みの奥に、どこか冷ややかな無感情が混じる。
髪は淡い茶色、額から流れる一筋の前髪が、瞳の光を半ば隠していた。
その瞳は氷のごとく透明だが、ほんの一瞬、相手を値踏みするような厳しさが閃く。
「準備はできているか?」と静かに尋ねた時、その声には王子としての慈しみと、命を断ずる覚悟が同時に滲む。
側近のひとりが緊張した面持ちで耳打ちする。
「不審者の処置は完了いたしました」
グラハムは、優雅に首を縦に振ると、ごく淡い笑みを浮かべた。
「よろしい。……だが、二度目はない。 “王家の務め”とは、失敗を許さぬものだ」
その一言で、謁見の間に緊張が走る。
やがて扉が開き、セバスチャンたちが案内される。
王子はすでに微笑の仮面を完璧に纏い直していた——
セバスチャンに伴われてミュリエルは緊張気味に足を踏み入れた。
謁見の間にはグラハム第二王子と数名の側近が待っていた。
ミュリエルは(こんなの絶対プリンセスルートだよ!)と心の中で小さく騒いでいるが、グラハム王子が穏やかに微笑むと、空気が一変する。
「君が……“昨夜の歌姫”だな?」
「は、はひ!わたくし、ミユ……じゃなくて、ミュリエルです」
(やっば、本物の王子さまだ……校長より偉い人と話したことないんですけど!)
「実は近々王宮で開催される晩餐会の吟遊詩人を探していてな。ぜひ、朝のひとときにふさわしい歌をここで聞かせてほしい」
グラハムは穏やかながらも、どこか探るような目で彼女を見ている。
「え、え〜と……」
一度戸惑い、チラりとセバスチャンを見るミュリエル。
「どうしよう……あたし場違いじゃない?」
ミュリエルはふだんの調子でおどけてみせる。
「大丈夫だ、君の実力なら問題ない」
そう言ってセバスチャンは、彼女の背中を優しく押す。
ミュリエルは、セバスチャンに認められたことで何故か心が落ち着き、自信を取り戻した。
すぐに(ここで適当なアニソンはマズい!)と内心を律し、と真摯な声に変わる。
「……失礼します。お耳汚しにならなければ……」
彼女は歌に関しては常に真剣だった。以降、ふざけた仕草も見せず、大きく一礼し、しばし沈黙する。
(どうする……あたしは今、吟遊詩人としてここにいるだよね……)
認められてる——その状況に、胸の奥で何かが疼く。
“この場にふさわしい歌”——そう自問した瞬間、脳の奥を殴られたような衝撃と光がスパークした。
——彼女の脳裏に、”前世”の情景が、再びフラッシュバックしたのだ。
記憶の底から、花の香りと血の気配が甦る。
目の前のグラハム王子の姿が重なり合うように二重写しになり、視界の端に古びた礼拝堂や血に濡れたリラの花びら、そして涙する女性の幻が差し込む。
(……これは、誰かの記憶?……国境の小村。死にゆく姫に歌を捧げている——血に濡れたリラの花、呪われた王の伝説……?なんだこれ)
ふいに頭の奥が「ギン」と鳴る。
同時に、初めて聞く旋律と、神話の一説が浮かぶ。
(……何だろう、急に……)
そこからは、ほぼ無意識だった。
思わず口を突いて出たのは、見知らぬ哀歌の旋律と歌詞だった。
「アドラの赤き花 月夜に香り
血塗られし契り 王家の影
花は散りて 誰がため咲く」
ミュリエルは自分が歌っていることさえ一瞬忘れるほど、深い感情に包まれる。
グラハムは一音一音に釘付けとなり、曲が終わると明らかに蒼ざめていた。
「その歌——君はどこで知った……?」
ミュリエルはしばし呆然となる。
「……なぜか、ふと浮かんで」
グラハムは周囲の視線をはらい、そっと声を潜める。
「もう一度聞く……なぜ知っている」
冷徹として知られるグラハム王子の手がわずかに震えていた。
するとセバスチャンが、ミュリエルをかばうように一歩前に出る。
「殿下……私の部下が無礼を働きましたなら、お詫びいたします」
「それは無用だ。だがセバスチャン——なぜ彼女が“この歌を知っている”のか……興味がある」
謁見の間に、冷たい空気が満ちる。
「偶然でしょう、殿下。ミュリエルには不思議な閃きの……才能があるのです」
そう言ってセバスチャンは、チラリとミュリエルに目線を送る。
そこには、「何も喋るな」という無言の圧力があった。
「……まあ良い。ミュリエルよ、君の才能は確かのようだ。晩餐会の歌唱を正式に依頼したい」
グラハムはじっとミュリエルの顔を見つめ、静かに呟いた。
「あ、ありがとうございます!がんばります!」
「君の歌声は、不思議と過去の記憶を呼び覚ます……ただ記憶とは美しいものだけではない」
その声には、先ほどまでの穏やかさはなく、どこか遠い過去を憂うような、あるいは怯えにも似た響きがあった。
「いまの歌は……二度と王宮で口にしてはならない。それが……君のためでもある」
ミュリエルはその意味を測りかねて、ただ目を見開いた。
「なぜ……でしょうか?」
「理由は聞くな。だが、もしもまた——“血の花”の旋律がどこかで響いたなら、そのときは……君の身に何があっても不思議ではない」
そしてグラハムの瞳に、一瞬だけ“威圧”とも“警告”ともとれる凄みが宿る。
「晩餐会が楽しみだ。君の歌が、病いで気を落としている兄の癒しになるだろう」
ミュリエルは胸を押さえ、小さくうなずいた。
セバスチャンがそっと彼女の肩に手を置く。謁見の間には奇妙な緊張と、誰にも消せぬ影がただよっていた。
そのままグラハムは、側近にだけ低く指示を出し、長いマントを翻して退出していく。
グラハムが去った後も、謁見の間には妙な静けさが残った。
ミュリエルはその場に立ち尽くし、胸の奥に残る“凍てついた”ような余韻に身震いした。
喉が、ほんの少しだけひりつく。指先にも微かな震えが残っている。
セバスチャンが静かに寄ってきて、彼女の肩に手を置いた。
「……ミュリエル、気分は大丈夫か?」
彼女は、しばらく答えられずにいたが、やがて弱々しく微笑んだ。
「うん……でも、ちょっとだけ、変な夢を見てた気がする。
なんだろう……あの歌、どこか“思い出せない場所”に立っていたみたいで……」
そのとき、部屋の片隅で控えていた側近の一人が、じっとミュリエルを観察するような鋭い視線を向けてきた。
(……なだこの人の探るような目線、こわいよ)
思わず視線をそらすと、なぜか背筋に冷たいものが走る。
セバスチャンは小さくため息をつき、ミュリエルの手を引いて出口へ促す。
「無理はしないでいい。……もし何か思い出したら、必ず私に話してくれ」
「うん……」
扉を閉じる直前、ふとミュリエルが振り返ると、今もなお残る謁見の間の空気は、まるで何かが“沈黙”の中で蠢いているようだった——
(まさか……さっきのはこの体の、元々の記憶?)
歌い出す前、胸の奥で何かがざわめき、まるで自分が“他人の人生”をなぞっているような感覚が走ったのを思い出す。
(あの歌……あたしは、いったい誰なのよ)
歩きながら無意識に胸元をぎゅっと押さえ、微かに痛む喉に手をやる。
ミュリエルはその不安を隠すように、セバスチャンの腕にそっと寄り添った。
セバスチャンは何も言わずに彼女を受け入れた。
「何も心配しなくていい……私がついている」
微笑を浮かべミュリエルを気遣うセバスチャンだったが、その胸には王国一の策士の魂と好奇心が、激しく渦巻いていた。