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第9話「救いと陰謀の影」

 ——夜の静寂を切り裂くように、扉が軋み、ゆっくりと開いた。


 アリサは小刀を両手で握りしめ、じっと息を殺した。

 足音——そのリズムがなぜか懐かしく、けれど心臓の高鳴りは止まらない。


 扉の向こうから現れたのは、薄闇に映える金髪の青年だった。

 その優しいまなざし、少し乱れた息づかい、どこか安堵の色を滲ませている。


 「……ルシアン様?」


 思わず声が震えた。


 「アリサ、無事でよかった——」


 彼は一歩近づくと、そっとアリサの手を取り、確かめるように握った。

 その温もりと眼差しに、アリサの緊張は一気にほどけた。まるで、夜の闇に光が差し込んだかのようだった。


 「どうしてここが……?」


 「信頼できる部下に命じて君の身を案じて探していた。追手がすぐそこまで迫っている。今は何も言わず、私と一緒に逃げてほしい——」


 ルシアンの言葉はどこまでも真剣で、優しくて。

 アリサは、涙がこぼれそうになるのをぐっと堪えた。


 「……すみません。黙っていなくなって、ご心配をおかけして……でも、今は、もう……」


 「いいんだ、アリサ。君が無事ならそれでいい」


 ルシアンは、心底ほっとしたような笑みを見せた。その笑顔に、アリサの不安もふっと消えていく。


 「でも、少しだけ……準備させてください。大事なことがあるんです」


 「わかった、でも急いでくれ。いつ押し込まれてもおかしくな状況なんだ……」

 

 ルシアンは少し戸惑いを見せたが、すぐに気を取り直してうなずいた。


 「大丈夫です。ほんの数分だけで構いません」


 アリサはそう言うと、静かに教会の三階へと向かった。

 教会の鐘をを鳴らすための待機部屋にはいると、釣ってあったランプに火を灯し、窓辺に掲げる。

 そして鐘楼へ上がると、確かな手つきで鐘のロープを引いた——ごーん、夜の街に鐘の音が響く。


 ルシアンは、下からその様子を心配そうに見上げていた。


 アリサは戻ると、彼に微笑んで言った。


 「これで、追手は私がここにいると思います。ほんの少しでも、私たちの動きを遅らせることができれば」


 「なるほど、君らしい……」

 

 ルシアンは思わず苦笑し、彼女の肩にそっと手を置いた。


 「では行きましょう、ルシアン様……子供達が目を覚まさないよう、裏口から静かにお願いしますね」


 ルシアンは小さく頷くと、周囲を警戒しながらアリサの前を歩き教会の裏口へと向かった。


 アリサはルシアンに促され、静かに裏口を抜け出した。

 その背に、夜の静けさと、誰にも知られてはいけない秘密が、重くのしかかるようだった。


 遠くでまた、犬の吠える声が聞こえた。

 追手の影は見えないが、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない——


 教会の裏口をそっと閉じて街道へと歩き出すと、夜の闇がふたりを包み込んだ。

 アリサは小さく息をつき、ふと、もう一度だけ教会の方へと振り返る。


 三階の窓辺には、吊るしたランプがじっと夜空に揺れている。

 その灯りは、まるで誰かへの合図のように、静かに、しかし確かにアリサの存在をこの地に示していた。


 アリサの視線は、ついで領主館の方角へと滑る。

 

 丘の上に建つ大きな屋敷。その窓にも、ひとつ、またひとつと灯りがともりはじめていた。

 遠く離れたその明かりは、今の自分たちを見張る誰かの気配すら感じさせる。


 「……行きましょう」


 アリサは静かに言い、ルシアンの隣に並んだ。


 ふたりは足音を忍ばせ、人気のない裏道を辿って街を抜ける。

 開拓地特有の仮設小屋や資材の間を抜けていくと、やがて森への細い脇道に出た。


 森道を進むふたり。アリサはルシアンの背中を見つめながら、足元の小枝を避けて歩いた。


 「すまない、怖い思いをさせたね。でも、もう大丈夫。ここを抜ければ安全な場所がある」


 ルシアンは優しい声でアリサを気遣う。


 「はい……ルシアン様がいてくださるなら、どこへでも」


 そう答えながらも、アリサは慎重に歩を進める。

 風が木々を揺らし、ふたりの影が夜道に長く伸びる。

 ふたりが森の小道に足を踏み入れた時、ルシアンが少し声を潜めて言った。


 「もう少し先に進めば帝国領へ続く街道に出る。途中に馬車を隠してあるからそこまで行けば——」


 アリサは一度立ち止まり、かすかに首を振った。


 「いえ、今この時間にそちらへ向かうのは逆に危険です。帝国に続く街道は夜間、衛兵が巡回していますので怪しい動きはすぐに察知されてしまいます」

 

 ルシアンは少し驚いたような表情を浮かべるが、すぐに真剣な面持ちでアリサの言葉に耳を傾ける。


 「……いや衛兵はなんとかなる。実はここの領主には秘密裏だが事前に話を通してあるんだ」


 「領主様に?……そうなんですね。さすがは王子様です」


 「ああ、だから馬車まで辿り着けば、あとは何とかなるはずだ」

 

 アリサはしばし考えると、首を振ってルシアンを呼び止めた。

  

 「ルシアンさま、やはりそちらの道は危険です」


 「アリサ……ではどうするんだ?こんなところに居ても追っ手に見つかるのは時間の問題だ」

 

 「じつは……この森の奥に、昔から誰も寄りつかない廃屋があります。旧領主の古い別荘です。巡回兵が帰る夜明け近くまでは、そこに隠れるのが一番安全です。あそこなら、誰にも気づかれません」


 アリサの瞳は落ち着いていて、状況を冷静に見極めていることがよくわかった。


 ルシアンは一瞬だけ逡巡したが、やがて納得したようにうなずいた。


 「……わかった。君がそう言うなら、信じるよ」


 「ありがとうございます」


 するとルシアンは、すこし戻ったところにある大木に駆け寄った。

 その陰から後方を観察し、追っ手がいないことを確認すると「大丈夫だ」と言ってアリサの元へ戻った。

  

 「道はこちらです——」

 

 アリサはルシアンを先導し、森へと続く暗い小道へと進み始めた。


 森を抜けると、ひときわ古びた廃屋が月明かりの中に現れた。

 外壁は蔦に覆われ、半ば崩れかけた玄関は錆びついた鎖で固く閉ざされている。


 「ここです。昔の領主の別荘だった場所……もう誰も使っていません」


 アリサは、廃墟の前で足を止めた。

 ひんやりとした夜気が、頬を刺す。遠くでふくろうが鳴いた。


 ルシアンは周囲を見渡し、警戒しつつ鍵穴に手をかける。

 

 「少し待って——」

 

 懐から短い針金を取り出すと、器用に鍵をこじ開けた。乾いた音と共に扉がわずかに開く。


 ふたりは息を潜めて廃屋の中へ踏み込む。

 かつては栄華を誇っていたであろう、迎賓の間の床板は所々抜け、長い年月の埃と闇が、すべてを呑み込んでいた。

  

「よかった、ここで休みましょう」


「……ああ、少々気味が悪いが、野宿よりはましだな」

 

 

 ◇ ◇ ◇


 

 ——その頃、夜の森に、黒い影が疾走する。


 月明かりの下、黒いガウンに身を包んだ人物が、廃屋を目指して森を駆け抜けていた。

 その腰には、しっかりと鍔のついた長剣が帯刀されている。衣擦れも音を立てず、足運びは静かで、俊敏だった。


 その背後には、いくつかの人影が、距離を保って続いている。

 気配を消し、落ち葉を踏むことすらためらうかのような慎重な足取り。誰もが、まるで訓練された兵のように動きが揃っている。


 先頭を行くリーダーらしき人物は、細身ながらもその身のこなしには、ただならぬ戦闘の経験が滲んでいる。

 

 なぞの集団が廃屋の屋根を遠目に捉えた瞬間、その動きを緩め、さらに慎重に前方を伺った。


 「お前たちは周囲を囲め……逃がすな」


 低く抑えた声が、短く響く。


 「御意」


 部下らしき影たちは、すぐさま命令に従い、それぞれ素早く森の闇へと散っていく。


 黒衣のリーダーは、再び廃屋へと視線を向ける。


 フードと闇に包まれたその横顔は冷徹に研ぎ澄まされ、その独特の赤い瞳には闘志の光が宿っていた。


 夜風が森を揺らすなか、黒衣の一団は静かに廃屋へと迫っていた——。



 ◇ ◇ ◇



 迎賓の間の中央でルシアンは懐中のランタンに火をともす。

 ぼんやりと照らされた広間には、かつての栄華の名残が朽ちかけた家具の影として残るだけ。



 「大丈夫、今夜はここで誰にも見つかりません」

 

 アリサがそう囁く。


  ——その声に、ようやく二人に張りつめていた神経も緩む。


 けれど、どこか重苦しい沈黙が降りてきた。

 

 外の風が割れた窓から吹き込み、古いカーテンが音もなく揺れる。


 

 「こんな屋敷が残っていたとは……」

 

  

 そう言いかけたところで、アリサの冷たい視線にルシアンが言葉を止める。


 「……ルシアン様」


 その声は、月明かりよりも冷たく澄んでいた。


 「どうしたんだ?」


 「ルシアン様……いいえ、あなたは『誰』ですか?」



 しんとした廃屋の中。

 

 灯りに照らされたルシアンが、驚きと戸惑いの色をわずかに見せる。


 

 「……何を言っているんだ、アリサ」


 

 だが、アリサは微動だにしない。


 部屋の闇が、まるで生き物のようにふたりの間に広がる。

 


 「あなたは、ルシアン様ではありません」


 

 優しく、しかし決意のこもった声だった。


 空気が、凍りつくように静まる。


 ルシアンが、ゆっくりとこちらを振り返る。

 

 その目に浮かぶのは驚愕でも動揺でもなく、どこか愉快そうな冷たさだった。


 「……いつから気がついていた?」


 アリサは真っ直ぐに彼を見つめたまま、微笑すら浮かべた。


「初めて来たはずの教会の裏口まで、あなたは何の迷いもなく先導しました。そして、“領主様には話を通してある”と……ルシアン様なら『領主』ではなく、当人の『名』で伝えるはずです」


 アリサは静かに偽ルシアンを見つめる。


「それに、あなたの歩き方や視線の動かし方。王宮育ちの方特有の所作ではなく、むしろ訓練された兵士のもの。ほんの僅かな違和感ですが、私には十分でした」

 

 それを聞いた偽ルシアンの顔が、ゆっくりと変わる。

 


 今までの優しさは消え、底冷えするような無表情となった。

 


 「フフ……さすがだな。初めて見破られたよ……あの“魔術師”の弟子だけのことはあるな」


 その時、廃屋の扉がきしみを上げて開いた。


 闇の中から、数人の男たちが現れる。


 誰ひとり声を発しない。ただ冷ややかな視線で、アリサをぐるりと囲んでいく。


 息を呑むアリサ。背後の窓も、廊下も塞がれ、もはや逃げ道はなかった。


 偽ルシアンはその中心で、あざけるように言う。


 「おとなしくしていれば傷つけはしない——と言いたいが、さて、どうだろうな?」


 部屋の空気が一気に張りつめる。


 アリサは小刀を握りしめ、周囲を見渡した。


 冷たい沈黙。誰もが一歩、じり、とアリサにじり寄る。


 

 偽ルシアンがゆっくりと近づく。

 


 「気づいていてわざわざ出てくるとはな。苦しい思いはさせないつもりだったが……気が変わったよ」



 夜の廃屋に、冷たい静寂が降りる。


 その中で、アリサの瞳だけが、わずかに強く輝いた。

 

「誘いこんだつもりでしょうけど……私を甘くみないで」


 冷たい沈黙が迎賓の間を支配する。

 

 偽ルシアンとその仲間たちがじりじりとアリサに迫る中、アリサは小刀を強く握りしめた。もはや逃げ道はない――。


 その瞬間、廃屋の外から、何かが駆け抜ける気配がした。


 ドンッ!


 扉が激しく蹴破られ、闇の中から黒衣の人影が飛び込んでくる。


 それと同時に入り口にいた男が、鋭い長剣の一閃を浴びせられ、呆気なく床に崩れ落ちた。


 「……待たせたな、アリサ」


 低く、鋭い、それでいてどこか誇り高い女性の声が、夜の静寂を切り裂いた。


 偽ルシアンが振り返り、怒りと警戒が入り混じった声を放つ。


 「……誰だ、お前は」


 新たな影は、迷いなく一歩前に出る。


 「おいおい、王子なのに、この私を知らないのか?」


 その声音に、部屋の空気がさらに凍りつく。


 取り囲んでいた男たちが、一斉にその黒衣の剣士を警戒して取り囲む。


 彼女が黒いフードを脱ぎ捨てると、 月明かりがその顔を照らし出す――

 

 凛と美しい顔とその輪郭、燃えるような赤い髪と瞳。凛々しく長剣を構えるその姿は、まるで赤く燃える狼のように力強いオーラを放っていた。


 そして剣士らしき女性はゆっくりと、名乗りを上げた。


 「アリシア・フォン・ラインハルト——この街の領主だ」


 その一言が、夜の廃屋に新たな嵐の到来を告げた——。

 

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