からっぽの笑顔
出来る出来る出来る。
そう言い続ければ、いつかは真実になるのだろうか。
「タークっ!匠っ!帰ろっ」
「廊下を大声出して走ってくるんじゃないっ!……ほら、ちょっと待ってて。今支度するから」
「了解」
例年よりも賑やかな2年生と呼ばれる冬賀学園中等部の教室は、実は3年の校舎に隣接している。
2つを結ぶ渡り廊下は見ようと思っていなくとも自然と目に入ってくる場所で、そしてそこから聞こえる声が自分の後輩であり、学校で一番の有名人じゃないかと思う相手であればゴミ捨てに向かっていた足も僅かに止まろうというものだ。
見下ろしたその先にはやはり思った通り、葛西にじゃれつく藤澤の姿が見える。
溜息をつきながらも仕方がないなあといったように笑う葛西の笑顔に、なんだかつられて笑ってしまった。
「なにやってんだ、渋沢。ゴミ捨ての途中じゃねーの?」
「水上」
そんな彼――渋沢の背にかけられたのは、寮では同室者であり、部では頼れる司令塔として活躍をしている水上の声。
振り向けばやっと外の騒ぎに気づいたのか、水上も苦笑していた。
「相変わらずだよな、あいつら」
「ああ」
変わらぬ景色、変わらぬ日常。
その象徴のような二人の姿に渋沢も頷く。
水上がそれで?と少し笑った。
「お前、こんなとこでボーっとしてていいのかよ?さっさと捨ててきたほうがいいんじゃねえ?」
「まあそう言うな。……少しくらいサボったっていいだろう?」
「――ま、それもそうか」
水上は掃除当番ではないらしく、その手に持っているのは少し潰れた鞄のみ。
部活に出る前に一度寮に戻るのだろう。この近さだ。いちいち着替えだのなんだのを持ってくるのも面倒なだけだ。
「水上はもう行くのか?」
「まーな。昨日練習してたとこ、先に復習しときたいし。中西の奴が付き合ってくれるっていってたから近藤も巻き込んでみた。ま、お前が来る前に終わらせておくからよ、大目に見とけ」
「練習前だからいいだろう。あ、そうだ。もし俺が遅れたらいつものメニューで初めておいてくれ」
「何?呼び出し?」
「いやコーチに呼ばれてるんだ。この間の試合で引っかかったところが幾つかあるから――」
「アレか。……今日あたり絞られるってか?」
「まあ……当たらずとも遠からず、といったところか」
水上が皮肉をこめて笑う。
「準決勝であんなミスやったからな。ギリギリの勝ちだったし?……監督もコーチもカンカンだろうぜ。そりゃ」
「水上」
「なんだよ、ホントのことだろ?……でも大丈夫だ。次はない」
一瞬、ざわめきが遠くなった気がした。
見据えられるその強い光を持つ水上の目に、気圧される。
「俺がさせねえ。絶対に、だ」
――……水上。
「ま、そんなわけだから適当にかわしておけよ。じゃ、後で」
「……ああ」
まっすぐ歩いていくその背を、他に何も言えず渋沢は見送った。
思い出すのは、さっきの目。
……珍しくもない、水上の目だ。
でも。
「――程々にしておけよ!」
遠ざかる背中に思わず声をかければ、黙って右手が挙げられた。
それに少し安心しながら、それでも目がそらせない。
東京選抜に水上一人だけが落ちて、一ヶ月半。
それからというもの、ああいう水上の目を、どうにも苦々しく思う自分がいる。
「……」
水上の気持ちがわかるとは、渋沢には言えない。いや、他の誰にも言えやしない。
けれどあれからもっと練習に取り組むようになった水上は、あの後からどんな試合に勝っても、本当に嬉しくて笑っているように、渋沢には見えないのだ。
まだだ、とまだ挑んでいるような。
張りつめているような、そんな笑顔のような気がして。
――前のような、ただ嬉しいと笑う水上を……ここ最近、見れないでいる。
そんなにぴんと張りつめて、逆に痛く感じるような笑みとぎらぎらとした目。
貪欲に上を目指すことは大歓迎だ。
けれど水上のあの目は――満たされない者が必死で足掻いているような、そんな印象しか渋沢に与えないのだ。
――願わくば。
次の決勝に買ったその時にこそ、あの光が少しでも和らぐように。
心の底から、水上が笑えるように。
「……さて。ゴミ出しだったな」
早く終わらせて、早くコーチに会いに行って、そして早く―― 、一刻も早く練習に参加しよう。
そう決めて、渋沢はまた歩き出す。
ただ、自分に出来ることがあるのなら、何でもしてやりたかった。