第1走 始まりのきっかけ
「ふぅ。
監督稼業もそろそろ引退か。
俺もよく頑張ったよな…。
それに、
家もだいぶ留守にしたし、
家内にはずいぶんと
苦労をかけた…。」
白髪ばかりの頭髪に、
ふくよかな体型、
陸上競技に疎い人間ならば、
彼が日本長距離界にて
指折りの指導者であるとは
思いもしないだろう。
岡林 裕正
30歳で競技を引退後、
実業団・旭化製薬のコーチになり、
5年後には亜寿亜大学・陸上部監督、
更には日本代表マラソン総監督などを
歴任した。
現在、実業団『にこにこ正堂』の
長距離ブロックの監督をしながらも、
第二営業部長も兼務している。
なお、以前就任していた
亜寿亜大学の監督時代には、
高校で全く実績のない
部員たちを徹底的に鍛え上げ、
前人未到の箱根駅伝5連覇を
目指す東京駒澤大学を、
最終10区で振り切り、
箱根駅伝総合優勝。
往路6位からの
大逆転劇であったこともあり、
『箱根駅伝史上、最大の番狂せ』
と呼ばれている。
その後、
全日本総監督としても、
オリンピックメダリストを
多数育成するなど、
その実績は輝かしいばかりだ。
そして、55歳になる今年、
廃部が決まった『にこにこ正堂』の
監督を最後に陸上界から
身を引くことを決めていた。
(来年は社業に専念しながら、
夜は晩酌でも楽しもうか…。)
そう考えながら
監督室の整理を行っていると、
部屋の奥に設置されたデスクから、
何かの新たな始まりを
告げるかのように
メールの着信音が鳴り響いた。
何だろう…
デスク上に置いてある
ノートPCに目をやると、
1通のメールが届いている。
送り手は、
城西拓翼大学陸上部 一年
斧田 謙信
件名には
「僕たちの指導を
していただけませんか?」
とあった。