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出さない手紙

作者: きい



 全略 母さん


 ……全略から書きはじめるっていうのは知っていたけど、手紙なんて書いたことがないからどういうふうに書けばいいのかわかりません。こうやって手紙を書くということも二十九年間、一度もありませんでしたね。いつもは敬語で話さないけど、このほうが書きやすいので敬語で書こうかと思います。そうだなあ、なにから書けばいいんだろう。今年ももうすぐに終わりますね。健康でいられますか。というのも気恥ずかしいなあ。来年で、俺も二十九歳か。って、こんなことまで書き込まなくてもいいのにね。そんな僕も、数え年だともう三十歳になりますね。いまのところ僕は無事に五体満足で、目も見えるし、耳も聞こえるし、言葉を話すこともできます。高校に行かせてもらったけれど、ろくに行かなかったせいで今もあまり頭は良くはないですが、仕事はしているので安心してください。言葉は話せるって言ったけど、仕事で緊張したときとかは、よく、どもりそうになってしまいます。いま僕は掃除機の販売をしています。たまにくじけそうになることもあるけど、なんとか気を張って負けじと頑張ってます。営業車、といっても、古くて汚くて小さな軽自動車ですが、それに乗っていつも移動しています。営業車のダッシュボードにはフィギュアを飾ってます。フィギュアっていうのは人形のことで、僕が飾っているのは親指くらいの大きさの物です。金髪の髪の毛が逆立っているムキムキマッチョの男が、上半身裸で、下半身はぼろぼろに破れた道着を着ている格好の物です。プロレスラーとかボクサーじゃないよ。男を好きになるっていう趣味もありません。いま彼女はいないけど、そのあたりも正常なので安心してください。フィギュアはね、僕が小学生のとき、好きだった漫画があったでしょ? 



 改行っていうんだよね。忘れてたよ。小学生の頃から、作文なんて原稿用紙一枚も書けなくて、その一枚を埋めるために改行ばっかりしていたのに、今は忘れていたよ。いま書いたところは読みにくくなっちゃったかもしれないけど、これから先は改行します。



 営業車で普通の人が住む家まで行って、近くに止めて、訪問販売するんだけど、罵声を浴びせられて追い返されることがしょっちゅうです。本当にもう辞めたいなって毎日思います。その度に、ダッシュボードに置いてあるフィギュアから勇気をもらいます。漫画ばっかり読んでいた僕だけど、その漫画の主人公が今こうして背中を押してくれる存在になってくれてるなんて、あの頃は考えてもいなかったよ。漫画ばかり読むなって口うるさく言ってた母さんも、きっと同じだよね。

 あのころの僕は、あの主人公みたいに正義の味方になって、悪いやつらをやっつける男になりたいって本気で考えていました。でもいくら腕立て伏せをしても懸垂をしても手からビームは出なかった。それはあたりまえなんだけど、きっとそれ以上に正義の味方へどうやってなればよかったのか、分からなかったんだと思います。



 今日はね、売れたんだよ。うちで扱ってる掃除機が。うちの掃除機は国産のメーカーじゃなくて、海外の物なんですよ。大きな電気屋なんかで売っている海外のものではなくて、自社の独自のルートで仕入れていて、日本ではうちでしか扱ってないんだ。ほこりでも紙くずでも、水でも吸い込むすごいやつなんだ。

 値段はね、ふつうの掃除機はいま三万円前後で買えると思う。海外の高性能な物も十万円しないくらいで売っているのかな。うちで扱っているのは百万円くらいするんですよ。

 掃除機がね、百万円だよ。高いよね。高い分、ものすごい高性能なんて客には言うけど、母さんには言えないよ。うそ、つけない。そりゃ、少しは性能いいかもしれないけど、たいして変わらないし、原価だって、ふつうのとそんなに変わるわけじゃない。

 いつも買ってくれるのはお年寄りで、今日買ってくれた人もね、おばあちゃんなんだ。七十歳後半くらいかなあ。あのくらいの歳になると、どのくらいの歳なのか分かりづらいから、もっと歳を取っていたかもしれないし、もっと若いかもしれない。

 いままでもね、いくつも売ってきたんだ。しばらく売ってから、事業所毎、引っ越すんだ。だからこれを見ている頃、僕はこの手紙の入った封筒に付いてる消印の場所とは、違うところにいると思う。

 最初の頃はね、売れると嬉しかったよ。一つ売るのも大変なんだけど、そのぶんの歩合給がものすごいんだ。いい車にも乗ったし、夜景の綺麗な都心のレストランで、母さんが見たこともないような、食べるのがもったいないくらいのフレンチなんかも経験できたんだ。

 そんなに高性能なら当然高いよねぇ。でも買えば一生ものだもんねぇ。わたしが死んだら孫にやろうかねぇ。そんなことを言いながら契約書に判を付いてくれるんだ。即金で払ってくれる人もいる。昔は、そうやって判を押すところを見るのが好きだった。これでいくらの利益、これでいくらの歩合給って考えながら、いい買い物ができましたね、っておばあちゃんやおじいちゃんに向かって微笑むんだ。

 だけど、最近はね、僕は判を押すところを見ていると、その判は紙の上に付いてるんじゃなくて、僕の心のなにか、なんていうのか、言葉にできないような、ひび割れていて、がちがちに固まっているところを付いているような気がしてしまうんだ。

 今日、買ってくれた人は珍しくね、長屋みたいなところに住んでいる人だったんだよ。買ってくれるのは大きな家や、小さいけどしっかりとした佇まいの家に一人で住んでいる人が多いんだけど、今日の人の家は小さくて、見るからにすきま風が入りそうな長屋に住んでいる人だったんだ。

 


 最初は挨拶から入るんだ。他の用事で最近ここを通りがかってるよっていう感じで、いつも同じ時間にそこを歩いて、顔見知りになるんだ。天気の話から、だんだんとその人の若かった頃の話だったり、子どもや孫の話になってきたりして、お茶でも飲んでけって言われたら頃合いなんだ。

 僕が掃除機の話をしたら、そのおばあちゃんは二つ返事で買うって言うんだよ。そういうのは珍しいんだ。でね、契約書を出して、いろいろ書き込んでもらってると、あんたはわたしの息子に似てるよ、ちょうど今のあんたくらいのときに死んじまったんだが、生きていれば孫の顔も見れたかもしれないね、なんていうようなことを言うんだ。自分の孫の話をしながら契約書を書く人は多いけど、そう言われたことは無かった。

 一通り書き込んでもらって、判を押してもらうとき、そのおばあちゃんは、不思議に潤んでるような目で僕のことを真っ直ぐに見てきたんだ。目の脇には深い皺があって、口元にも深い皺があって、顔中に小さな皺があったんだ。その中にある、二つの目がどこまでも深くにあるように思えて、奥に何があるのか見るようにしたら、僕はその目から視線が外せなくなったんだ。

 「息子もね、掃除機を売ってたんだよ」

 そう言って判を押したんだ。いつもの通りに、なぜか僕は微笑むことができなかった。やっとの思いで視線を離すことが精一杯だった。

 営業車に戻っても、すぐ動けなかった。しばらく目を瞑って休んでいた。ふとね、目を開けると、あのフィギュアが、さっきのおばあちゃんと同じ目をして僕のことを見てたんだ。もちろんフィギュアはなにも話しかけてはこない。だけど、なにかを言おうとしていて、なんて言ったのか分からなかったけど、なにかが聞こえたような気がしたんだ。

 僕の目や耳がおかしくなったわけじゃないと思う。他の部分だって、たまにどもるけど言葉は話せるし、手も足も動くし、まだまだお年寄りみたいに不自由もなくて五体満足だ。

 だけど、僕は本当に五体満足なのかなって思うんだ。手も足も指も全部あるけど、なにかが足りてないんじゃないのかなって。裸になって鏡を見ていても分からないんだけど、最近そう感じることがあるんだ。考えても考えても答えが出なくて、気持ち悪くなる

 高校の時にもっと勉強をしていたり、大学に行っていれば、この感覚が理解できてたのかな。でもフィギュアが、おばあちゃんと同じ目をしていて話しかけてきた言葉は、さすがにどこでいくら勉強していても分からなかったんじゃないのかと思うよ。

 いま答えが出ないって言ったけど、うそだ。本当は分かってるんだ。僕だって、そのくらいのことは分かってる。でも信じていいのかが分からない。もしも、自分がそれに気が付いたんだとすれば、それはどういうことなんだろうって考えると気持ち悪くなるんだ。今まで無いと思ってたのに、僕はただ押しつぶしていただけなんだろうか。

 ねえ、母さん。初めて書いた手紙の内容が、こんな話でごめん。自分がやっていることがどういうことかちゃんと知ってるんだ。だから、もしかしたらこの手紙はやっぱり出せないかもしれない。

 でもね、あなたに聞きたいんだ。

 あの目は、いったいなんて言っていたんだと思う? って。




                         平成二十一年十二月二十日

                                 清春より


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