第43話 VSミハエル
沼地の小屋が破壊され、俺達は外に放り出された。
「クッ…………‼」
「アハハハハハッ! ア~ハッハッハッハッハッ‼」
砕けた木の板に立ち、高笑いをするミハエルの傍らにはアリシアがいた。彼女はミハエルに捕まり、「師匠、師匠!」と俺に向けて手を伸ばしている。
「離せ! ミハエル! どういうつもりだ!」
「ここであいつを殺すつもりだ! シリウス・オセロットをな! アリシア、君の、目の! 前でェェ!」
ミハエルが杖を振り回し、
「大地よ! 踊れ! 奴を捕える腕と成れ! 百土手ォ‼」
魔法により、沼が変質し、ミハエルに操られる土の手と化す。
それが、何十本も、触手のように作り出され、一斉に俺に向かって襲い掛かる。
「グッ……!」
沼地で足の踏ん張りがきかない。
逃げようと思っても逃げられず、たちまち土の手に捕まり、
「ハハハハッ‼ 沈めよォ!」
そのまま沼の底へと引きずり込まれる。
「———これでアリシアは僕のものだァ!」
頭まで沼の中に入る直前、ミハエルの、そんな言葉が耳に入った。
まずい……かもしれない。
全身を沼の中まで、沈められてしまった。
奇襲と毒で頭が回らず———ミハエルのいいようにされてしまった。
ミハエルはまだ泥を操作しているのか、まとわりつき、俺の体を更に底へ底へと沈ませていく。
あっけない。
こんなにもあっけなく終わるものか。
ミハエルを舐め過ぎていた。
この地形と俺の肉体の不調は彼を優位に立たせていた。
このままでは俺はミハエルに負けてしまう。そんな情けない話があってもいいのだろうか。
———いや、ない。
この世界でシリウス・オセロットは死ななければならない運命にあるとしても、この終わり方は———ない。
「————ッ!」
体に毒は回っている。全身が焼けるように痛い。
だが、そんなことは言っていられない。
まだ———我にはやることがあるのだから。
胸の奥がカッと熱くなった。
◆
「ハハハハッ……ハハッ! ハハハハッ! 僕に逆らうからこうなるんだ!」
シリウスが沈んだ沼の上、カエル漁師の小屋の破片の上。アリシアを抱えた状態でミハエルが高笑いをし続けていた。
「ミハエル……なんてことを……」
「あいつは僕を馬鹿にした! 僕を馬鹿にした奴は皆、こうなるんだ! 僕はプロテスルカ帝国の王子だぞ!」
ミハエルの目には狂気が宿っていた。
人を沼の底に意図的に沈めた———これは殺人だ。
「王子である僕に一貴族が逆らおうとしたのが間違いなんだ! シリウスが悪い! 悪いのは全部シリウスなんだ!」
ミハエルはまだ子供だ。人を殺すのは初めてのことだろう。いくら理屈をこねたところで、罪の意識は彼の中にあり、そこから逃れようと必死に自分の正当性を主張していた。
「そうか……ミハエル、君を馬鹿にしたら死ななければいけないのか……」
アリシアがぼそりと呟き、首を垂らす。
「そうだ……ハハッ、僕を馬鹿にする奴は、僕の思い通りにならない奴はみんな死ななきゃいけないんだ……!」
「————じゃあ、ボクも殺さなければいけないな」
「何ッ⁉」
シャッとアリシアが剣を抜き、ミハエルの頬に当て、軽く引いた。
刃が、ミハエルの頬を軽く斬りさき、一文字の傷をつける。
「う、うわああああああああああああ‼ 血が、血がぁぁぁ‼」
慌ててミハエルがアリシアを板の上に落とし、傷口を抑えながら、尻餅をついて後ずさる。
「———ボクも、ミハエル、君のことを馬鹿にしているし、決して君の思い通りになんかならないよっ」
剣をミハエルに向けて構える。
「アリシアッ! アリシア……ッ! お前はどうして……そんなに……ッ!」
「ミハエル! 君とは父上に掛け合って正式に婚約を破棄させてもらう! もうボクには金輪際近寄らないでもらおう!」
毅然とした態度でアリシアは言い放つ。
ミハエルは泣き出しそうな顔になって頬を抑えたまま。
「どうして、どうして、君はッ! 僕の思い通りにならないんだあああああああああああああ‼」
杖に魔力を籠めると土の手が、百土手がアリシアに一斉に向かって襲いかかる。
「———創王気‼」
アリシアは全身に青い魔力のオーラを纏い、破片の板からとんだ。
そして、迫る土の手を躱し、時にはそれすらも利用し、土の手の上を身軽に飛び跳ねて、沼の外側、陸地に辿り着く。
しっかりとした足場を確保したアリシアだったが、ミハエルは口角を歪めて笑い、
「馬鹿めがッ! 大地は全部僕の味方なんだよォ! 大地割!」
ミハエルが杖を振ると、アリシアの足元の大地に亀裂が入り、彼女を飲み込む。
「くそ、足場が……!」
アリシアは歯噛みする。
両足が大地に飲み込まれ、ミハエルが再び杖を振ると割れ目が閉じられ、そのまま拘束される。
アリシアは両足をしっかりと拘束されて、身動きが取れない状態になってしまった。
「フフフフ……ッ、バァカ……アリシア。君が僕に勝てるわけないだろう……僕は土魔法のエキスパート。大地はどこにでもあるし、人は地に足を付けて行かないと生きていけない。君は僕なしでは生きていけないんだよ……!」
ミハエルは勝利を確信し、破片の木板から跳んだ。
五メートルはある沼の岸辺まで、アリシアの元まで一度のジャンプで辿り着く。
魔力による身体能力活性化術———士活法という、騎士学園に入ったら初期に習わされる体術を使っていた。
士活法は、詠唱が不要で呼吸と自分の意識による筋肉の操作によって体内魔力をエネルギーに変換させる。それで通常の人間ではありえないような身体能力を発揮することができる。
後衛タイプのミハエルでさえ、十メートル超の跳躍や、高速で石壁に激突しても耐えうるだけの肉体能力を得ることができる。
その力を使ってアリシアの元へたどり着き、舌なめずりをする。
「アリシア……いい加減に諦めて僕のものになれ……じゃないとまた手荒な真似をすることになるぞ」
「もう……してるじゃないか……」
何をするかわからない、情欲を持って近寄って来る男の恐怖に、足が震えそうになるのを必死に耐える。
「アリシア……! どうして僕をそこまで拒絶する! そんなにあいつがいいのか⁉」
「あいつ?」
「シリウスのことだ! 昨日あいつが僕たちの寝床に入ってきた時、嬉しそうに呼んでたじゃないか、「ししょう!」って……!」
「———ッ」
そう言われた瞬間、アリシアはドキッとした。ドキッとしてしまった。
確かに妙な仮面をつけたシリウスが乱入し、彼女を抱えて攫った時、恐怖のあまり名を呼んでしまった。攫っている相手が本人だとも知らずに、大声で彼の名を呼んでしまった。
そして、仮面が割れて彼の顔が現れた時、アリシアの胸の中には戸惑いもあったが———確かに、確かに〝喜び〟も、あった。
彼に助けられて確かに———心が安らいだのだ。
何故だかわからない。
彼にはひどいことばかりされた。決闘を挑んで容赦なく叩き伏せられたし、こっちがいくら剣を教えてくれと言っても全く取り合ってもくれない。
だけど———昨日のように、肝心な時に傍にいてくれた。
そう思わせてくれる、安心感が彼にはあった。
「確かに、君に比べると師匠の方が、シリウスの方が何倍もましさ。彼は君と全く違う———」
「何ッ⁉」
「彼はボクを王女ではなく一人の人間として見てくれる。まだ弱い未熟な騎士見習いとして、おべっかも何も使わず……対等な相手として。君は違う、ボクを王女としてしか、モノとしてしか見てない……いや、違うな。自分以外の人間を、全ての人間をモノとしてしか見ていない……見れていないんじゃないか? ミハエル」
そう、気づいた瞬間、アリシアは彼に同情の目を向けた。
「————このッ!」
その眼が何よりもミハエルの神経を逆なでした。
まるで———可哀そうなものを見るような目の、彼女の目が……!
「そんな目で見るな……そんな目で……僕を……!」
ミハエルは杖を振りかざし、
「この———淫売女があああああああああッッッ‼」
アリシアへ向けて、一斉に百土手を伸ばした。
何十もの土の手が———アリシアの体を捕えるために迫ってくる。
だというのに、彼女は———笑った。
「ああ、そうさ。ボクは———〝ビッチ〟だ!」
全身に纏っている創王気の魔力のオーラを剣に集中させて、足元に突き立てた。
そして自分の足を拘束している大地をケーキのように斬り割いて、拘束を解き———駆け出した。
ミハエルへ向けて———。
「ヒッ————⁉」
彼女が抜け出すなど思ってもみなかったミハエルは、怯えて身をすくませる。
斬られる———。
そう思った。
だが、違う———、
「え———?」
スッとアリシアはミハエルの脇を通り過ぎて、剣を鞘に納めた。
彼女が向かう先は———、
「だから———弟子として、師匠を助ける!」
沼だ。
シリウスが沈んでいる沼にアリシアは飛び込もうとしていた。
ミハエルが目を見開き、彼女へ向かって手を伸ばす。
「アリシア! やめろ‼ そこは底なし沼だ! 入ってしまえば助からない!」
「だから助けるんだろ! 師匠が沈んでいるんだから! 弟子のボクが助けないと!」
そして———アリシアが岸辺から跳ぼうとした瞬間だった。
「その必要は————ないぞ……〝ビッチ〟よ‼」
シリウス・オセロットの声が———響いた。
沼の中心が———噴火した。
再び、火山の噴火のように、泥水が天に向かって噴出し、水柱を作る。
ミハエルが再び土魔法を使って何かしたのか?
そう思ったが、すぐにそれは違うとわかった。
水柱の上に人影がいた。
どうやったかはわからないが———彼が自力で沼の底から抜け出したのだ。
「師匠————!」
シリウス・オセロットは水柱の上で腕組みをして、
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ‼」
高らかに笑った。
悪役らしく———。
◆
一方———ルーナ・オセロットはというと。
「ミルカ様……全くもって困ります……!」
ミルカ・ヘカテーと合流していた。
「はい、すんません……すんません……」
湿地帯の中、古代遺跡に向かおうとしているミルカと他班員の二人を捕まえ、元のコースに戻るように説得していた。
「地図を失くしてコースを外れたなどと噓をつかれては……ここら辺は危険なのですよ……!」
ミルカは地図を握りしめていた。彼女は地図を失くしてコースを外れてしまったと言い訳をしていたが、それが嘘であると言う何よりの証拠を手にしていたのだ。
「はい……すんません……でも、ルーナちゃんたちも、会長たちも来ちゃってるじゃん……」
「私たちはいいのです。お兄様はお強いですから。お強いお兄様が守ってくれますのですから」
「えぇ……不平等……」
「適材適所というモノです。ああ見えてお兄様はお優しい方ですから、レベルにあったコースと敵を設定してくれているのです……!」
「でも、弱い奴は死ねって言っていたよ……」
「お兄様はそういう言い方しかできない方なのです……! 言葉通り受け取らないでください……!」
「…………めんどくさいお兄ちゃん持っちゃったね」
「ルーナはそうは思っていません……いいですから、この鉄仮面の方の後について、元のコースに戻ってください」
ミルカの隣には鉄仮面を被った古代兵が控えており、ミルカ他二人の班員は怯えて見つめていた。
「で、でも……この人、囚人なんでしょう……? 私たちを殺したら恩赦が与えられるっていう……」
「それもお兄様の言葉の綾です……! 囚人ではありますが、この大会の安全性とあなた方の訓練のために駆り出された方々なのです。普段は生徒様方の敵として設定されていますが、こういう緊急事態では安全を確保するために動いてくれる方々なのです……!」
「そ、そうだったの?」
「そうだったのです……!」
ルーナは内心、兄の言葉が嘘であるとばらしてしまったことを悔いた。だが、ここでは迅速にミルカ達を安全なコースに戻すことが最優先だったので、あえて訂正せずにそのまま古代兵をミルカの護衛兼見張りとして付け、湿地帯の外まで誘導させた。
遠のいてく彼女らの背中を見送りながら、他の古代兵を操り、はぐれているティポとザップをミルカたちに合流させようと、意識を集中した。
が———、
「近くに……古代兵が……いない?」
少なくとも、三体は湿地帯内にいたはずなのに、それらの気配がいつの間にやら消えていた———。