第42話 ミハエルの暴走
「飲み物でも———飲むかい?」
沈黙が支配するカエル漁の小屋の中。
最初に口を開いたのは、ミハエルだった。彼はかまどを指さし、荷物の中から水筒を取り出した。
「…………ボクは、いい」
アリシアは、若干体を震わせて剣の柄をギュッと握りしめた。
「我も、結構だ」
常に自分からは動かず人を動かしてばかりのミハエルが自分から言い出すなど、絶対に何か企んでいる。
「遠慮するなよ……この僕が淹れてやるんだぞ……」
そう言って、ミハエルは立ち上がり、かまどに火を点けて水筒を熱し始める。そして、茶葉と携帯用の茶こしを取り出す。筒状の金属の網でできた茶こしを水稲の中にちゃぽんと突っ込み、茶葉を優雅に入れる。
「プロテスルカ王家で飲まれている最高級の紅茶だ。こんなじめじめした沼地で精一杯気分を晴らそうとしてるんじゃないか……」
どこか、意味深な笑みを浮かべ続けているミハエル。
ぐつぐつと煮えたぎり、かまどから水筒を取り出すと、コップを取り出して小屋のテーブルの上に置く。
二つだ。
俺とアリシアに一番近い場所において、その上に最高級の紅茶とやらを注ぐ。
「飲めよ」
ミハエルはそう言って、かまどの脇に水筒を置き、ドカッと自分の席に腰を落とす。
「……飲むわけないだろ? 昨日、君がボクに何をしたのか。忘れたのか?」
キッとアリシアがミハエルを睨みつける。
ミハエルは意にも介していないと肩をすくめ、
「だから、おわび———というわけさ。昨日はボクも大人げなかった。反省している。君たち二人には迷惑をかけたと思ってね。この僕自らお茶を注いであげたっていうわけさ」
———昨日は二人に迷惑をかけた?
ミハエルは何を言っているんだ?
そのことはわからんがとりあえずは、
「ミハエル。貴様、我を殺そうとしたな?」
———先ほどのことを問いただせねばならない。
「……何のことかな?」
ミハエルはにやけた笑いのまま、俺を見返す。
「とぼけるな。ヴェノム・ナーガが襲い掛かった時、魔法を発動させて我たちの足元を沼地に変えたな? それで身動きできない我をヴェノム・ナーガに殺させようとした。そうだろう?」
「なぁ~にを言っているかわからないなぁ……」
変わらず、すっとぼけた様子で天井を見つめるミハエル。
「そんな貴様が、淹れた紅茶などを飲むわけがなかろう、何が入っているのかわからん。毒でも入っているのではないか?」
「…………」
「現に、我がこんなに無礼な口の利き方をしているというのに、全く貴様は気にも留めない。ミハエル。お前がこの紅茶に集中しているせいだ。何をどうやって我たちに飲ませようかと知恵を捻り、我の口調など気にする余裕もないからだ」
指でコップの取っ手をコンコンと小突く。
ミハエルは一つ苛立たし気に「チッ」と舌打ちし、
「バレバレか。せっかくあの邪魔な平民もいなくなって、じっくりといたぶり殺そうと思ったのに……」
「我を? お前がか?」
「ああ」
肯定するが、できると思っているのか?
「だが———何故だ? 何故お前が俺を殺そうとする?」
まぁいい———可能かどうかよりも、今重要なのは動機だ。
「そんなの。わかるだろう。胸に手を当ててよく考えてみろよ!」
カッとミハエルは歯をむき出しにして威嚇してくる。
心当たりは———ある。
このイベントはミハエルとアリシアの仲を取り持つためと言っておきながら、ミハエルをないがしろにしてロザリオのことばかり気にかけていた。
何度か言葉で丸め込めたが、いい加減に気づくというものだ。
「シリウス。お前は僕をコケにし過ぎた。その報いは受けてもらう」
ミハエルは杖を取り出す。
ここで———戦うつもりか?
「勝てると思っているのか? この我に———」
「ハッ、強気だねぇ、シリウス。君はもう終わりだというのに。ただの貴族のお前ごとき、僕が父上に頼めばすぐさま家が潰れる。僕の不興を買ったんだ。オセロット家はもうおしまいさ。ざまぁみろ……!」
「フッ……」
そんなことはどうでもいい。
俺は元からこの世界で長生きするつもりがないし、父であるギガルト・オセロットも悪人だ。古代兵を使って利益を得ることしか考えていないし、子供であるシリウスとルーナのことを何も考えていない。それに加えて、ルーナに対しては古代兵に適応できるように人体実験を施している。そんな家潰されて当然だし、俺にとっては痛くもかゆくもない。
ルーナは少し困るだろうが、何とかなるだろう。彼女は優しくて助けてくれる人はたくさんいる。それをきっかけにロザリオが親身になって彼女に接近してくれるのなら尚良い。
「……やってみろ。親の権力を振りかざすことでしか自分を誇示できない愚かな王子よ」
「———ハッ、強がりを! 馬鹿な貴族のお坊ちゃんが!」
ミハエルの瞼がぴくぴくと動き、杖に魔力を籠める。
「オセロット家はもうおしまいだ! だけど、お前はここでおしまいになるんだよ! シリウス‼ お前はここで! 僕が殺す!」
「———やってみろ!」
そう———言っているだろう!
ドス………ッ!
「む……」
突如、背中に鋭い痛みが走った。
見やると、背中に牙が突き立てられている。
ヴェノム・ナーガの牙だ。
土でできた長い手が牙を掴んで俺の背中に突き刺していた。
ミハエルの———魔法だ。
「ハッハッハ‼ 紅茶なんて最初から飲ませる気はないよ! 何が僕が紅茶に集中しているだ! そっちはブラフさ! 本命はさっきの毒蛇の牙だよ! こっそり拾っておいたんだ。君にこうして毒を入れるためにね!」
俺が握り、砕いた牙の一部をミハエルは回収していたのだ。それを土の手を操り、俺に気づかれないように背後から忍ばせ、一気に突き立てたというわけか。
「グ……ッ!」
多少毒が回り、片膝をつく。
「師匠! 解毒薬を———、」
アリシアが解毒薬が入っている荷物へ向かって駆け寄るが、ミハエルがすでに先回りをしており、それをむんずと掴むと、「ほぉら!」と窓に向かって思いっきり投げ捨てる。
「あぁ……‼ 解毒薬が! ミハエル‼ お前ぇ!」
「うるさいアリシア! お前は黙って見ていろ! お前が惚れている男が死にゆくさまを目の前で!」
「な———⁉」
ボッとアリシアの顔が赤くなる。
———何を言っている?
ミハエルは何か、大きな勘違いをしていないか?
「アリシアは……僕のものなんだあああああああああああああああ‼」
ミハエルは杖を振りまわすと、小屋の下にある沼地から、泥がせり上がり、木組みの床を破壊していく。
まるで火山の噴火のようにミハエルに操られた泥が噴きあがり———小屋が崩壊した。
◆
一方、ルーナ・オセロットは兄、シリウスの命令のままに、草むらをかき分けてミルカ班を探していた。〝ギャラルホルンの杖〟の石突で、蛇の巣穴に足を突っ込まないように慎重に足場を確保しながら進む。
彼女の目は煌々と輝いていた。
既に何体かの古代兵を操り、探すべきミルカ班のほぼ全員の居場所は特定している。ミルカと二人の男女の班員は古代遺跡に続く道を進み、ティポとザップはミルカ達からはぐれたのか、既に湿地帯を抜けて道を引き返していた。
ティポとザップが進む方向には多くの生徒が辿っている正規のコースがある。本来、ミルカ班もそちらのコースに沿う形で道を設定されていたのに、ミルカが独断で古代遺跡に向かうコースに設定したのだ。
大方彼女に呆れて、別の班に合流しようと言う考えなのだろう。
なら、ルーナとしてはミルカにまず会って、彼女を説得して本来のコースに戻してやるのが賢明だ。その道中でティポとザップと合流し、正規コースに乗る。これが最上の手だろう。
「ロザリオ様……ミルカ様達はこちらにいる気がします……ですので……」
共に捜索してる班員のロザリオに呼びかけるルーナ。
だが———、
「ロザリオ、様……?」
彼女の傍らに、ロザリオ・ゴードンはいなかった。
高い草が生い茂る湿地帯で———彼は忽然と姿を消していた。