第3話 主人公——ロザリオ・ゴードン
聖ブライトナイツ学園に行く。
そこではどいつもこいつもシリウスに媚びる人間ばかりだった。ただ歩いているだけなのに、「シリウス様!」と寄って来ては親の商いの斡旋だったり、縁談だったり、ライバルの排除の話などうんざりする話題ばかりを持ってくる生徒たち。生徒だけならまだしも教師も「私たちの評価を御父上にお伝えください……」と媚びを売ってくる。
そんな時間をすごしながら、気が付けば昼休みになっていた。
聖ブライトナイツ学園の校舎裏を一人歩く。
校舎裏———とはいっても、剣と魔法を極める騎士学園であるので、中世ヨーロッパの城の裏庭のような感じだ。校舎自体が過去の王族の廃城を改築したもの、という設定なので、裏庭も豪華で湖畔のテラスが存在する貴族のお茶会にはもってこいの場所となっている。
シリウスとして歩いているとことあるごとに媚びへつらう嫌な目をした奴らが寄ってくる。
利害しか考えない人間に囲まれると言うのが、こんなにも疲れるものだとは思ってもいなかった。
「ふぅ……ようやく気が抜ける。ずっとシリウス・オセロットのふりをするのは疲れるからな」
屋根付きのテラススペースの下で一息つく。
立場が高くなると言うのも考え物だ。
生前はずっとこき使われる側だったが、逆に使う側になるとこんなにも人としての良心が削られるものだったなんて。
慣れない。本当に、慣れない。
「でも、慣れていかないとな……俺は、シリウス・オセロットだし、嫌な人間なんだ……それにしても、何で人を呼ぶときにこいつは「貴様」ってしか言わないんだ? 傲慢すぎるだろ……」
と———シリウスに対して苦情を言っていた時だった。
ボコッ!
「おぉ~い、逃げんじゃねえよ!」
打撃音の後、乱暴な声が聞こえてくる。
「この声は……」
聞き覚えのある。
『紺碧のロザリオ』のキャラクターの声だ。
立ち上がり声のした方向へ向かう。
「やめて、やめてよ……痛いよ、どうしてこんなウッ!」
気弱そうな少年の声が途中で、「ドカッ」という鈍い音にかき消される。
「あ~? このティポ様が遊んでやってるのになんだよその態度? この貴族である俺様がぁ、平民であるお前と遊んでやってんだから感謝の「ありがとう」を言うべきなんじゃないのか? なあザップ?」
「そうでヤンス、そうでヤンス! 貴族のティポ様がお前ごとき平民と遊んでやってるのだから、お礼を言うのが筋ってもんでヤンス!」
声は薔薇の生垣の向こうで聞こえる。
「そうだろう? なぁ———ロザリオ・ゴードンッ‼」
いた。
生垣の角に追いやられるように縮こまっている小柄な少年と、彼を囲んでいるデブとのっぽがいる。
デブが再び少年の腹をどつき、それをのっぽが揶揄する。
「はは! どうだ? 今のは痛かったか?」
「そうでヤンスそうでヤンス!」
「ゴホッゴホッ、やめてよ。本当に痛いんだよ……どうしてこんなことをするんだよ……やめてよぉ……」
顔を伏せる前髪で目を隠した少年。彼こそがロザリオ・ゴードン。この物語の主人公である。
はぁ……本当に最初のロザリオはムカつくやつだな。
臆病で貧弱で意志薄弱の少年、それが初期のロザリオ・ゴードンだ。
実は彼は亡き前王の子———正当な王家の血を引くものなのだが父親が暗殺されて身を隠すことになった。それゆえに元々は自信たっぷりの文武両道の優等生であったが暗殺を恐れる故に、臆病で劣等生のふりをし始めたところ、その偽りの仮面であるところの「臆病な劣等生」の仮面が顔にこびりついて離れなくなり、挙句の果てには自分が優等生で会ったことも忘れ去ってしまった。
狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり———という言葉があるが、まさにそれである。臆病者の真似をし続ける者もまた、それは即ち臆病者なのだ。
「ハハッ何が痛いだよ。まだまだ手加減してんだぞ? ティポ様、10%の力しか発揮してねぇんだぞ? これだったら100%になったらお前……死んじまうぞぉ?」
「ヤンスヤンス!」
「やめて、やめてよぉ……」
まだ誰も俺に気が付いていない。
「ハァ……」
ここで何もしなくてもいいが、ムカつくものはムカつく。
本当にこの———ロザリオ・ゴードンという臆病者に対してはムカついてしょうがない。
「おい、何をしている貴様ら」
話しかけるとデブのティポとのっぽのザップがバッとこちらへ振り向いた。
そしてすぐに媚びへつらった表情を見せる。
「こ、これはこれは……シリウス様、何の御用で?」
「聞こえなかったのか? 尋ねたのは我だぞ。何をしていると聞いているのだ? 質問を質問で返すな」
「あ……こ、これは……遊んでいるのです」
「ほう、どのような遊びだ?」
「人間サンドバックという遊びです……平民を貴族が殴るって鬱憤を晴らすと言う遊びで……」
チラリとロザリオを見やると腹を抑えて苦しそうに呻いている。
何が遊びだ。おぞましい。
「ほぅ、見たところによるとこの平民しか殴られていないようだが、殴られるのは平民だけなのか?」
「はい」
「それはどうしてだ?」
「は?」
考えたこともなかったかのようにポカンとした顔で俺を見つめるティポ。
「聞こえなかったのか? どうして平民だけが殴られるのだ。遊びなのだろう? ならば交互に役目が変わるものなのではないのか?」
「そ、それは……そういうルールなのです。そういうものなのです! 下の身分に対しては何をしてもいいというのが普通でしょう? だから、人間サンドバックでは平民がサンドバックになり続けて、貴族が殴り続ける。そういうものなのです」
全く道理が通っていないな。
「なるほど」
それでも、一応この場では納得するふりをした。
「その理屈ならば、我が貴様をサンドバックにしても構わんわけだ」
「へ?」
ゴッ—————————‼
ティポの顔面を思いっきり殴り飛ばした。
「ぶへらっ⁉」
「ティポ様⁉ 大丈夫でヤンスか⁉」
「貴様も———同じだ‼」
「ぶぺっ!」
続いて取り巻きのザップも殴り飛ばす。
「え? え?」
何が起きたのかわからないと言うようにロザリオが周りを見渡す。
地面に倒れている二人のいじめっ子。完全に気を失っている。
混乱し、目が泳いでいたロザリオの瞳がやがて俺に向けられ、
「あ、ありがとうございます…………でも、どうして? シリウス君も同じようなこと……もっとひどいことをしていたのに」
そうなのだ。
この時点でシリウスは何度もロザリオを虐めている。人間犬と称して首輪をつけて市中引き回しをしたり、人間サンドバック以上の人間大車輪といって水車に彼の体を括りつけたこともある。
そんなド外道の極み。鬼畜の権化のようなシリウスがいきなり掌を返したようにロザリオを助ける。彼の混乱ももっともだろう。
「勘違いするな」
「へ?」
そして、ここで俺は単純にロザリオを助けてはならない。
俺を殺すことこそが、ロザリオが臆病な自分から脱却して真の力に目覚めるイベントになるからだ。
だから、俺は———、
「我も遊びたくなったのだ人間サンドバックとやらでな」
ロザリオに憎まれ続けなければならない。
「え、え、えええええええええええええええええええええええええっっっ⁉」
コキコキと拳を鳴らしながら接近する俺に、ロザリオは恐怖してしりもちをつく。
「そんな助けてくれるんじゃ……!」
「たわけ。我が貴様を助ける道理がどこにある。何故我が平民を助けなければならない。我にとって平民とは、ここに倒れているデブが言った事と同じよ。何をしてもいい。ただただ踏みつぶされるだけの哀れな蟻にすぎんのだっ‼」
拳を振り上げ———ロザリオの顔面に向かって思いっきり振り下ろす。
「ヒィ—————————ッ‼‼‼」
パーンッッッ!
哀れにもロザリオは殴り飛ばされ…………なかった。
「へ?」
俺の拳は吹き飛ばした。
———だがそれはロザリオではない。
拳は彼の顔面の、〝横〟を通り過ぎていた。
ロザリオの目線が真横にある俺の腕を辿り、背後へと移る。
「ふわああッッッ⁉」
彼の背後にあるバラの生垣が跡形もなく吹き飛ばされていた。
俺の拳が起こす風圧。
だた、それだけで木々が粉砕されていた。
やりすぎた……。
シリウス・オセロットは権力だけではなく内蔵する貯蔵魔力も一級品。ただ殴るそれだけで凄まじい量の魔力が放出され、魔法を使わなくても風魔法並みの魔力の暴風を発してしまう。
「ふん、貴様など殴る価値もないわ」
やっべぇ……さっき、ティポたちを殴る時メチャクチャ手加減しててよかった……ちょっと力加減間違えてたら、あいつらの頭吹き飛ばすところだった……。
強すぎだろこの体……。
「あ、あわわわわ…………」
しりもちをついて怯え切っているこの少年は本当に俺を倒すに至るまで成長できるのだろうか。
ジョロロロロ……。
「なに?」
「あぁ……あぁ……!」
こいつ、マジか……挙句の果てには失禁までしやがった。
「フン、汚らしい負け犬め。そのまま汚物にまみれて這いつくばっているがいいわ」
手を差し伸べてやりたかったが、下手なことをすると好感度を上げてしまう。それでは後の覚醒イベントに繋がらなくなってしまう。
だから、ここはあえて突き放すことにした。
俺は、ロザリオに背を向けた。
踵を返してその場から離れようとする。
「グスッ……グスッ……」
ああ、めっちゃムカつく。
泣いてやがる。
ロザリオが自分の情けなさに震えて泣いてやがる。
「どうして、どうしてだよう……どうしてみんな僕をいじめるんだよぉ……」
その言葉が俺の癇に障った。
ピタリと足を止める。
「僕は……僕は何もしていないのに!」
「———何もしないからだ」
「え……?」
「貴様自身が現状を変えようとしていないからだ。臆病で震えるだけの小兎になど誰が手を差し伸べるものか。逃げ出すことも戦うこともしない貴様など嬲られて当然だろう」
「そんな……‼ そんなことはシリウス君が貴族だから言えるんだよ……僕なんて……」
「ならばそのまま汚物の上で這いつくばればいい。貴様が我を貴族と羨み、諦め続ける日々で満足なら……そうし続けるがいい。それが嫌ならば———貴様が、自分自身なんとかしろ」
偉そうに説教をしてしまうが、これで俺に恨みを抱いて強くなってくれたのなら、それでいい。
俺は、どちらにしろ今世では恨みをお前にたっぷりぶつけられて死ぬのだから、このくらい言ってもいいだろう……。
「僕が……なんとかする……」
ロザリオのつぶやきを耳にしながら、俺はその場を後にした。