第2話 妹——ルーナ・オセロット
貴族の食卓らしい空間。
貴族らしい長テーブルの上で朝食をとる。
カチャリカチャリと俺のフォークが皿をつつく音だけが響く。
この部屋には十人も人がいると言うのに……。
オセロット邸の広間には八人の使用人と、妹がいる。
「……………」
妹———ルーナ・オセロットはテーブルに座っていない。
地面の上に正座をしている。
真っ白な聖ブライトナイツ学園の制服のスカートと、長く編んだ桃色の髪を右肩に乗せ、大人し気な雰囲気を纏っている。
目の前には皿が置かれ、ゴミのような残飯が置かれている。ルーナはそれを悲し気に眺めている。
やりすぎだろう……シリウス・オセロット。
このパートは憶えている。
ルーナとシリウスは腹違いの兄妹だ。父親がメイドと関係を持ってしまった末にできた子供で、シリウスは『犬に産ませた子供』と呼んで見下し、虐待をしていたのだ。使用人ぐるみで人間扱いしないように徹底し、朝食の時もわざわざ一緒の時間に食べるように仕向けておきながら、決して一緒のテーブルには上げてあげない。ルーナに屈辱感を強く与えるための徹底したいじめだ。
本当にこの男はクズだな……。
だが、ここで俺が突然良心にかられ優しい対応をすれば、ルーナが俺を許してしまい、シリウス・オセロットが死ぬ運命が外れてしまうかもしれない。
もしかしたら、ルーナがシリウスをかばう展開もありうる。それだけ優しい女の子なのだ。ルーナ・オセロットというのは。
「……今日もご飯にありつけることを神とお兄様に感謝をいたします」
そう言って、ルーナは腰をかがめて朝食の乗った皿に犬のように口を近づけていった。
…………あ、やっぱダメだ。無理だわ。
「おい」
ルーナの体が固まった。
ただ話しかけただけなのに、矢で背中を貫かれたようようにビクーンと体を震わせた後、身じろぎもしなくなった。
「貴様はいつまでそのような不愉快な姿を我に見せつける気だ?」
確か……シリウス・オセロットはこんな口調だった気がする。
「も、申し訳ありません! 食べるのが遅く! すぐにお兄様の視界から消えますので……!」
自分の存在そのものが〝不愉快な姿〟だと解釈したようでルーナは立ち上がり、広間を出ようとするが足がしびれていたので、ドサリとその場に倒れてしまう。
「……何を勘違いしているのだ?」
俺は立ち上がり、倒れたルーナに近寄り、その髪の毛をむんずと掴み上げた。
そして耳元に口を近づけ、
「どうして何も考えない。どうして言われたままの環境を受け入れる?」
「は?」
「貴様は考えない犬か?」
「は、はい……そうであるよう……お兄様に言われましたから……」
シリウスのルーナへの虐待は徹底的だ。
逆らえば鞭で打ち、気分次第ではしつけと称して拷問にかけることもある。だからこの妹に対しては俺はただひたすら同情しかわかない。
「ならば、貴様は我が死ねと言ったら死ぬのか?」
「は、はい……死にます。お兄様に生かしてもらっている犬ですから……」
めっちゃ泣いてる……めっちゃ怯えてる……めっちゃ可哀そう……。
どうしよう……どうすれば、シリウスに対してヘイト感情を抱いたまま、普通に朝食を取ってくれるのかな……。
あ、いい手を思いついた。
「ならば貴様は我を楽しませるための道化に成れと言われれば、喜んで道化になると言うのだな?」
「はい……なります。ルーナはお兄様の道具ですから……」
ルーナの全身から力抜けていく。
ああ、またいじめられるのだ。拷問に近い躾をされるのだと諦めた様子だ。
「そうか、ならば存分に我を楽しませよ! おい、メイド! この犬に俺と同じメニューの朝食を用意しろ! 今すぐにだ」
近くにいる使用人に命令を飛ばす。
「はい! ……は⁉ よろしいので? シリウス様が「犬と人間が何故同じテーブル同じものを食べるのだ! 犬は犬らしく床を這いつくばれ!」と命令されたからこのようにしていたのですが……」
困惑するメイド。そして俺が何を言っているのかわからないと驚愕に目を見開いているルーナ。
「構わん。これも座興よ。ろくにテーブルマナーを教えられていないこの犬が、貴族の食べ物をどのように面白おかしく食うのか見てみたくなった。それだけの話よ」
「い、いいのですか?」
「我は、構わんと言ったはずだが?」
「は……はい!」
逃げるようにメイドは部屋を出ていった。
◆
ルーナは俺の正面に座り直し、その目の前には貴族らしいバターの乗ったパンとホカホカのスープとフルーツが置かれている。
「……い、いいのですか?」
ルーナの口の端からはよだれが垂れている。
「座興だと言ったはずだ。存分に食うが良い。テーブルマナーも知らん惨めな妹の食べるさまを俺はテレビを見るように楽しませてもらうよ」
「てれび……? とは何なのですか?」
おっとこれは失言を……。
「気にするな。とっとと食うんだ」
「は、はい!」
強引に会話を断ち切って、食事を促す。
そして俺たちは同じテーブルで食事をした。
ルーナは幼少のころから貴族扱いされておらず、まともなマナーの教育はほどこされていない。だが、彼女のテーブルマナーは完璧だった。ナイフとフォークを完璧に使いこなしていた。やはり普段から兄や父の食事の風景を見て学んでいたのだろう。
「あの、これでいいのですか?」
「何がだ?」
唐突におずおずとルーナが尋ねる。
「ルーナはお兄様を楽しませる道化になっておりますでしょうか?」
座興だと言っておきながら、笑いもせずに食事を進める俺に対して不安になったようだ。
まぁそんなのはただの名目なのだから気にせずに食べればいいのに。
「構わん。我はちゃんと楽しんでいる。愚かな妹である貴様にはわからんのやもしれぬが、高尚な貴族である我の笑いのレベルは高尚なもので、一般の庶民がはたから見てもわからぬ高みにある。だから貴様の眼には〝楽しんでいない〟と映っていても、貴様ごときにはわからぬ高いレベルで〝楽しんでいる〟のだ。だから気にせずに貴様は貴様の食を楽しめばよい」
「そ、そうだったんですね……流石はお兄様です」
何が流石なんだ……。
徹頭徹尾意味不明なことしか言ってないぞ。
完全に考える能力を奪われているなぁ……可哀そうに。
とっとと俺は死ぬから、その後は幸せになれよ。
例え、お前のルートに入らなくても、主人公のロザリオはお前を気にかけてくれてこんなクソみたいな家から救ってくれるから……。