第16話 貴族・使用人としての義務
俺が『蠍』の事務所からオセロット家の自宅に帰って来た時にはすでに夜も遅く、とっくに夕食時を過ぎていた。
だから、一人で適当に作って食べようと思っていたが、何の連絡も家には入れていなかったので使用人たちがすでに夕食を作り、ホカホカな状態に保ってくれていた。
いつ主人が帰って来てもおいしい夕食を食べられるようにと、温め続けてくれたらしいが、そのおかげで炎魔法を使用し続けていたであろう、メイド二人が額にびっしり玉の汗を作っていた。
使用人の筆頭である執事のジイさんは「貴族の家に仕える者として当然のことであります」と誇らしげに胸を張っていたが、負担をかけすぎる。
流石に申し訳なく思った。
「いちいちそんなことまでする必要はない。我が一定時間までに帰ってこなければ我の責である。そうなった場合、夕餉は勝手に貴様たちでとれ」
「な、何をおっしゃいますか⁉ オセロット家の使用人としてそのような不敬。やれるわけがないではありませんか!」
「不敬でも何でもない、帰宅時間を連絡せず、遅れた我が悪いのだ。なら食材が痛む前に貴様たちで食べろ。十全の状態で味わえ、その方が食事を作った使用人に対しても、食材を作った農家に対しても、礼儀になろう」
シリウス・オセロットを待って料理のクオリティを使用人一同でリソースを裂いて保ち続けるなんて効率が悪すぎる。
それに下手をしたらシリウス・オセロットが帰らないこともあるかもしれないのだ。そうなるとせっかく保ってくれた料理が、食材が無駄になる。
そんな勿体ないことをするな、と言ったつもりだった。
執事の頬から一筋の涙が流れた。
「な———⁉」
ギョッとする。
〝俺〟の享年の二倍は歳をとっている老齢の紳士が、涙を流している。
「ど、ど、どうした?」
内心ものすごく動揺する。
昔から年上の涙というのには弱かった。どうやったら泣き止んでくれるのかわからないし、何故泣いているのかわからない。それもジイさんに泣かれているのだから、全く持って対処の仕方がわからない。そんなことしたことがない。
「お~い、おいおいおい……! お~い、おいおいおい……!」
「うわぁ……テンプレみたいな泣き方……どうした? 何故泣くのだ?」
「ジイは……ジイは嬉しゅうございます……坊ちゃまがそこまで人を気づかえるようになったのだと……昔はあんなにお優しく、花も虫も愛でられていたお坊ちゃまが、大人になるにつれてすっかり変わり果ててしまったと思ったのに……いつの間にやらまた大きくなられて……我ら使用人のことまで考えていただけるとは……ジイは、ジイは、嬉しゅうございますぅ~~~~~~~~!」
ついには声を上げて泣き出してしまった。
奥に控えている使用人たちもウッと泣き出しそうになっている目元を抑えている。
「…………そうか」
当たり前じゃない?
自分の身の周りの世話をしてくれた人間に対しては礼節を尽くす。
日本ではそう教えられてきたし、ヨーロッパでも貴族の義務という〝地位の高いものは低いものに対して労りの心を持たなければならない〟という考え方がある。
そんな当たり前のことをやって泣かれるなんて、どんだけシリウス・オセロットは家でわがままに振舞っていたんだ。ジャイ〇ンか。
褒められるのに慣れていないからこんな時にどんな顔をすればいいかわからない。
ただ嬉し泣きする使用人たちを眺め続けることしかできなかった。
そして使用人筆頭のジイさんはある程度泣いて満足したようで、ハンカチで目元をぬぐい。
「坊ちゃんのお優しい心に我ら胸を打たれました。それでこそ仕え甲斐があるというもの……これからも、お坊ちゃんの帰りを、温かい食事を用意して待ち続けます!」
「いや、それをやるなと言ったんだが……」
「お坊ちゃんは使用人に対する、農家に対する〝礼儀〟とおっしゃいました。我らはその労いの言葉だけでお腹がいっぱいで御座います。ですので、我らも主人への礼儀として、常に温かい食事を用意させていただきます。これが使用人の義務であり、喜びなので御座います」
「えぇ……」
にっこにこでこのジイさんは言ってるけど、それはあんたが使用人の代表だからそう言っているだけだろう。
実際に労働をさせられるのは他の使用人なのだから、彼らにしてはとんでもないことを言っているんじゃないか?
と———思って使用人の顔を見渡す。
皆、目尻に涙の珠をつくり、笑みを浮かべて頷いている。
わからん……。
主人の前では嫌な顔を見せずに笑顔でいようとするだろうから、彼ら彼女らが何を考えているのかさっぱりわからん……。
「…………程々に」
進んでやってくれる人間に対して、無理強いすることはできなかった。
だけど、いずれは辞めさせないといけない。
少なくとも四か月後までには。
その時にはこのシリウス・オセロットはこの世にいないのだから———。