第100話 修行日の朝
15時間前————。
アリシアの修行、一日目の朝。
この日は聖ブライトナイツ学園は休みであった。
俺は大斧使いのリタにアリシアの修行を押し付け、悠々自適な朝を迎えていた。
今頃、彼女たちは二人で『黄昏の森』へと突撃しているだろう。
リタには仕事を押し付け、アリシアには師匠と呼び慕う俺がノータッチであることを申し訳なく思うが、仕方がない。本当に仕方がない。
俺は———人を教えるのに向いていないのだ。
だから、俺は日常を過ごす。
普通の休日を、今日は過ごす。
いつも通り、オセロット邸の自室で目を覚まし、使用人たちが用意する朝食をルーナと共に取った。
「……アリサ・オフィリアは?」
「…………?」
この屋敷の泊まり込んでいるはずの彼女が、鬱陶しいぐらいに世話焼きの彼女が今日はここにはいない。
ルーナに尋ねてみても首を傾げるばかりだ。
父との用事があるとか、俺と婚約するとかなんとか言っていたからてっきり今朝も朝食を振る舞い、女らしい面をアピールしてくるかと覚悟していたが……。
「アリサ様は妹様のところにお泊りになったそうです」
執事のジイさんが答える。
オセロット邸の使用人を取りまとめるカイゼル髭の素敵なタキシードの紳士で、背筋をピンと伸ばして一歩真に出る。
「昨夜、ギガルト様のお戻りの予定をアリサ様に聞かれ、今月の8の日。つまり明後日でございますね。そのご予定であるとお伝えさせていただきましたところ、別件でやることがあるとのことで、この屋敷にはその日まで帰らないと伺いました」
な、なんじゃそりゃ……。
「妹のところに泊まるのなら……泊まれるのなら、最初からそうすればよかったではないか……」
「まぁ、アリサ様にもいろいろお考えがあっての事でしょう。それに……それでもやはり二人で一人部屋の使用は嫌だとおっしゃられておりましたので、その……」
執事のジイさんが気まずそうに上を見上げる。
その視線の先には天井があり、さらにその上には二階の現在は使われていない部屋がある。
「その……なんだ?」
その使われていない部屋はゲストルームと化し、客人であるアリサ・オフィリアが寝泊まりするために使っていると聞いたが……。
「まさか……」
「そのまさかでございます……現在、妹君のナミ・オフィリア様がゲストルームを使用しております……」
執事のじいさんがそう告げた瞬間、食堂の扉がばたんと開かれた。
「ふわぁぁ~……おはようございまふ……」
寝間着姿のナミ・オフィリアだ。
髪はボサボサでかなりだらしない恰好。ネグリジェの肩紐が落ちて、今にもその乳房が見えそうになっている。
「ナミ・オフィリア……どうして貴様がここに……ってそれはさっき聞いたか……」
「ふわぁ……あさごはんまだ……?」
ぼんやりとした顔をしながら、メイドが引く椅子に座り、執事の方を見るナミ。
丁寧に彼女がここにいる経緯を話してくれたカイゼル髭の使用人筆頭は深々と礼をし、部下のメイドたちに指示を飛ばす。
「……貴様も災難だな。ナミ・オフィリアよ。横暴な姉に振り回されて」
「ふえっ? どうして会長がここに⁉ ここは私の実家ですよ⁉」
「ここはオセロットの家だ!」
ダンッとテーブルを叩くとボケていた頭が覚醒したかのようにナミが「ヒッ!」と声を上げて目を瞬かせる。
やがてその目つきがはっきりとしてくると……、
「あ……そうでした……お、おはようございます……会長……」
「お早う。ナミ・オフィリア」
俺が挨拶をすると、自分がかなりだらしない恰好をしていることに気が付いたのか、両腕を胸の前でクロスさせる。
今更恥ずかしがるな。こっちまで恥ずかしくなってくる。
「それで、姉に部屋を追い出されてしまったと言うわけか? 貴様は?」
メイドたちがナミの前に次々と食器を置き、てきぱきと朝食の準備をしてくれる。
「そ……そうです……私、お姉ちゃんの言う事には逆らえませんから……」
「部屋をもぶんどるとは……ちょっとは逆らってみた方がいいのではないか?」
「姉ってそういうものですから……それに、こっちのベッドの方が寝心地良いし……流石領主さまの家ですね……えへ……えへへへ……」
卑屈に、院キャ特有の気持ち悪い笑みを浮かべるナミ・オフィリア。
まぁ、部屋を交換すると言うのは彼女にとって悪い話ではなかったのだろう。聖ブライトナイツの学生寮と、この地方の領主の管理する部屋では質が全然違う。
ただでホテルに泊めてもらう権利を得たようなものだろう。
「姉の用事とはなんだ?」
少し、アリサの行動は腑に落ちなかった。
初めて会った時は、シリウス・オセロットのことを気にも留めていなかった。それなのにいきなりオセロット邸に押しかけ、執着するかと思えば次の日にはいなくなる。
何か———俺には彼女が企んでいるのように見えた。
「さぁ……友達と会うって言ってましたけど……」
「友達と会うのに、貴様の部屋を使う必要があるのか?」
「この屋敷が街から少し遠いんじゃないですか? ハルスベルクの外れですし……店からは聖ブライトナイツの貴族寮の方が近いですし……」
「店?」
「久しぶりの友達と飲み明かす必要があるそうです……」
…………企んでないのかも。
「ハルスベルクの飲み屋街で飲んだ後、すぐに帰る場所として……学生寮の私の部屋の方が都合がいい……」
「ただそれだけ……か」
「お姉ちゃん……友達多いから……」
陽キャの考えることはわからん。
というか、陽キャって忙しいな……いろんなところに顔を出さなきゃいけないのか。
まぁ、それが『ハムリア館』の大広間を一声で埋められる人望の秘訣なのかもしれないが。
「それでここまで人を振り回すと言うのも迷惑な話ではあるが……」
「まぁ……お姉ちゃんってそういう人ですから……」
慣れた様子でナミは流し、目の前に出された朝食を手を付け始める。
その様子をしばらく眺め、そろそろ魔法の勉強でもしようかと席を立った瞬間だった。
また、食堂の扉が開かれた。
「お客様がいらしております」
執事のジイさんだった。
「……? こんな朝早くからか?」
「こんな朝早くからでございます。なにやら緊急のご様子で———」
と、ジイさんの影から、銀髪のロリ。大斧使いのリタが現れる。
「やっほ……」
のんびりとした様子で俺に向けて手を上げる。
「リタ? 何故来た? アリシアの修行はどうしたんだ?」
「悪いけど……用事ができて行けなくなった……だからこうしてお断りの連絡をしに来ている」
「な⁉」
ドタキャン—――ということか⁉
「な、何故だ?」
「言えない……こっちにもこっちの事情がある」
俺が問いただしても、リタは動じる様子もなく平然と答える。
「それではアリシアは?」
「だからこうしてここに来た。王女は既に『黄昏の森』へと向かっている……君が行ってあげて」
「な⁉」
「君が行ってあげて」
「我にも我の事情というものが……」
ない。実は暇である。
「君が行ってあげて」
壊れたおもちゃのようにリタはひたすら同じ言葉を繰り返す。
ダメだ……ここでやり取りをしてもらちが明かない。
仕方がない……!
「貴様も来い! ナミ!」
「何でッ⁉」
我関せずともぐもぐと頬張っていたナミに声をかける。
俺は慌てていた。
既に一人で『黄昏の森』へ向かっているアリシア。彼女にアリサ・オフィリアに勝つために修行を付けなければならない。それは対人戦の訓練である必要がある。大斧使いのリタは協力してくれない。アリサの妹のナミ・オフィリアがオセロット邸にいる。ナミはオセロット邸に置き続けたら何が起きるかわからない。
そういった思考が頭の中でバーッと交錯した。
結果———ナミ・オフィリアを伴って『黄昏の森』へ向かうことがベストだという結論に達した。
◆
「急げ、ナミ! アリシアは下手をすればもう一人で『黄昏の森』に突入しているぞ!」
「どうして私まで~……!」
オセロット邸の門から慌しく……手荷物を持ったシリウス・オセロットとアリサの妹、刀を手に持つナミ・オフィリアが飛び出していく。
その光景を私はオセロット邸を取り囲む壁に背中を預け……見つめていた。
「これで良かったの……? ロザリオ?」
彼と……共に。
「ええ、わざわざありがとうございます。リタさん」
一見すると冴えない青年、ロザリオ・ゴードンが生垣の影から静かに姿を現す。
「でも、どうしてシリウス・オセロットに修行に同行するように言う必要が……あった……の? 別に王女一人でも良かったのに……」
修行というものは、本来そういうもののはずだ。
一人で街から離れた地で、自然と向き合い自分を見つめなおす。
だから、シリウスからアリシア王女の修行に行くように頼まれた時は、基本的に彼女を放置し、私は草葉の陰から見守るつもりだった。
私が同行しようがしまいが、王女にやらせることはあまり変わらなかった。
それに反対したのが、ロザリオだった。
「ハハ……リタさんのやり方は、俺だから耐えられましたけど、王女様には多分耐えられないでしょうから。それに、会長を行かせた方が面白い結果になりそうだったので☆」
微笑むロザリオだがその笑みが私には意地の悪いものに見えた。
「ロザリオは……シリウスとアリシアをくっつけたがっているの……?」
そうとしか……見えない。
だが、彼は顎に手を当てて考え込んでしまう。
「そう……なんですかねぇ。自分でもわからないです。ただ、いつも厚顔不遜に偉ぶっているシリウス・オセロットという人物の、人間らしい部分というものを知りたいとは思っています」
「ロザリオ、ゲスなこと考えてる……?」
もしかして、こいつは人の恋心を弄ぶ最低野郎なのではないかと思えてきた。
「かもしれません。だけど、会長と王女様の事だけじゃなくリタさんに今回の話を断ってもらったのは別の思想もあります」
「別の?」
「ええ、今リタさんにこの街を……『蠍』を離れてもらいたくなかったんです。念の為に……ね」
ロザリオは先ほどまでの笑みをスッと消し、真剣な表情になる。
「どういう……事?」
「———昨晩、アリサ・オフィリアさんがウチのボス、グレイヴ・タルラントに接触しました」
「それは……知ってるけど?」
私はその光景をチラリと横目で見ていた。
まぁ、アリサの知り合いが———私を始めとして『蠍』には何人もいるし、彼女は卒業後、プロテスルカ帝国の貿易事業に携わっているらしいし、何か大人の話をしているんだろうと気にも留めていなかった。
「それがあってからずっと……嫌な予感がするんですよ」
小さくなるシリウスとナミの背中に視線を映し、呟くようにロザリオはそう言った。