誹謗中傷株式会社
「はい。はい。はい。分かりました。〇〇さんにですね。はい。承りました……」
そう言うと私はスマホを置き、ふぅと息を吐いた。
どかりと背もたれに体重を預け、背伸びをして大あくびを漏らす。
普通なら誰かに注意されるのかも知れないが、このオフィスには私を気にする者など誰もいない。
皆、スマホで漫画を読んだりしているだけなのだから当然だった。
ここはとある株式会社。
株式会社と言う割にはひっそりしており、社員が私を含め十人程しかいないのはその特殊な仕事内容の為である。
世の中には、誹謗中傷というものが多くある。
死ね、豚、馬鹿といったテンプレな物を始め、謂れのない言葉の刃を向けて特定の個人を傷付ける。
それで自分の不満やストレスを発散し、楽しんでいるのだ。
しかし最近は警察などの取り調べが厳しい。
被害者側に告発された場合、すぐさま加害者側が特定されてしまい、多額の罰金や場合によっては禁固刑を言い渡されるようになった。
安易に誹謗中傷ができなくなった加害者達はどこへその悪意を向けるのか? 身近な他人か? いやいや、そうではない。
やはりネットの、顔の見えない相手に向けたがるのである。
その不満の吐口を代行するのが、ここ、『誹謗中傷株式会社』なのだ。
今日はこれで十件目。世の中、性根が腐り切っている人間が多いものである。――まあそういう人を利用するこちらだって性悪なのだけれど。
「君達、調子はどうかね」
扉が開き、廊下からずんぐりむっくりのハゲ男が現れた。
彼がこの会社の社長。表向きは別の株式会社で大儲けをしている、世の中に名が知れ渡った高年の男性だった。
「はい社長。今日も滞りなくです。沢山の依頼がありましたよ」
「そうかい。立ち上げた時はこんな会社を利用する人間がいるのだろうかと不安だったが、こんなにも成功するとはなあ。いやあ、人間というのはどこまでも醜悪だねえ」
そう笑いながら、ハゲはまた部屋を出て行った。
私以外、誰も見向きもせずに。
彼はどうやら老いぼれ間近の癖して私に気があるらしいのだ。
いつも気持ち悪い笑みを向けて来て、背中がゾクゾクする。
時には胸を触られるなんていうセクハラまがいの事もある。こちらが三十手前の若い女だと思って舐めてやがるのだ。
でもこの会社を辞めたら生活が破綻してしまうから、今まで私は何も言わなかった。
「でも、これで」
私はニヤニヤと笑いながら、再びスマホに向かった。
『死ね、ハゲ男。偽善の悪魔め。お前なんか世界の害悪だ。とっとと消え失せろ、痴漢魔』
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――数日後、仕事が終わっての帰り際。
社長が私にすり寄って来て、こんな事を言い出した。
「……ねえ君、ちょっと聞いてくれるかい?」
「何ですか?」
「それがね、最近僕、毎日執拗に誹謗中傷されてるんだ。『死ね』とか『デブ』とか『痴漢魔』とかね。いやあ、自分が実際やられると困ったもんだよ、ったく。やっぱ僕、嫌われ者なのかね?」
「ええまあ、社長を疎む方はいらっしゃるでしょうね」
私が内心でほくそ笑んでいるとも知らずに、良い気なものだ。
「ねえ今夜、時間空いてるかい?」
「いいえ、今日はちょっと」
そうすげなく断って私は、荷物をまとめて帰路に着いた。
スマホを開き、目を落とす。
ちなみにこのスマホは『誹謗中傷株式会社』の社員に配られている特別の物で、いくら書き込みをしたところで特定される事は絶対にない。
社長のブログへ行って、『今日はリスカしてた。まじ変態』とこればかりは嘘を書いておく。
この企みは私が思い立った事ではなく、依頼の一つ。
依頼内容は、『あのめちゃキモいおっさんを痛め付けて』という物だった。これに私は、すぐさま飛び付いたのだ。
元々仕事柄――いや、性格的に人の悪口を書き込んでもちっとも心が痛まない私だが、これはむしろ楽しいくらいだった。
どんどん痛め付けて痛め付けて、追い込んでやるのだ。
その姿を思い浮かべるだけで本当の本当に楽しみだった。
そんな事を考えつつ、今度は自分のSNSサイトに目を通し――。
愕然とした。
そこには、悪行雑言の数々が書かれていたのだ。
誰がしたのか、すぐに分かった。
『誹謗中傷株式会社』の人間、つまり同僚の仕業だろうと。
「……なんで?」
一体誰が依頼して、誰が書き込んだのだろうか。
そう考えた瞬間、サァーっと血の気が引いていった。
「なんとしても、探し当ててやらなくちゃ」
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社員達はみんな下を向き、一心にスマホを眺めている。
いつもと同じ光景。だが、明らかな違和感を私は感じていた。
普段は社員同士意識なんてちっともしていないのに、どこか視線を感じるのだ。
「……〇〇さん、今日何件ありました?」
「え、今日はなし。どうしたの?」
「いや別に、ただ訊いてみただけです」
昼食の時間、食堂に社員全員が集まったのを見計らい、私はまた訊いてみる。
「社長、あの件はどうですか?」
「いやあ。ますます酷くなってるよ。君に慰めて貰えれば元気出るんだけどなあ」
「大変ですね、そんなの気にせず頑張って下さい」
色々と探ってみたが、犯人は分からない。
私の疑心は深まるばかり。無味乾燥な日常はどこへやら、いつも気を張っていなくてはならなくなった。
そんな中でも、社長への嫌がらせは続けるという毎日が続いた。
「うぅ……」
私への悪口は、日に日に酷くなる一方。
誹謗中傷というのがこんなに堪えるなんて知らなかった。
胸が重い。頭がそれの事でいっぱいだ。
そして数日後、私はオフィスのトイレで一人の社員を問い詰めていた。
彼は私と同年代の男性社員。気が弱い事で有名だった。
「やっと見つけました。……さて。どうして私を誹謗中傷したのか、教えて下さいますよね?」
「ひ、ひぃっ。ごめんなさいごめんなさい許して下さい」
「あなたがちゃんと吐いてくれたら私は何もしません。さあ早く」
彼が言うには、別の女子社員に言われてやったそうだ。
その女子――と言っても中年女だが――に訊いてみると、彼女はこんな事を言った。
「あんたがあたしに悪口書くからでしょ」
そんな事言われても、私は知らない。
――この社内で、何か妙な事が起きている。
私は多大な不安と疑問を抱えつつ、さらに何日かを過ごした。
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そして気付けば、社長の顔色が非常に悪くなっていた。
「……どうしたんですか?」
思わずそう訊ねてみると、彼は溜息を吐きながら頷いた。
「例の嫌がらせが酷いんだ。それで今、僕はあっちを辞めさせられるかどうかの瀬戸際なんだよ……」
彼の言い方に違和感を感じ、私は社長のブログを読んでみた。
そして、書き込んだ覚えのない誹謗中傷や、社長の悪事を暴露するような内容が次々と寄せられていた。
――これはおかしい。
彼に悪口を書いているのが私だけでなく、この社内に他にもいるとすればそれは一体どういう事なのだろうか?
普段、会社に依頼して来る人物は誰か分からない。
金だけは振り込まれるようなシステムにはなっているけれど、声はボイスチェンジャーで変えている人が多いし勿論電話なので顔は知りようがないのだ。
そこで私は強硬手段に出た。
昼食の時間を狙い、理由を付けてこっそりオフィスに戻る。
そうして全員のスマホをこっそり奪い、過去の通話履歴を見てみた。
そして分かった。
全員が全員、首謀者であるのだと。
仮に、とある老年の男をAと呼ぼう。
Aはこの会社の副社長だ。
彼は酷く社長を嫌っていた。原因は気持ち悪いからとか、歳下の癖に上から目線で腹が立つとかだ。
それで彼は、ふとこの会社自身に依頼してみる事を思い付いた。
その依頼が私の元へやって来たという訳である。
他にも、気に入らない部下の悪口を書いたり、依頼して書かせたりもしたらしい。
そしてその連鎖は広がり、私に悪口を書かれたと思い込んだ女子社員Bが男子社員Cへ頼み込んで私の誹謗中傷を書かせた。
それ以外にも色々な所で類似した事は起きており、今や皆が悪口を陰で言い合っている事が判明した。
「――どうしよう」
これは大変な事になった。
この証拠を突き付けて皆に言ってやれば良いのかも知れないが、本来は他人のスマホを触るなんてあまりにも不道徳的な行いである為、私が責められてしまうだろう。
では証拠なしでこの事を開かせるかと言うとそれも無理だったので、私は結局、見て見ぬふりをすると決めた。
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それからいつものオフィスの一室は、ギスギスした空気が充満するようになった。
当然だ。全員が全員、他の社員へやましい事をしているのだから。
そして皆は互いへの言葉の攻撃を強め、特に社長は顔色が明らかに悪くなっていった。
――やがて彼は書き込みによって疑惑が噴出し、会社は破産、彼の悪事が全て暴かれて警察に逮捕される事になった。
勿論、この『誹謗中傷株式会社』の事も公になって、取り潰しに。
社員は全員クビになり、私は警察に取り調べをされ、多額の罰金を支払わされた。
だが、問題はそれで終わらなかったのだ。
私への誹謗中傷が、一気に増加した。
『人の事を悪く言って笑ってる最低な女』
『死ね』
『この世の害虫』
『灰になれ』
『土下座して裸踊りしろ』
『次に会ったらお前を殺す』
『明日お前の家を爆撃する』
『殺して埋めて、それでもお前の悪口は止まらないんだろうな』
「今でも誰かに誹謗中傷して笑ってるんだろ』
『考えるだけで悍ましい豚女』
『地獄へ堕ちろ』
数の多さと、あまりの内容の酷さに、私は初めて痛感した。
――誹謗中傷というものが、どんなに惨い行いであるのかという事を。
私が別社員に受けていたあれ、あれはまだまだ序の口だった。
本当の悪意というものは真っ黒で、心の奥まで突き刺さる。
そのうちに外へ出るだけで悪意を浴びせかけられるようになり、家に閉じ籠るしか無くなった。
それでも届き続ける、差出人不明の悪戯手紙と無言電話、SNSの激しい誹謗中傷。
助けてくれる人がいない。慰めてくれる人も、励ましてくれる人も誰もいない。まさに四面楚歌だった。
逃げ場がなく、耐え切れなくなった私は、睡眠薬を呑んで自殺する事にした。
意識が遠くなる中で、私は思う。
「……私が傷付けていた人達も、みんなこんな気持ちだったのか」
そうして私は眠るように死んだのであった。
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これは私の知る由もない事であるが、死後も私は罵倒を受け続けたのだという。
『勝手に死にやがって』
『それで何か楽しいか?』
『自業自得』
『誹謗中傷株式会社』が失われたといえ、きっと世の中からはまだまだ誹謗中傷がなくなる事はないのだろう……。
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