命の別名⑭
1.夜半の誘い
今日は色々あり過ぎた。
十時にベッドに入ったは良いものの寝付けずに悶々としていたら気付けば時計は午前二時を回っていた。
寝不足は心も身体も鈍らせることは前世の経験でよく知っているので寝なきゃいけないとは分かっているのだが……。
「……そう簡単に眠れるなら苦労しないっつーね」
気晴らしに動画でも見よう。
そう思ってスマホに手を伸ばした正にその時だ。スマホから無機質なコール音が鳴り響いた。
画面に表示されている名前は“烏丸”。こんな時間に電話……どうやら俺の一日はまだ終わっていなかったらしい。
「はいもしもし」
《悪いね、こんな時間に》
「いや、寝付けなかったから問題ないよ。それより……」
《ああ、例の黒幕の情報が判明した。合致する条件からして間違いないと思う》
やっぱり……でも、こんなにも早くってのがねえ。
偶然、件の九十九と交流がある人間が烏丸さん達の交友範囲に居たって可能性もなくはないよ?
でもそれよりは意図的に情報を流したって方が説得力あるわ。
《本名は九十九 丈一。年齢は二十五歳。新進気鋭の若手投資家として界隈では名が知られてるらしい》
「それはまた……」
《それ系の雑誌にも載るような奴で総資産はまだ三十前だってのに……を優に超えてるとか超えてないとか》
キャー、素敵! 優良物件だわ! ツバつけなきゃ!
婚期に焦るご婦人方がこぞって食いつきそうなものだが俺らからすれば堪ったものではない。
潤沢な資産があるってことはそれだけ危険度が跳ね上がるってことだからな。
表に出てるだけでそんだけの資産だろ? そりゃ大量の違法薬物を仕入れられるわ。
ドラッグだけじゃない。武器や防具もだ。弱さを補う装備の質は……想像するだけでクラクラして来たわ。
《……大丈夫かい?》
「大丈夫じゃないけどここで自棄になれる立場じゃないでしょ」
《道理だ。続けるが良いか?》
「うん」
《彼は高校時代に友人を亡くしている。イジメによる自殺だそうだ》
「……」
《当時のことを知る人に聞いてみたが、かなり酷かったらしい》
「……加害者は?」
《全員、行方不明。どいつもこいつも多額の負債を抱えてたらしく夜逃げだろうと言われてるが……》
違うだろうな。死んではいないと思う……が、死んだ方がマシな目に遭わされてるんじゃねえかな。
《まあ加害者についてはこれぐらいで良いだろう》
その通りだ。加害者が健在ではないと分かっただけで情報としては十分だ。
《九十九自身も友人を庇っていじめを受けていたようだが武道をやっているからか精神的にタフだったんだろう》
「さして堪えていなかった、と。それだけに友人が死んだのは……」
《憎悪か悔悟か……両方かな》
「あんまり感情移入してもやり難くなるだけだし考えない方が良いよ」
《……そうだな、君の言う通りだ》
とは言え、だ。憐憫の情を抱けるのも今の内だけだろう。
状況が進めばそれどころじゃなくなる。自分とこの者が被害を受ければ同情は容易く怒りに変わってしまう。
「で、九十九のやさは?」
《中区にある高級マンションの一室がそうだが――……奴は今、そこには居ない》
「へえ」
住所が分かったから現地にまで行って確認したのか?
高級マンションって言うぐらいだから中には入れないとしても外から灯りがついてるかどうかぐらいなら分かるしな。
でも、もしそうじゃないなら……。
「“どっち”だい?」
《……君の考えている方さ。俺達は、奴の現在地も把握している》
「やっぱり意図的に流された情報だったか」
《どうする?》
「無視はないね。それは烏丸さんも分かってるだろ?」
《ああ、この状況で躊躇するところを見せるのは危険だ》
だから乗り込むのは確定として、
《……部下には遠巻きに監視するよう言ってある。
どうする? 俺達四人で乗り込むか? それとも俺か大我、龍也の誰かが行く方が良いかい?》
俺の名前が挙がらないのは全体を動かせる頭を単身、危険に突っ込ませるわけにはいかないからだろう。
だがそれを言うなら烏丸さん達もそうだ。
「いや俺一人で良い」
《……それは、まずいだろう。わざわざ俺達を誘ってるんだ。罠の可能性が高い》
本番前に厄介なのを一人でも潰せたら。
烏丸さん達はそういう意図で情報を流したのだと思っているのだろう。
実際、普通に考えるなら俺もその可能性が一番高いと思うが……俺は真の黒幕を知っている。
烏丸さん達が見えていないものが見えている。
だからこの誘いはもっと感傷的なものだと思う。まあ、今はまだそれを言うつもりはないが。
「こんなことは言いたくないけどさ。頭、四人の中で一番強いのは誰?」
《それは……》
「実力もそうだけど万が一を考えるなら俺が一番だ」
集団を動かすという視点で損得勘定するなら三人に秤が傾く。
俺は塵狼の頭で烏丸さん達にも一目置かれちゃいるが他の市内の不良を従わせられるかっていうとそれは別だ。
「実績があっても中学生だからって舐めてかかる奴も絶対、居る」
《……》
「これから始まる血で血を争う戦いは市内全域の不良が標的にされたものだ」
他のグループとも話をつけたりする場面が必ず出て来るだろう。
怒りで目を曇らせ“やらかしかねない”連中を抑えたりもそう。
そんな場面では俺よりも高校生で既に一定の地位に居る烏丸さん達のが絶対役に立つ。
「俺は烏丸さん達とは仲が良いけど他の高校生の不良なんて全然知りやしない」
《……》
「単純に腕っ節の強さがこれから始まる争いを収める役に立つならまあ、俺も慎重を期そう」
しかし何だ。我ながらよくもまあここまで嘘を吐けるもんだと感心するね。
いや、言ってることは間違っちゃいないと思うよ?
でもこの場で烏丸さん達を行かせたくない理由は別にある。
ここまで来た以上、哀河が姿を現したのなら俺も烏丸さん達に隠しておくわけにはいかない。
しかし、その前に二人だけで話す機会が欲しいのだ。俺一人で出向くからこそ見えるものは……きっと、ある。
「でもそうじゃない。烏丸さん達もそれは分かってるだろう?」
《…………分かったよ大将。俺達は君の指示に従おう》
「結構。まあ、やられるにしても何かしら情報は掴めるよう努力するからさ」
《無事に帰って来てくれることが一番だがね》
「そりゃそうだ」
烏丸さんから九十九の所在地を教えてもらいスマホを切る。
「さて、どうなるかね」
2.悲しみの幕が上がる
潮の香りが鼻腔を擽る。夜の港ってのは中々に悪くないシチュエーションだ。
小一時間ぐらい夜の海を眺めたり周囲を散策したりしたいとこだが……生憎とそんな暇はない。
俺は一先ず、現地で遠巻きに見張っている監視員と合流することにした。
「お疲れ様です」
「うん。それで、九十九は?」
「……一番左端の倉庫の中に居ます」
「なるほど」
「うちの烏丸から一人で行くと伺いましたが……やはり俺達も……」
「俺一人で大丈夫。何かあるにせよ、それぐらい身軽な方が俺もやり易いから」
倉庫に入ってから一時間経っても連絡が来なければ様子を見に来て欲しい。
それだけ告げて、俺は倉庫に突入した。
中は薄暗く、窓の外から差し込む月光だけが唯一の光源だ。
(……居るな)
広い倉庫の中を奥へ奥へと進む。
そうして最奥に辿り着くと……居た。あれが九十九か。
身長は170半ばぐらい? 細身に見えるが服の上からでも分かる。ギッチリ練られた筋肉だ。
「あんたが九十九丈一かい?」
「……ああ、君が白幽鬼姫か。知ってはいたが生で見るとおっかないぐらいの美形だな」
「そりゃどうも。それで? わざわざ俺を誘い出した理由を聞かせてくれる?」
というか哀河はどこだ? 倉庫のどこかに隠れてるのか?
だとしても、俺一人で出向いたんだ。今更隠れる必要はないと思うが……。
「……君のお陰で俺の目論見は全部パーだ」
…………“俺の”?
「この街を足がかりにどんどん広めていくつもりだったんだけどなぁ」
九十九は力なく笑う。
「まあ、こうなった以上は仕方ない。後はもう力の限りに――……いや違うか」
ふるふると首を横に振り、九十九は告げる。
「“心のままに”無差別に無慈悲に暴れるだけ暴れるしかないだろう」
「だろうね。わざわざ言わなくても察しはついてるよ。何? 宣戦布告がしたかったの?」
「いいや、違う。取引だ。君と取引をしたいんだよ」
「ほう?」
「俺達は塵狼に手を出さない。だから君も……君達もこれから起こる争いに関わるな」
薄々そうじゃないかとは思っていたが、確信した。
ここに俺を呼び出したのは九十九の独断だ。コイツは俺が真の黒幕に辿り着いてることに気付いていない。
こんな提案をしたのも自分が黒幕であるということをより強く印象付けるため。そして最後に自分が全部泥を被るためだ。
哀河も九十九が自分を犠牲にすることを考えていたから、俺のことは何も言わなかったんだろう。
(……俺が最後の引き金を引けってか)
もうどうしようもないことを九十九に突きつけろと。
奴の声が聞こえるようだ。自分を表舞台に引きずり出さねば酷いことになるぞ、ってな。
「で、どうかな?」
「断る」
良いよ、ノッてやろうじゃないか。
九十九が全ての責任を取るってのは俺にとってもよろしくない。
俺が考える少しはマシな幕引きのためには哀河にも表舞台に上がってもらう必要があるからな。
「…………そうか。残念だよ」
腰掛けていた資材からゆっくり立ち上がると、濃密な戦意が九十九から放たれた。
これまでの相手とは違う。真っ当に鍛えた真っ当な強者だ。
俺はゆっくりと片手で手招きをすると、九十九は地を蹴り俺に接近した。
「フッ!」
近距離の打撃戦。
コンパクトな構えから放たれる打撃の一つ一つが重く……鋭い。
(投げ……!?)
腕を取られる。浮遊感。
多分、受身は取らせてくれない――ならば!!
「「ぐっ!?」」
地面に叩き付けられ呻き声が漏れるが、それは九十九も同じ。
投げられながら放った蹴りがクリーンヒットしたからだ。
「……何故、関わろうとする? 君らが関わらずともどの道、最後には俺達は負けるんだ。それが分からないほど馬鹿じゃないだろう?」
「そうだね。この街の不良に結構な被害を与えはするだろうが多勢に無勢。最後はくしゃっと潰されて仕舞いだろうさ」
「なら」
「でも、そうもいかない事情がある。なあオイ! そろそろ茶番は終わりにしないか!?」
俺の言葉に怪訝な顔をする九十九だが、
「――――ああそうだね、もう十分だ」
俺のものでも九十九のでもない声が倉庫に響き渡る。
視線をやると貨物の上に哀河が居た。月光を浴びながら微笑むその姿は……何とも薄ら寒い。
「!? し、雫……何で……」
「随分と勝手なことをしてくれるね丈。独断で事を進めて既成事実を作れば俺が大人しくしてるとでも思った?」
「ッ……」
「まあ、仮に俺が気付いていなくても無駄だよ。だって彼、俺の存在に気付いてたもん」
ギョッとして俺を見る九十九。小さく息を吐き、俺は頷いた。
「今日……もう日付が変わったから昨日か。昨日、売人を締め上げた時点で俺はもう真の黒幕に気付いていた」
「な」
「やっぱりかぁ。いやはや、やっぱり南くんにお別れを言いに行って正解だったね!」
ニコニコ笑う哀河……何ともまあ、酷い笑顔だ。
笑えない俺も大概だが、あんな哀れな笑い方しか出来ないのも問題だと思うね。
「丈、君もこうして花咲くんと手を合わせて分かっただろ? 中途半端なやり方じゃ皆、ロクに吐き出せないまま終わるってさ」
「……」
「もう負けは決まった。ならせめて……皆が抱えているものを少しでも吐き出させてやるのが俺達の責任だろう?」
八つ当たりを始めたのは自分達だ。始めたからにはキチンと最後までやり通さねばならない。
哀河の言葉に九十九は痛みに耐えるように歯を食い縛った。
そうだよな、これがビジネスライクな関係ならともかく相棒なんだもんな。認められるわけがないよな。
「花咲くん、君にはもう結末が見えてるんじゃない?」
「……ああ」
分からいでか。
「どうにもならない苦しみに喘ぐ連中を暴れさせるだけ暴れさせて……頃合を見て、お前は自殺するんだろ?」
まずは仲間達に九十九ではなく自分が全ての始まりだと告げ改めてリーダーとして哀河が立つ。
その上で抗争を起こし、仲間達を暴れさせるだけ暴れさせる。
だが何もしなければ彼らは自分が砕け散るまで続けるだろう。それではあまりにも救いがない。
だから最後の最後に彼らを止めるため、争いを終わらせるために哀河は自分の命を絶つのだ。
「で、九十九は警察に出頭ってとこかな。ドラッグを買った連中のリストもそこで提出するんじゃない?」
何故、哀河は復讐の手段として違法薬物を用いることにしたのか。俺はそこについても考えていた。
奴からすれば忌まわしい存在だろうに、敢えてそれを使ったのは効率と私怨だろう。
哀河の手段ならば人間一人を破滅させるなんて容易いと思う。
だが特定個人ではなく不良という人種そのものを標的にするなら手が幾らあっても足りない。
(だからこそのドラッグだ)
使えば一発アウト。正確には使った状態で抜け切る前に薬物検査を受けたら、か。
タイミングを見計らって垂れ込めばそいつは一発で社会の営みから隔離される。
ドラッグを長く続けていればいるほど、その後は地獄だ。
初犯なら執行猶予がつくだろうが依存症の克服は生半なものじゃない。
耐え難い誘惑に晒されながら生きていくのは辛かろうよ。
(そして私怨、こっちは分かり易いな)
哀河にとって騙されてとかではなく自分からドラッグに手を出す奴なんぞ、姉を奪った糞野郎と同類。
潜在的にそうなる可能性がある奴は敵でしかない。だから地獄に落とす。
とは言え、だ。ジャンキーが捕まる前に一般人に害を成す可能性はあるし、法の裁きを受けた後でもその可能性も付き纏う。
禁断症状に耐え切れずに再度、ドラッグに手を出そうとしたけど金がなくて……とかな。
第二第三の自分を生み出す可能性があることをコイツが理解していないわけがない。
それでも推し進めたのは……憎い仇を謀殺した時点でもうコイツは、どうしようもなかったんだろうな。
分かっているのに止まらない。止められない。自分の意思ではもうどうしようもない。怨念と罪悪の暴走。
それがこの事件の本質だと売人を追い詰める時に語ったが哀河の場合はそれが誰よりも根深い。
(この分だと俺が真実を暴かんでも早晩……いや、それでも上手くやれてしまうのか?)
もしもの未来に意味はないか。既に真実は暴かれたのだから。
考えを頭の中から追い出し、俺は続ける。
「露呈しなければ小分けで警察に売り飛ばしていく予定だったんだろうが露呈してしまった以上、ジャンキーどもを野放しにする理由はないからね」
二人のリーダーがそれぞれの形でケジメをつけることで仲間達を闇の中から無理矢理送り出す。
心に深い傷を負うだろう。ひょっとしたらもう、立ち直れないかもしれない。
それでも尚、やる。哀河は自らの死と一緒に希望を託すのだろう。
俺はどうにもならなかったけど、君達は違う。俺達に対する感謝の念が僅かにでもあるのならその生き様を以って返して欲しいってさ。
情の深さゆえ闇に堕ちた者達だ。哀河の死を無下にすることはあるまいよ。
「御名答。これが誰にとっても一番、マシな終わり方でしょ?」
「……巻き込まれる方は堪ったもんじゃないけどね」
俺達もそうだが、一番迷惑なのはパンピーだ。
本格化する前に辿り着けたがジャンキーどもによる小さな被害は既に出てるはずだ。
「ハッハッハ! そうだね。他に選択肢がないことぐらい君も分かってるだろ? 分かっていても、君は受け入れざるを得ない」
溜息が漏れる。
「では宣戦布告――……と行きたいけど、困ったことに俺達には名前がないんだな」
だからその前に名乗りを上げようと哀河は笑う。
「俺達は虐げられ、奪われ続けて来た。未来や希望なんてものはどこにも見えやしない筋金入りの負け犬」
自虐が過ぎるとは思わない。どん底に居る彼らにとってはそれが真実なのだろう。
一切の希望や期待を抱いていない持たざる者だからこそ、ある意味でどんな不良よりも恐ろしい。
「だからそう、Losersとでも名乗ろうか」
「……ルーザーズ」
じゃあ改めて、と哀河は咳払いをし告げた。
「――――悲嘆と憎悪の旗を掲げ、俺達は全ての不良に宣戦を布告する」




