エル・ミラドール~展望台の唄~④
1.同族
桂木陸が七度目のタイマンで偉業を成し遂げる少し前のことである。
校舎裏ではひっそり翔太と一年の実力者によるタイマンが行われていた。
「ッらぁ!!」
よろめいたところに追撃の拳がやって来る。
それに対し翔太は敢えて頭からぶつかりに行った。
「……石頭舐めんな!!」
「ッ!?」
硬い額に拳をぶつけたせいで痛めてしまったのだろう。
拳を押さえて後ずさる相手に距離を詰め、その頭をガッチリホールドし頭突きを放つ。
一回だけでは足りないなら二回、三回、何度も何度も頭突きを繰り返し……やがて、相手は倒れた。
「はぁ……はぁ……これで、一段落……か?」
自分に任せて欲しい。
そう願い出たその日の内に笑顔は自分とやりたい一年坊はまず桜井翔太を倒せと布告してくれた。
それから今日まで翔太は毎日のように野心に溢れる馬鹿どもを相手取り、その全てに勝利して来た。
笑顔に勝てずとも笑顔が認めた男に勝利すればという考えの者も多数紛れていたのだろう。終わりがないのでは? と不安を抱いたこともあった。
だが十人ほどを倒したあたりで翔太の実力が分かったのだろう。
雨後の筍の如くぽんぽん沸いていた挑戦者はガクっと減った。
そして今日、タイマンを挑まれていた最後の相手を倒した。
(つ、疲れた……ようやく、ようやく休める……)
翔太自身、自分で言い出しておきながら情けないとは思っている。
だが喧嘩三昧の日々はそれだけ少年の心を磨耗させていた。
(改めて思ったが……やっぱ笑顔さんはすげーや……)
翔太は喧嘩前に置いていた鞄の下まで行き、その傍らに腰を下ろした。
そして鞄からペットボトルを取り出し、一気にそれを呷る。身体がどうしようもなく水分を求めていたのだ。
「う、うめえ……」
ただのお茶がこんなにも美味しいと思ったのはこれが初めてだった。
うめえうめえとお茶を啜っていると、
「……よぉ、桜井」
「あんだよ」
大の字に倒れたままの喧嘩相手がこちらに話しかけて来た。
「お前……つええな」
「みてえだな。いや、正直俺も俺がここまでやれる奴だとは思ってもみなかった」
翔太は中学に入るまでは喧嘩などもあまりしたことはなかった。それこそ、両手の指で足りる程度だろう。
取っ組み合いなどをしても負けたことは一度もなかったが、じゃあ喧嘩が強いのかと言われると本人にも分からなかった。
笑顔の期待を裏切りたくないと頑張ってはいたが、正直な話をするとここまで負けずに来られたことは本人としても驚きだった。
「……それだけに、惜しいぜ」
「あ?」
「そりゃ、俺も勝てるとは思わねえよ? だがそんだけ強えなら……花咲サンにだって挑戦しても良いだろうが」
「ハッ、何を。俺は花咲さんに憧れてんだよ。喧嘩を売る理由なんざありゃしねえ」
何言ってんだ馬鹿はと肩を竦めるが、
「別に喧嘩ってのはネガティブな理由だけでするもんじゃねえだろ。
……お前、東区の出だったよな? だったら赤龍は知ってるよな?
あの人が花咲サンに喧嘩売ったんは純粋な比べっこがしたかったからだろうが」
そう言われて翔太は言葉に詰まった。
高梨南……というより、四天王と花咲笑顔の関わりは有名だ。
どこから話が漏れたのか知らないが彼らがつるむようになった経緯などはそれなりに広まっていた。
根っからの白幽鬼姫オタである翔太も当然、知っている。それだけに何も言い返せなかったのだ。
「それに……ネガティブな理由で喧嘩したって関係がそこで終わるわけでもねえ。それも四天王が証明してる」
「……」
中学に入って笑顔と直接、関わり始めてからそれなりに話もしている。
その中で四天王の話題が出ることも多々あった。
やっぱり表情は変わらないが、それでも笑顔があの四人を大切に思っていることはよく分かる。
そう、最悪の関わり方をした黒狗ですらも。
「現に桂木は挑み続けてる」
「……あ゛? んで桂木の名前が出やがる」
翔太は陸が嫌いだった。理由は嫉妬。
男のくせに情けないと思わなくもないが、気に入らないものは気に入らないのだ。
「アイツもお前と“同じ”だからだよ」
「――――」
目を見開く翔太。同じ……同じ? 誰と誰が?
「俺はアイツと同じ小学校の出なんだがよ。アイツ、去年の春まではいじめられっこだったんだよ」
「…………は? アイツが?」
陸が嫌いだ。しかし、その実力を認めていないわけではない。
毎回毎回一撃でやられてはいるが、それは相手が笑顔だから自分なら……。
そんな陸がいじめられっこ? 翔太にはとても信じられなかった。
「ある日突然いじめっこどもに牙を剥いたんだ。
クラスはちげーからさして関わりはなかったんだがいじめられてることは知ってたから驚いたよ。
だからさ、聞いてみたんだわ。一体どんな心境の変化だよって。したら教えてくれたんだわ」
「……笑顔さんに、憧れてるって?」
「おう」
信じられない。が、コイツがここで嘘を吐く理由もない。
嘘を吐いて自分を笑顔にぶつけたところでやられるのは目に見えている。何の意味もない。
だから本当なのだろうが……黙り込む翔太に、彼は続けた。
「そう不思議なことかよ? 憧れに追いつきたい、追い越してえってのはよ」
「それは……」
「ま、憧れの形なんて人それぞれだわな。これ以上、負け犬が何か言うのは違う……か」
だが惜しいと思ったのは偽らざる本音だと、彼はそう告げて口を閉じた。
気まずい沈黙。翔太は逃げるように校舎裏を後にした。
疲れたし今日はもう帰ろうとグラウンドに出たところで……その瞬間を目撃する。
「――――」
陸が、笑顔の蹴りに耐えたのだ。
「やるぅ」
静まり返った校庭に短い賞賛の声が響く。
それで周囲も何が起きたかを理解し、歓声が巻き起こった。
翔太は呆然と立ち尽くしていた。どうしてかは分からない。今、自分は何にショックを受けているんだ?
(お、俺は……)
2.交わる憧憬
さて、どうしたものか。
保健室にやって来て自分が居るベッドの前で佇む翔太に陸は困惑していた。
(……何か喋れや)
じっと自分を見つめる翔太。何だコイツ、何を考えてるんだ?
翔太は別のクラスだし、言葉を交わしたこともない。だがその存在は知っていた。
何なら同じ男に惚れた者同士、ちょっとした親近感さえ覚えていたほどだ。
が、あちらからすれば自分は身の程知らずにも笑顔に喧嘩を売り続けるふざけた野郎という認識が精々だろう。
笑顔に特別扱いされているあたり嫉妬も抱かれているかもしれない。
(そんな奴が俺に何の用だってんだ……)
戸惑う陸を見てか、ようやっと翔太が口を開く。
「…………お前、笑顔さんに憧れてるってマジか?」
「! 何でそれを」
と口にして気付く。
それを知っている人間はそう多くはないと。
その内の数少ない友人については確実にない。だって口止めしているから。
なら、
「あ、あの火サス野郎……!!」
殆ど関わりはないが一度だけ、戦いを始めた頃に話したあの男しかいないだろう。
陸はよくも喋りやがってとキレているが、そもそも口止めをしていないのだからとんだ言いがかりである。
更に言うなら今の今まで忘れていたのも陸なのでどう考えても自業自得だ。
「……かさす?」
「お前にそれを教えたの渚だろ? 渚 紅葉」
「ああ、そうだけど……」
「名前からしてもう火サスじゃん。なぎさにもみじとか火サスの申し子じゃん」
「???」
どうやら通じていないらしい。
まあそれは良い。それよりもやるべきことがある。
「桜井、お前それぜってー誰にも言うなよ」
「……別に良いけど」
「ああクッソ。火サス野郎にもあとで言っとかないと……」
「おい、黙っててやるから俺の話を聞け」
「あ?」
そこで陸も思い出す。翔太が何か目的があって自分を訪ねて来たことに。
さっきの質問から察せなくはないが、言葉にしてもらおうと陸は顎で続きを促した。
「……渚に言われた。そんだけ強いのに笑顔さんに挑まないのは惜しいって」
「あぁ」
やっぱりそういうあれかと陸は溜息を吐く。
「考えたこともなかった。だってあの人は俺のヒーローで……」
「んなもん個人の自由だろ」
「俺もそう思う。でも……さっき、お前のタイマンを見て……胸がざわついたんだ」
めんどくせえなコイツ……と思ったが陸は黙って話を聞く。
「嫉妬……とは多分、違う。いや、お前に嫉妬してないかって言えば嘘になるけどさ。
その、笑顔さんに目ぇかけられてるのは正直、ムカついてる。でもさっきのあれはそうじゃなくて」
本人にも上手く言語化出来ず、感情のままに喋っているのだろう。
第三者がこの会話を聞いていたなら何やコイツ? と思うこと間違いなしだ。
事実、陸だって分かっていない。が、分からないなりに“分かる”こともある。
「桜井、この後予定は?」
「え? い、いや特にないけど」
あとは家に帰るだけだという翔太に陸はそうかと言って立ち上がる。
「ついて来い」
「お、おい」
返事を聞かず歩き出す。
ただ歩くだけでも身体がギシギシと軋みを上げるが甘んじて受け入れる。
「さて」
二人が、というより陸が向かった先は屋上だった。
見晴らしが良く風も気持ち良い。昼食をとったり駄弁ったりするには絶好のスポットだ。
今は放課後だし校内に残っている生徒が何人かここで憩っていても不思議ではないのだが屋上には陸と翔太の二人だけ。
何故か? 屋上は笑顔の縄張りと認識されているからに他ならない。
本人に言えば別にそんなことはないと言うだろうが、
「しかしあれだな……マジに好き勝手してやがる」
ロッキングチェアやら日除けのパラソルなどを持ち込んでいる時点で私有化しているのは否定出来ないだろう。
「おい! いい加減理由を話せ! どうして俺をこんなとこに……」
「喧嘩」
「は?」
「タイマン張ろうって言ってんだよ。俺とお前で」
ぐっぐっ、と屈伸をしながら陸は言ってのけた。
「い、いきなり何を……」
「まー、俺もボロボロだがお前も連日の戦いで大概だろう? トントンだわな」
「違う! そういうことじゃなくて!!」
「お前さ、ごちゃごちゃ考え過ぎなんだよ」
あれやこれやと難しく考え過ぎるから混乱するのだ。
「だからよ、ここらで一発すっきりさせてやらぁ」
「…………俺のために、そこまでする理由は何だ? 俺は」
「ああ、お前が俺のことを嫌ってたのは知ってるよ」
何も善意ってわけじゃないと笑う。
「毎度毎度、手も足も出ずに負けてるからよ。自分がどれだけ強くなったのかわかんねーんだわ」
それを確かめるため。そして、
「同じ男に惚れた同士……親近感ってやつさ」
「――――」
翔太は目を丸くし、
「っく……はは! 何だよそれ」
笑った。これまでの陰はどこへやら。
心底、くだらないと。心底、馬鹿馬鹿しいと。腹の底から笑った。
「はぁー……良いよ、俺も前々からそのツラ、ぶん殴ってやりたかったんだ」
「そうかい」
「んじゃ」
「ああ」
二人は同時に大きく息を吸い込み、
「「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」
真っ向からぶつかった。




