エル・ミラドール~展望台の唄~②
1.憧れ
「……迷惑だって思われねえかなぁ」
早朝。通学路の隅でうんうんと頭を抱える少年が一人。名は桜井翔太。
笑顔に憧れを抱き不良の道を歩き始めたひよこヤンキーである。
さて、通学路と言ったがここは別に翔太がこれから使っていく通学路ではない。
東区の人間であり電車通学で駅から中学に行く道がそうで、今居る場所はまったく違う。
では誰が使っている通学路かと言えばそう、笑顔である。
「今更、不安になってきた……」
翔太としては昨日の内に挨拶をするつもりだった。
しかしそこは新入生。やることが多く笑顔の方が先に帰ってしまったのだ。
なので今度こそと通学路で笑顔を待っているのだが、テンションに身を任せ過ぎた。
通学路で待ち伏せとか気持ち悪くない? でも早く会いたいしとひたすら悶々とする翔太。
気付けばそれなりの時間が流れ、
「高峰流、乳固め!!」
「……姉さん?」
「いや毎朝、チューだけってのもどうかと思って。どう? お姉ちゃんの胸は」
「年頃の娘さんがはしたない」
笑顔とその姉が通学路に姿を現した。
翔太も噂で聞いてはいた。笑顔とその姉の仲睦まじい登校風景は。
それでもあれは……。
(姉弟の距離感? 仲良過ぎでしょ)
自分も姉は好きだ。大好きだ。
しかし、ほっぺにチューだの顔を胸に押し付け思いっきり抱き締めるだのはやらない。やれない。
戦慄している内に笑顔は姉と別れ、歩き出していた。翔太は急いでその場から駆け出し声をかけるが、
「あ、あの!!」
そこから言葉が続かなかった。
いざ飛び出したは良いが、これ迷惑じゃない? キモくない? という考えが拭えなかったのだ。
だが当の笑顔はと言うと、
「やあ、おはよう翔太」
「あ」
俺の名前、と呆然と呟く翔太に笑顔は言う。
「覚えてるよ。今もちゃんと、お姉さんと仲良くしてるかい?」
「……ッ。はい、はい! たまに喧嘩もするけど姉ちゃんと仲良くやってます!!」
「そうか。それは良かった」
覚えていてくれた。
ぽんぽんと優しく頭を撫でられ胸が熱くなる。
「それはそうと君って東区の子じゃなかったの?」
「えっと、笑顔さんと一緒のトコ、行きたくて……」
「君も物好きだね。まあ個人の自由だけどさ」
立ち話してたら学校に遅刻するし、歩きながら話そうと笑顔は言う。
一緒に登校しても良いんだと翔太は喜色満面でその背を追った。
「一月の跡目戦争、凄かったっす」
「……動画配信の?」
「はい!」
「あれ確か三千円ぐらい取られたはずなんだけどお金、大丈夫だった?」
「友達と五百円ずつ出し合ったんで。あと、お年玉もまだまだ残ってますし」
「あー……まあお金の使い道なんて人それぞれだけど映画でも観に行った方が良かったんじゃない?」
「いえいえ、下手な映画よりもよっぽど」
お世辞でも何でもない。
目の前に居る笑顔がアクションスターも真っ青なことばかりやっていたので飽きることはなかった。
ホント、物好きだねえと笑顔は少し呆れているようだが翔太にとっては偽らざる本音なのだからしょうがない。
「ところでさ。君って元は東区でしょ? 知り合いとか居なくて大変じゃない?」
「あ、大丈夫っす」
何人かは自分と一緒に進学して来ているし、新しい友達も既に何人か出来た。
翔太の言葉に笑顔は、
「……そっかぁ」
何故か軽く打ちひしがれているように見えた。
「笑顔さん?」
「いや、立派なコミュニケーション能力だなって」
「ど、どうも?」
小首を傾げる翔太は気付かない。自分がある意味で笑顔よりも強者であることを。
「……しかしまあ、そういう感じなら一年の情報とかも集められるかい?」
「! 笑顔さんの頼みなら何だって!!」
憧れの人が自分を頼ってくれる。これほど嬉しいことはない。
鼻息荒く答える翔太に軽く引きつつ、笑顔はそれならと頼みを口にした。
「じゃあ一年で俺を狙ってる子の情報をお願いして良いかな?」
あっちのタイミングで仕掛けられても面倒だからこっちから出向いて潰したいんだと笑顔が言うと、
「笑顔さんが出向くまでもないですよ! 物の道理も分かってねえカスどもは全部こっちで始末します!!」
「相手しなくて良いなら俺も楽だけど、君は大丈夫なの?」
「やれるっす! いけるっす! やってみせるっす!!」
「意気込みは買うけど……」
「お願いします! 俺、笑顔さんの役に立ちたいんです!!」
笑顔は少しの逡巡の後、翔太の頼みを承諾した。
「分かったよ。でも、無理はしないこと。出来そうにないなら手を引くんだ」
「それは……」
「出来もしないのに大口を叩くほどみっともないことはないよ。そういう奴と付き合うのはご遠慮したいね」
「……分かりました」
「よろしい。ああそれと」
校門を潜った正にその時だ。笑顔の言葉を遮るように声が響く。
「花咲笑顔ォ!!」
昨日、笑顔に喧嘩を売り呆気なく返り討ちにあった一年生――桂木陸だ。
翔太は当然のことながら陸が嫌いだった。
笑顔を罵倒しあまつさえ身の程を弁えず喧嘩を売ったのだ。笑顔に憧れる翔太からすればふざけんな糞が! となるのは当然だろう。
「笑顔さん、ここは俺が」
「いや良い」
「そんな?! だって俺に任せてくれるって……」
「さっきさ。この白黒に関してはノータッチでって言おうとしたんだよ」
どうして、と翔太が理由を問うよりも早く笑顔は前に出て陸と対峙した。
「やあ白黒。おはよう」
「し、白黒……? それひょっとして俺のことか?」
「そうだよ。だって名前も知らないもん」
「俺には桂木陸って立派な名前があるんだ! 変な呼び方すんな!!」
「それは失礼。で、白黒。俺に何か用かな?」
表情は変わらない。声の抑揚もない。
だってのに、どうしてか翔太の目には笑顔が心なしか楽しそうに見えた。
それがどうしようもなく気に入らなくて陸を睨み付けるが当の陸は白黒呼ばわりにワナワナと震えていてまるで気付いちゃいない。
「ぐぬぬ……ま、まあ良い。俺の用事だったな。リベンジだよリベンジ」
「ほーう? 昨日あっさりやられたのに?」
「ハン! あれはちょっと油断してただけだ。この俺様が本気になりゃあお前なんぞ」
「分かった。その挑戦、受けるよ」
「……お前、何を考えてやがる」
怪訝な顔をする陸だが、そりゃそうだ。翔太や周囲のギャラリーもそうだろう。
いきなり小生意気な後輩に喧嘩を売られたのに、怒るでも呆れるでもなく笑顔はどこか好意的に接している。
何だコイツ? となるのは当然だ。
「おいおい、喧嘩売って来たのは君だろ?」
「……」
「さ、どこからでもどうぞ」
「……ヘッ、先手は手前にくれてやらぁ。負けた時の言い訳にされたかねえからな」
「そう。じゃ、右のこめかみに蹴りを入れるからしっかりガードしな」
何を、と陸が困惑を露にするが直ぐに言われた通りにする。
意図は分からずとも笑顔の目を見てブラフではないと察したのだろう。
「じゃ、行くよ」
「!?」
軽い調子とは裏腹に繰り出された蹴りはあっさりとガードをぶち抜き余すことなくその衝撃を陸に伝えた。
あっさりと倒れ、びくびくと痙攣する陸に笑顔は言う。
「本気じゃない。直ぐに意識が飛ばないよう調節した。それでも君のガードぐらいは簡単にぶち抜ける」
「お、お前……」
「ああ、気付いてるよ。これでも心が折れないならまたおいで。時間があれば付き合ってあげるから」
「……ッ等だ……ほえ面、かかせ……て……」
言葉は最後まで続かず、陸は完全に意識を失った。
笑顔はその頭を軽く一撫でし、昨日と同じようにその身体を担ぎ上げる。
「じゃ、俺は白黒を保健室に連れてくから」
「あ、あの……」
「コイツ以外の相手は頼んだよ」
去り行く背中を見つめる翔太の目には困惑と焦燥、嫉妬の炎が揺らいでいた。
2.罪な男
放課後、俺は珍しい男と堤防の先っちょで釣り糸を垂らしていた。
「とまあ、そんなことがあってね」
「はー……二度もお前さんに喧嘩売るたぁ、タフな一年坊じゃねえの」
え? 誰かって? 土方だよ土方。
時たま二人か市村も加えての三人で走ったりしているのだ。
今日は釣りでもどうだと誘われ、予定もなかったので付き合うことにしたのだ。
「俺だってもっぺんお前さんとやれって言われりゃ顔を顰めるぜ」
「でも、やる理由があるならやるんでしょ?」
「そりゃまあ、そうだが……よっぽどのことじゃねえと二度は御免だよ」
俺も御免だけどな。
キレイキレイされて光のヤンキーに立ち返った土方との再戦とか、確実にやべえでしょ。
やる状況になった時点で多分、非は俺にあるっぽいしこっちはデバフ盛り盛り、あっちはバフ盛り盛りだろうよ。
「だってのにその白黒はまだ挑むつもりなんだろ?」
「ああ、これからは多少ペースを考えてだろうけど……あの目を見るに、ね」
俺に対する恐怖とかそういうものは皆無だった。
あるのはやってやるぞという闘志の炎だけ。
「……後ろからドンドン、新しい風が吹いてやがる」
少しばかり寂しそうに、土方は言った。
土方を筆頭に三代目悪童七人隊は去年の夏、叛逆七星に負けて半引退状態になった。
ルーザーズの時は出張ってくれたが基本、争いには関わらずダラダラ走り続けているのが現状だ。
しかしそれも……。
「まだまだ続けたい?」
「続けたくねえかって言や、嘘になるがよ」
「うん」
「あの負けを――俺の終わりをなかったことにしてえかって言うとそれも嫌なんだわ」
だからこの未練を抱えて、次のステージに行くと土方は言い切った。
この潔さ。道を誤ることがなければ今以上に名を馳せていたことだろう。
もしかしたら、俺と土方が並び立つなんて可能性もあったかもしれない。
「ま、俺のこたぁどうでも良いんだ。それよりも……ちっと、良くねえなぁ」
「?」
「翔太だっけか? お前さんに憧れてるってガキ」
「うん。それが?」
「……俺も言えた義理じゃねえがよぉ。憧れってのは厄介なもんだ」
ああはいはい、何を言いたいか完全に理解した。
「お前さんからしたら別に意識してるわけじゃねえんだろうがよ。翔太とその白黒の……」
「扱いの差?」
「…………気付いてるのか?」
「そりゃまあ、わざとやってるからね」
翔太は俺にどうしようもなく憧れている。
そんな彼からすれば俺の白黒への態度は嫉妬に値するものだろう。
「何だってそんな」
趣味の悪いことを、と口には出さないがその目は雄弁に語っていた。
「俺みたいなどうしようもないのに憧れてもしゃーないって教えたいのが一つ」
「わざと嫌われようってか」
「うん。でもまあ、結局のところは個人の好き嫌いだからね。彼がそのままで良いって言うなら俺にとやかく言う権利はない」
「他の理由は?」
「正に今さっきアンタが言った危うさだよ」
憧れってのは厄介なものだ。そのフィルターは容易く実像を歪ませる。
翔太の目に映る俺は等身大の俺よりよっぽど膨らんだ虚像だろうて。
「これがテレビの向こうのアイドルやスポーツ選手だってんならともかくだ」
俺は手を伸ばせば届く距離に居るのだ。
だったら、一度ぐらいは……なあ?
「……読めた。白黒とぶつけようってのか?」
「ああ」
どうなるかは分からんが……何かしら意識の変遷があると思う。
「存外、後輩思いなんだな」
「俺はロクデナシだが真っ直ぐ慕ってくる子を無下にするほど腐っちゃいないよ」
正直な話をするとだ。今語った以外にも理由がある。
(キャラ的に、ね?)
だってもう明らかにライバル関係になりそうな立ち位置じゃんあの二人。
だから俺がお膳立てを整えてやろうかなって。
何でわざわざ? 世界のためかって? 否、これに関しては別段、ノータッチでも問題はないからな。
ぶっちゃけると個人的な楽しみのためだ。
この世界に生れ落ちて十四年。
何かにつけて世界に対してぶつくさ言ってる俺だが、それはあくまで当事者だからだ。
だって俺、ヤンキー漫画自体は好きだからね。じゃなきゃメタ読みなんて出来ねーっつーの。
だから純粋に傍観者として近くで様子を見物出来そうな白黒と翔太の関係に介入したのだ。
自分でも趣味が悪いとは思うけどさぁ。
(……頑張ってるんだしこれぐらいは、ね?)
頑張ってる自分へのご褒美ってやつだ。




