バクチ・ダンサー⑭
1.無双
あまりに思い切りが良く、美しい跳躍に一瞬誰もが呆気に取られた。
真っ先に我に返ったのは自分の上に着地しそうになる笑顔を認識した者とその周囲。
が、突然のことに適切な行動を取れるはずもなく頭を踏み付けられまた笑顔は跳んでしまった。
人を踏み付けながら校舎に向けて駆けてゆく笑顔にハッとした跡目候補の一人が叫ぶ。
「引き摺り落とせ!!」
悲しいかな。言うは易し行うは難し。笑顔はあまりにも疾かった。
全体の出鼻を挫く、絶妙なタイミングでの跳躍を許してしまった時点で止められるはずがないのだ。
「滾らせてくれるぜ……!!」
焦っている者も居れば喜ぶ者も居る。
笑顔の一番近くに居た鳳が凶相としか形容しようのない笑みを浮かべて笑顔を追おうとするが、
「がっ……!?」
その横っ面を殴り付けられ地面に倒れてしまう。
それを隙と見た近くの人間が追撃をかけようとするが甘い。鳳はその程度でやられる男ではないのだ。
襲い掛かろうとしていた男の足を掴んで引き摺り倒し立ち上がると群がって来た有象無象を蹴散らしながら叫ぶ。
「ボォオオオブゥウウウウウウ!?」
怒りではない。絶妙なタイミングで仕掛けてくれたなという賞賛だ。
対するボブは嬉しそうに肩を揺らし、こう答えた。
「アナタとは決着ついててなかったデショ?」
「ケケケ、そうだな! んじゃおっ始めようかァ!?」
周囲を巻き込んだ乱戦を始める二人から少し離れた場所では仙道が目についた者を片っ端から薙ぎ倒していた。
こちらは笑顔を追う気などさらさらなく、
(動けなくなるまで他の奴らを相手にする方があの化け物中学生を相手にするよりゃマシだわ!!)
元々望んで参加した跡目戦争ではないのだ。
周囲の流れを止められずここまで来てしまっただけ。
菅原會の會長なんて真っ平御免だし危ない奴らの相手もしたくはない。
ならばどうする?
(周囲が思う俺のキャラならこの局面で花咲笑顔に味方してもおかしくねえよなァ!?)
鳳を止めるために、しょうがなく跡目戦争に参加し笑顔を狙おうとしていた。
全然違うが周りがそう思っているのなら乗ってやろう。
理不尽を押し付けた侘びとして全力で笑顔を支援するという体で何もかもを押し付けてやる。
仙道はかつてないほどに気合が入っていた。
さて。仙道が言うところの化け物中学生に視点を戻そう。
人の波を走り切った笑顔は足を止めず校舎へ向かい、窓をぶち破って教室へと飛び込んでいた。
それを追って有象無象も同じように教室へ飛び込もうとするが、
「ほいよっと」
笑顔は敵が窓に取りつくや即座に椅子を片っ端からぶん投げ始める。
勢い良く飛来した椅子にぶち当たり侵入しようとしていた者らが次々と倒れていく。
そうなると、
「窓から距離を取れ! 壁を作るんだ! 廊下側から挟み撃ちにすんぞ!!」
全員が全員、窓から入ろうとしたわけではなく普通に入り口から入ろうとした者も居る。
その者らと一緒に逃げ道を塞ぐ。実に妥当な指示だ。
が、妥当であるがゆえに笑顔も当然それぐらいは織り込み済みである。
「そんなガバガバ包囲で逃げ道を塞げるわけないでしょ」
廊下側が騒がしい。そろそろだろうと窓の淵に足をかける。
それを見て遠巻きに壁を作っていた者らが身構えるが、
「アイツは軽業師か何かかよ!?」
窓枠を掴み逆上がりの要領で身体を上にやり、二階の出っ張りに着地。
そのまま窓を壊して二階の教室へ。
が、今度は留まらず即座に教室を出て階段へ向かった。
階段に陣取り、少しすると下が騒がしくなる。後手後手に回っているせいだろう。動きが鈍い。
「見つけた! もう逃がさ……」
「! 違う、罠だ! 下がれ!!」
察しの良い者が叫ぶが、
「もう遅い」
手遅れだ。集団で階段を上っていたのだ。
後ろに続く者らが邪魔で先頭に居る者らは即座に動けない。
笑顔は躊躇なく床を踏み切って階段を上がろうとしていた者らに向け、飛び蹴りを見舞った。
「よいしょ、っと」
蹴りを見舞った男の後ろに居る者らが壁となっているので支えは十分。
顔面を押すように踏んで反動をつけた笑顔は宙返りで後方に離脱。
雑魚のドミノ倒しを一瞥し、階段を離れる。
「さて、学校なら理科室とかもあると思うが……もしくは……」
あれこれ考えながら廊下を歩いていると、
「ッ! 居たぞ!!」
別の階段から上がって来た者らに遭遇。数は十人ほどか。
これぐらいなら問題はないがただ倒すだけでは芸がない。
笑顔は近くの教室に飛び込み、窓の前に陣取った。ちらとグラウンドを見ればあちこちで争いが繰り広げられている。
(……協定が崩れた、かな?)
当初の予定では鳳が言うところの“しょうもない連中”は目下、一番目障りな笑顔を最初に片付けるつもりだったのだろう。
だが先手を取られた挙句に散々引っ掻き回されたことで損得勘定の天秤が揺らいでしまった。
この手の連中は最善だけを追っていない。跡目になるのが最善だがそうでなくても次善は狙える。
最終的な勝者になれずとも花咲笑顔を自分、もしくは自分達のグループで仕留められれば後々の発言力の拡大に繋がる。
そう思っていたからこその最優先目標。しかし、未だ傷一つない笑顔を見て方針を切り替えた。
徒に損害を出すよりは他の名のある連中を潰して格付けを済ませてしまう方が得なのでは? と。
結託した全員が全員、そう思っているわけではない。だが一部でもそう考える者が居て行動に移した場合、協定は崩れ去る。
「ッ……どうする?」
「またさっきみたいに逃げるつもりか?」
「俺らも椅子やら机を投げて……」
「既に窓の近くに居るんだぞ?」
最初の離脱劇を思い出しているのだろう。
どう攻めるべきか、迷っている。アホの所かと笑顔は内心、呆れていた。
仮に同じように逃げるつもりだったとしてだ。
それなら被害は出ないのだからとりあえず全員で突っ込んで来れば良い。
それこそ彼らが言っているように椅子やら机を投げるのもありだ。だって損はないのだから。完全なやり得だ。
誰かに率いられ集団で行動をしているせいで各自の判断力が鈍っているのだ。
かと言って集団行動が得手なのかと言えばそうでもない。だってヤンキーだもの。
よっぽど優れた人間が率いているなら兵隊の質も高くなるが、そんな人間が居るならそもそもこんなことにはなっていない。
(とは言えこのまま硬直状態が続くのもそれはそれでまずいし、ここに入った意味がなくなる)
ゆえ笑顔は状況を動かす一手を打った。
「ざぁこざぁこ♪ へたれ♪ 群れなきゃなにもできない寂しがり屋の兎さん♪ だっさ」
「テメ……!!」
失望と嘲りをこれでもかと織り交ぜた挑発。
十人居れば一人ぐらいは乗るだろうとの目論みだったが、激したのは四人。
仲間の制止も聞かず駆け出したそいつらは一斉に笑顔に殴り掛かるがひょいと回避され、
「そーらよっと」
「「「「!?」」」」
襟首を掴まれたり背中を蹴り飛ばされたりで揃って窓から投げ出されてしまう。
笑顔の蛮行に残る六人は目を大きく見開き、固まった。
《な……あ……》
「二階から落ちた程度で死にゃしないよ」
彼らは怖じていた。狙い通りだと笑顔は心中で呟く。
恐怖を刻み付けることで統制を更にかき乱す、それが笑顔の目論みだった。
廊下にも窓はあったがグラウンドに居る連中にも見せ付けたかったから笑顔はわざわざ教室に入ったのだ。
「邪魔だからどいてくれる?」
《……ッ》
弾かれたように六人は道をあけ、笑顔は悠然と教室を後にする。
2.観客達
酒井天は言った。これは日本中の悪ガキ達が注目する戦いであると。
それは正しく全国の不良達はスマホやPCの画面に釘付けになっていた。
「っげえ……マジか、マジかコイツ。これで俺らと同い年? なあオイ、信じられるか?」
「……興味ねーよ」
言いつつも少年は友人のスマホを何度も横目でちら見していた。
彼は喧嘩はアホ強いがそれを誇ることもなくむしろ喧嘩なんて馬鹿らしい。そんなことよりもっと楽しいことをと思うタイプの人間だ。
が、そんな少年をして花咲笑顔の戦いは無視出来ないものだった。
得体の知れない熱が胸の奥から湧き上がるのを感じながら、少年は自問する。
(勝てるか? 届くか? この男に……)
好んで喧嘩をしたことはない。だがやるとなればただの一度たりとて自分の勝利を疑ったことはなかった。
負い目のなさが勝利を引き寄せると信じるがゆえに。が、そんな少年をして花咲笑顔はあまりにも……。
飢餓にも似た焦燥を感じる者が居れば、一方で純粋な憧憬を抱く者も居る。
笑顔の地元のあるマンションの一室では六人の小学生がPCの画面を見つめながらはしゃいでいた。
「翔太! 見たかよ今の!?」
「おう! アクション映画みてー!!」
画面の向こうで笑顔はモップを片手に複数人と立ち回っているのだがその動きが尋常じゃない。
中国あたりのアクション映画もかくやという棒捌きバッタバッタと敵をなぎ倒しているのだ。
「素手でもつええし武器持ってもつええしで無敵かこの人!?」
「無敵だよ! 最強だよ! 高校生でも全然相手になんねえ!!」
「あ……また来た! 笑顔さん! 敵だよ、後ろの方から沢山!!」
声なぞ聞こえているわけがないが、画面の中の笑顔はその声と同時に後ろを向いた。
数は二十ほどか廊下の反対側から敵が迫って来ている。
敵の姿を確認してから途中、少し前に倉庫からモップと一緒に調達していたは良いが隅っこに放置されていた一斗缶を見やる。
何をするのかと固唾を呑んで子供達が見守っていると、笑顔は思いっきり一斗缶を蹴り飛ばした。
当然の帰結として中に入っていた液体は廊下にぶちまけられ、
〈んだこれ!? ワックス!?〉
〈クッソ、滑……ッ〉
よろめく者、転倒する者、場はかき乱された。
この隙に逃げるのかなと思う子供達だったが、笑顔が取った行動は真逆。
ワックスをぶちまけられて足場が不安定になっている方に突っ込んでいった。
「「「「「「お、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」」
ジャンプし勢いをつけて着地するやスケート選手のように床を滑りながら敵を蹴散らし正面突破。
子供達が歓声を上げるのも当然のアクションだろう。
「……決めた。中学入ったら俺、ぜってー塵狼入る!!」
「俺も俺も!」
憧れに胸をときめかす者も居れば、羨望と嫉妬に胸を焦がす者だって居る。
新宿のとあるクラブでは普段の喧騒はどこへやら大モニターで跡目戦争の鑑賞会が行われていた。
「……ああクソ、羨ましいな」
新宿一帯を取り仕切る顔役の少年が片手で顔を覆い、呟く。
「妬ましいぜ。どいつもこいつも」
花咲笑顔という特級の規格外と鎬を削っている菅連の者達が。
菅連という巨大組織を相手に奔放且つ傲岸に挑む花咲笑顔が。
「何だってアイツと同じ時代に生まれなかったんだ」
少年は卒業を間近に控えていた。
高校卒業と同時に不良も卒業するつもりで既に半ば引退しているようなもの。
延長戦などをやるつもりはなく……ああ、もうないのだ。
最後の馬鹿騒ぎをする機会が、花咲笑顔と道を交わらせる機会が。
「惜しい……惜しい……が、このままならなさを愛してこそだわな」
惜しさを呑みこみ、戦争の後に思いを馳せ少年は笑う。
熱い時代がやって来る。花咲笑顔が高校を卒業するまで日本中の不良が熱に浮かされる。
こんな喧嘩を見て燃えないわけがない。そこかしこで高みを目指す者達の争いが始まるだろう。
「……フッ、精々楽しめよ」
焦燥、憧憬、嫉妬、この戦いを見ている者たちは十人十色の思いを抱いている。
だが一つ。たった一つだけ、共通していることがあった。
最強の中学生は誰か? その点については揺ぎ無い答えを持っている。
“――――最強の中学生は花咲笑顔である”と。




