命の別名㉑
1.勝手に終わらせるなよ
「飴を舐める暇があるなんて余裕だな」
「余裕がないからこそとは考えないのかな? 大事だよ、糖分」
イチゴミルクの優しい甘さが疲労と痛みだらけの肉体に染み渡っていく。
実際、本人の言うように余裕などはない。僅かでも気を抜けば潰されてしまう予感は常に付き纏っていた。
しかし、だからこそ力は抜く。気は抜かないがリラックスはする。
些細な一手があっさりと趨勢を変える修羅場において余計な強張りが足を引っ張ることを知っているから。
「食べるかい?」
「遠慮しておく。甘い物は苦手でな」
丈一が手を出さないのは余裕があるから、ではない。
彼もまた笑顔と同じように一瞬の油断が命取りになることを知っていた。
この時間は互いが次の一手を指すために必要な体力を回復するための時間だ。
「そう」
だらん、と笑顔の両腕が下がる。
「人生損してるね」
言うや地を這うような低さで笑顔は駆け出した。
小刻みに身体を揺らす動きと相まってまるで蛇のようだ。
「ッ!?」
鞭のようにしなる右腕。狙いは足。
軽く足を下げて躱す? 否、違う。丈一は本能的に後ろに跳んでいた。
その判断は正しかった。袖口から飛び出した鉄扇がこれまで丈一の足があった場所を薙ぎ払う。
足を下げてギリギリで回避していればリーチを見誤り、その足首は強かに打ち据えられていただろう。
だが笑顔の攻撃は止まらない。腕を振り抜いた勢いに任せるがまま今度は蹴りを放つ。
「貴様ッ……!?」
「ああ」
攻撃は途切れない。力の流れに逆らわず円を意識した動きで連撃を叩き込んでいく。
それをコンパクトな動きで的確に捌き続ける丈一の顔は驚愕に染まっていた。
「パクらせてもらった」
丈一の技術をそっくりそのままというわけではない。
彼の動きは流派の技術を自らが十全に振るうために馴染ませたもの。
それを真似たところで単なる劣化品にしかならない。むしろ動きを真似た分、丈一からすれば対処が容易になるだろう。
なら何を真似たのか。言うなれば、武の要訣。無論、完全に掴んだわけではない。
しかし理解出来る範囲で、笑顔は自らのスタイルに合った武の論理に沿った動きを開発してのけたのだ。
「天才……いや、そう呼ぶのも虚しいほどの……!!」
「そんなご立派なものじゃないよ」
謙遜でも卑下でもない。
“ここでこんなことをやってのければますます底が見えなくなり将来のボスキャラとしての格が上がるだろう”。
そんな世界の理を悪用して会得した技術だからだ。殆どチートである。
ゆえに笑顔は“ご立派なものじゃない”と切って捨てた。
「「おぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」」
不規則且つアクロバティックな動きで攻める笑顔と正統派の武で迎え撃つ丈一。
一所に留まらず繰り広げられる応酬のせいで最上階フロアは加速度的に破壊されていく。
廃墟となって長い時間放置され脆くてなっていることを差し引いても、彼らが齎す破壊は脅威の一言だ。
まともに当たればどうなるか。想像するだけで薄ら寒い。
(……身体が重い……息が苦しい……体力勝負じゃ、分が悪い……)
ならばどうする? 決めに行くしかないだろう。
(二度は通用しない。体力的にも一度きりだ。タイミングは一瞬)
じっとじっと機を待ち、これまでの立ち回りで一箇所に集めていた瓦礫を踏み砕く。
舞い上がる粉塵。しかし、視界を遮っただけではこちらの動きを読んでいる丈一からは逃れられない。
ゆえに、粉塵が舞い上がると同時に無理矢理“リズム”を変える。
「!?」
驚愕が伝わる。賭けに勝った笑顔は壁を蹴って丈一の背後に跳び、その背に抱き付くよう組み付いた。
そして耳元で囁く。
「――――さあ、我慢比べといこうか」
裸締め。それが笑顔の打った最後の一手だった。
耐えられず落ちるか。殺してしまうか。振り落とされてしまうか。果てに待つ答えは三つの内のどれかだ。
「~~~~~!!!!!!?!!」
声にならない雄叫びを上げながら笑顔を背負ったまま暴れ出す。振り回し、叩き付け、どうにか笑顔を振り払わんと。
笑顔は絶え間なく襲い来る痛みに堪えながら、技をかけ続ける。
そうしてどれほど経ったか。彼らにとっては永遠にも思える時の末、丈一は崩れ落ちた。
「……生きて、るな」
痛む身体に鞭を打ち、生死を確かめる。丈一は生きていた。
それを確認した笑顔はゆっくりと腰を下ろし壁に背を預け、
「ふぅー……勝った」
深々と息を吐き出した。
「あっちも、そろそろかな? テツトモは……あぁ、これならギリギリ間に合いそうだ」
スマホを取り出し、トモからのメッセージに目を通すと笑顔はほっと胸を撫で下ろした。
最終的にどうなるかはまだ分からないが自分に出来る限りの手は打った。あとはタカミナ次第だと。
「……負けたのか」
「うぇ……もう目が覚めたの? タフ過ぎでしょ」
大の字に転がっていた丈一が意識を取り戻した。
「はぁ……まだ、やるかい?」
「……いや、良い」
「そう」
「……負けるのは、二度目だな」
「一度目は哀河?」
「ああ。一年ほど前にな。自分がどれだけやれるか試したいと言われて本気で立ち会った」
「そうかい」
「立ち回りこそ違うが……君とやり合っていると雫を思い出した。本当に、そっくりだよ」
「俺と哀河が? そりゃ彼に失礼だろう」
笑顔は緩く否定する。
「彼は俺よりも強い」
「…………強い?」
「ああ。どんな動機であれ、立ち上がって前に進もうとしたんだ」
立ち尽くすことしか出来なかった自分よりも、よっぽど強いと笑顔は自嘲する。
「……そっくりだな」
「おい、人の話聞いてた?」
「アイツも同じことを言っていたよ。痛みに耐えた花咲くんの方が強いってね」
「……」
「なあ、花咲笑顔」
「何だい?」
「俺達には、こんな結末しかなかったのだろうか」
丈一の言葉に笑顔は、
「まだ終わってないよ」
「それは……」
「タカミナが戦ってる。あらん限りを尽くして哀河雫に手を伸ばしている」
だから、
「勝手に終わらせるなよ」
「……信じているんだな」
「そりゃね」
だって、
「友達だもん」
2.“ケジメ”は俺がつける
雪がぱらつき始めた曇天の下で行われる雫と南の戦いは終始、雫が優位に進めていた。
笑顔と根源を同じにする強さに加えて丈一からの手解きもあるので当然だろう。
南も完全にやられっぱなしというわけではないが、それにしたって南が一発入れる間に雫が六発は叩き込んでいる。
どちらが優勢なのか子供にだって分かるだろう。
だが、
(何で……何故、倒れない……?)
精神的な意味では雫もいっぱいいっぱいだった。
何度何回、南を殴り倒したことか。しかし、その度に彼は立ち上がって来る。
規格外の耐久力があるというわけではない。こちらの攻撃は効いている。
戦いを始めた頃と比べれば動きは鈍っているし、今だってほら、足がふらついているではないか。
あと一発、あと一発くれてやれば倒れる。倒れるはずなのにその未来は何時までもやって来ない。
だが何よりも雫を追い詰めているのは、
(……怒れよ、憎めよ、悪意を向けてくれよ。それだけ理不尽に痛め付けられたんだから当然じゃないか)
拳から伝わる南の真っ直ぐな思いだった。
漫画やアニメじゃないんだから拳で語り合うなど出来るわけがない。所詮はただの暴力だと、そう思っていたのに。
(止めろ、そんな目で俺を見るな……ッ)
その拳は肉体ではなく心を打っていた。
それを誤魔化すように雫は口を開く。
「言葉だけじゃ足りないって言ってたよね? やられっぱなしだけど何か分かったのかい?」
嘲笑をぶつけるが、南の瞳はどこまでも凪いでいた。
それがまたどうしようもなく、腹立たしくて目を逸らしてしまいたくなる。
「ああ」
返って来た答えは肯定だった。
自分で話を振っておきながらその先は聞きたくなかった。
言葉を遮るように南の顔面を殴り付けるが、
「……ッ」
軽く後ずさっただけ。
度重なる殴打で晴れ上がった目蓋。ロクに見えていないだろう。
なのにその瞳に宿る静かな光は健在で、直視出来なくなった雫は思わず飛び退き目を逸らした。
「お前のことだ。ニコのこともかなり調べ上げたんだろ?
だったら知ってると思うがよ。アイツ、どんだけやべえ相手に殴られようが蹴られようがまるで怯まず向かってくんだわ。
痛くねえのかつったらよ。アイツは言った。身体の痛みぐれえ何てことはねえってな。
逆に言えば“心”の痛みはアイツにだって耐えられねえぐらいしんどいわけだ」
だがその言葉の意味を本当の意味では理解していなかったと南は言う。
「……今になってようやく分かった。確かに、こりゃ耐えられるもんじゃねえ」
「利いた風な口を」
「なあ雫」
言葉を遮り、続ける。
「――――涙の代わりに浮かべる笑顔なんて、悲し過ぎるぜ」
ビキッ、と見えないところで何かが罅割れる。
「元々、影のある笑みだとは思ってた。でもよ、俺と居る時は違ったじゃねえか」
そこには確かな喜びがあった。
だが何もかもが白日の下に晒された後のそれはどうだ? こうしてぶつかり合う中で見せ続けているそれはどうだ?
「外からそいつを見てる俺ですら、こんなにも胸が痛えんだ」
当事者である雫のそれは如何程のものか。想像さえ出来ない。
「ここまで堕ちた自分にゃ泣く資格もねえってか?」
「……」
「そりゃちげーよ」
資格があるとかないとか、善だとか悪だとか以前の問題だ。
「泣きたい時はめいっぱい泣いて良いんだ。んで笑う時は腹の底から笑おうや」
泣いて、笑って、怒って、そうやって生きていく。それが人間というものだろう?
笑顔は涙の代替品になどなりはしないのだ。
「……うるさい!!」
子供が駄々を捏ねるように振るわれた拳はあっさりと受け止められ、
「雫、お前の一番最初の間違いを正してやるよ」
「一番最初の、間違い? 俺の? そりゃあれかい? あの糞野郎に復讐を……」
「違う。そうじゃねえ。そうじゃねえんだ」
復讐については正しいのか間違っているのか何も失ってない自分には何も言えない。
憎い仇を殺すことで、心を苛む痛みから逃れようとしたのなら責められない。
雫の復讐を咎める資格があるとするなら加害者の家族ぐらいだと南は言う。
「お前の間違いはその後だよ」
「その、あと?」
「復讐を果たしても結局、痛みが消えることはなかったんだ」
「そうだよ。だから俺は……!」
「誰彼構わず八つ当たりする前にまずやることがあっただろうが!!」
胸倉を引っ掴み南は雫の顔を引き寄せた。
「痛いんだろ? 苦しいんだろ? 辛いんだろ? こんな虚しい戦いに逃げなきゃやってられねえぐれえに!!」
そう真っ直ぐ目を見据えながら南は叫ぶ。
「――――だったら“助けて”って言えよ!!!!」
そんな資格はないだとか、かっこつける前に。
無様でみっともなくたって助けを求めるべきだったと南は諭す。
「……ッ」
「勝手に決め付けて、深みに嵌まっちまう前に、お前は助けを求めるべきだったんだ」
救いの手が差し伸べられるかは分からない。
与えられた救いが正しい形ではないかもしれない。
けど、まずは助けを求めるべきだった。
「お前の仲間達はお前が差し出した救いの手を取って、多少なりとも救われたはずだ」
正しい救いではなかったのかもしれない。しかし、幾許かの癒しにはなった。
丈一も、それ以外の皆にも“雫”というほんの少しの救いはあったのだ。
「それはそいつらも“手を伸ばした”からだろ!? お前が差し伸べた手を掴むために!!」
手を伸ばしてくれなきゃ、届かない。
「何もせずに諦めてこれしか道はなかったとか甘ったれてんじゃねえ!!」
「ッ……だとしても、今更どうしろって言うんだよ!? 俺はもう数え切れないぐらいの罪を……!」
「俺が居る。お前がどうなろうと何度だって手を伸ばしてやる!!」
南はゆっくりと拳を振りかぶり、
「――――だから、お前も手を伸ばせ!!」
その頬を思いっきり殴り付けた。
それはこれまでのどんな一撃よりも重く……優しいものだった。
吹き飛ばされた雫は天を仰ぎ、
「…………かなわないなぁ」
一筋の涙を流した。
「はぁ……はぁ……」
限界を迎えた南は肩で息をしながら雫を見つめる。もう一歩たりとて動けやしなかった。
雫はゆっくりと立ち上がり、言った。
「終わらせるよ、この戦いを」
「雫……」
祈るように戦っていた南の顔が安堵に緩む。
雫はふらふらと、屋上の淵に立ち眼下で争っている者達に向かって叫ぶ。
「俺がルーザーズの頭目、哀河雫だ!!」
その声に戦っていた者達が一斉に空を見上げる。
「この戦いを終わらせよう」
連合の人間が激するよりも早く、雫は続けた。
「“ケジメ”は俺がつける」
屋上の淵に立ったまま雫はくるりと地上に背を向けた。
「まさか……アイツ!?」
「おい、馬鹿な真似は止めろ!!」
連合、塵狼、ルーザーズ問わず察した者達が制止の声を上げる。
それで事態を飲み込めていなかった者達も察し、瞬く間に場は騒然となった。
それらの声を無視し、雫はこれまでにないほど穏やかな顔で南に語り掛ける。
「ありがとう南くん」
申し訳なさと、それ以上の感謝が入り混じった本当の笑みを浮かべ雫は言う。
「――――君に出会えて本当に良かった」
とうに限界を超えている。もう一歩も動けない。
「お……おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
だがここで動けずして何が友か。何が男か。
南は雄叫びと共に限界を踏破し、駆け出した。そして、
「なん、で」
身を投げ出した雫を庇うように抱き留め、彼らは墜ちていった。
今回ニコくんはシチュエーションバフを利用することによって武をパクりましたが
相手の動きを学習し会得、最適化するという描写が成されたことで
花咲笑顔というキャラクターはこういうことが出来るんだという既成事実を作ったわけでもあり
この戦いによってニコくんにはラーニングスキルが生えました。
ガイアの環境利用闘法ならぬ理悪用闘法です。




