フォー・ラヴ・オン・クリスマス・デイ ④
軒先に二人で並んで数分の間、彼女が何かを話し始めることはなかった。
その空気にどうにも居た堪れなくなり、
「仕事は平気なんですか?」と、先に僕のほうが口を開く。
彼女は少し慌てるようにして、
「大丈夫です。どのみち0時まででしたし、後片付けも他の方が引き受けて下さったので。急いで出てきちゃったので、まだ着替えてないですけど…。あれ、本当に私のお願いだったんですよ。ずるい言い方をしてしまって、ごめんなさい」
あぁ、とその言葉が示す先にすぐ思い至り、僕はほとんど反射的に答える。
「実際助かりましたから、謝らないで下さい。むしろこちらがお礼を言う立場ですよ」
彼女はほっとしたように薄く微笑むと、それきり、またしばらく口をつぐんだ。
率直に言って、声をかけられてからここに至るまでの間、僕はずっと、この女の子のことをわかりやすく警戒していた。そりゃそうだろう?だってさ、僕はこの女の子とは、全くの初対面のはずなんだ。どこかですれ違ったことくらいはまぁあるかもしれないけど、少なくとも会話したような憶えはない。そんな面識のない異性からいきなり、話がしたい、なんて言われたところで、なにかの悪戯としか思えないってものじゃないか。
けれど、話があるんじゃないのか、と黙り込む彼女の姿を時折窺っていると、その疑心は少しずつ薄れていったな。
俯いたまましきりにまばたきを繰り返す傷つきやすそうなその横顔は、何というか、この場にふさわしい言葉を必死で探しているかのように、僕には見えたんだ。それに彼女の纏う儚げな雰囲気に、どこか懐かしいものを感じたっていうのも、ほんの少し、あったように思う。
結局、彼女が自分のタイミングで口を開くまで、僕は隣でただじっとその時を待ち続けて。
そして5分程が過ぎた頃だろうか、彼女はぽつぽつと、静かな声音で、ゆっくり話し始めた。
「これからあなたにこんなことを話すのは、もしかしたらこの人なら、私のこんな話を聞いても、私のことを見下したり、蔑んだり、憐れんだり、そういったことをしないんじゃないか――って、そう期待してしまったからなんです。……いや、どうなんでしょう。もしかしたらただ単に、12月24日という日付の持つ熱に、私もどうしようもなく浮かされてしまっているだけなのかもしれません。今日はどうしても、孤独への抵抗力が落ちてしまう日、みたいですから」
目は合わせず、微かに俯いたまま、彼女は続ける。
「あなたは私のことなんて知らないと思います。けど実を言うと、私はあなたのことを、よく知ってるんです。と言っても、大学で遠目に眺めていた程度ですけどね。……これじゃまるでストーカーですね、私。気持ち悪いな」
そう言って力なく笑う彼女に少しばかり驚きつつも、「そうだったんですか、気付いてませんでした」と正直に僕は答える。
「けど僕だって、似たようなことばかりしてますよ。お互い様です」
「そう言ってもらえると、ちょっと救われます」
少し緊張が解けたように、彼女は表情を緩める。
「…私、友達と呼べるような相手が、誰も居ないんですよ。それどころか、家庭的な繋がり以外でプライベートな話をするような人が、大袈裟に聴こえるかもしれませんけど、誰もいないんです。本当に、ただの一人も」
彼女はそこで一度言葉を区切り、顔の前に寄せた両手を暖めるように、優しく息を吹き掛けた。掌の隙間からこぼれた白い吐息が夜闇の中へ溶け、やがて見えなくなる。
「昔から、人とコミュニケーションを取ることが、ひどく苦手でした。周りにいる人達のことを、ずっと取るに足らない人達だとも思ってました。狭い枠組みの中で、まるでここが自分達の世界の全てとでも思ってるみたいに楽しげにはしゃいで、馬鹿みたいだなって。自分が臆病でうまく立ち回れないだけなのを棚に上げて、そう勘違いすることで、私は自分のことをずっと守っていたんです。おかげでこれまでずっと、学校関係で思い出らしい思い出はほとんどありません。別に虐められてたとか、そういうわけじゃないんですけどね。ただ、透明人間みたいだったというだけで。…でも、流石にいつまでもこのままじゃ駄目だと思って、大学では頑張ろう、変わろうって、これでも結構努力したんですよ。周囲に馴染めるようにほとんど触れてこなかったメイクやお洒落を必死で勉強して、髪もちょっと背伸びして明るく染めて、眼鏡もコンタクトに変えてみたりして。でも、一度そうなってしまった自分の人となりって、そう簡単には変わらないみたいで。結果はこの有様です」
苦笑いを浮かべながら、彼女は尚も続ける。
「一人きりでいることが嫌いなわけじゃないんです。むしろ好きな方だと、自分では思ってます。遠慮とか、気遣いとか、そういうのを考えなくていい時間って、とても落ち着きますし。けどやっぱりこんな私でも、それが急に寂しく、辛くなって、誰かとの関わりに焦がれてしまう瞬間って、どうしてもあるみたいなんです。大学に入って一人暮らしを始めてからは、尚更でした。そういえば、昔読んだことのある漫画に、こんなセリフがあったんですよ。一人でいるのと、独りになっちまうのは違うよな――って。…多分私は、一人でいるのは好きでも、独りになってしまうのは嫌いなんでしょうね。我ながら、ひどくワガママな話ですけど」
くしゅん!と小さくくしゃみをして、「ごめんなさい」と恥ずかしそうに呟きながら、彼女が顔を背ける。
その姿を見かねて、僕はおもむろに着ていたモッズコートを脱ぐと、彼女に差し出した。それは普段の自分なら絶対にできないような行動だったけれど、この時の僕には何故か、そうすることがとても自然なことのように思えたんだ。
「僕は平気ですので、良かったらどうぞ。え…っと、」
どう呼んだものかと困り、躓く僕に、彼女が目を合わせて答える。
「イオリです。イオリ、ミズキ。…あなたのお名前も、お聞きしていいですか?」
「イチノセ ハルキです。ご自由に呼んで下さい、と言いたいところなんですが、できたら名字で呼んでもらえると助かります」
僕のその言葉に若干複雑そうな表情を浮かべて、彼女が遠慮がちに訊く。
「あの、もしかして、名前、好きじゃなかったり…?」
はは、と思わず笑ってしまいながら、僕は答える。
「そんなことないですよ。ただ単に、魅力的な女の子に名前で呼ばれるのに慣れてなくて、照れくさいってだけです」
一瞬きょとんとしてから、今度は彼女のほうがくすくすと可笑しそうに笑みをこぼした。
「意外と、お世辞がうまいんですね。ちょっとびっくりしちゃいました。もしかして、まだ酔ってます?」
「世辞のつもりはないんですけどね。でもまぁ、かもしれません。…借りてもらえますか、イオリさん」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
僕の手からコートを受け取り、彼女がおずおずと袖を通す。そして「あったかいですけど、何だか緊張しちゃいますね」と笑って、少し間をおいてから、再び口を開いた。
「それで、ここから、その、あなたには、失礼なお話になってしまうんですけど…」
「別に気にしませんよ、聴かせて下さい」
微笑みながら答える僕に、「ありがとうございます」と小さくお礼を言って、彼女は改めて話し始める。
「結局、大学でも人付き合いがうまく出来ずに、絵に書いたような孤独な生活を過ごし始めて。それからしばらく経った頃、私は大学であなたの…同じようにひとりきりのイチノセさんのことを、お見かけしたんです。いえ、ほんとはそれまでも、目にしてはいたんです。気づいて意識するようになったのが、ある程度経ってからだった、というだけで」
「…………」
「最初はむしろ、見かける度に目をそらしてました。というのも私、自分と同じように独りでいる人を見るのって、あまり好きじゃなかったんです。似た境遇だな、なんて感じてた人がある時ふと誰かと一緒に歩いてたりするのを見ちゃったりすると、自分の惨めさや至らなさを思い知らされるみたいで、いちいち落ち込んでしまうから。でも、そうしてそれなりの時間が過ぎる頃には、私はイチノセさんの姿を、自然と目で追うようになっていました。私が目にしてきたイチノセさんは、いつだって何もかもうまくいってないみたいに沈んだ眼をしていて、いつだってずっと、ひとりきりでした。そのことに何気なく気がついた時、私はこう思ったんです。ああ、この人も私と同じで、本当に根っから孤独な人なんだな――って」
俯きがちに、彼女は続ける。
「その日から私は、自分の情けなさを誰かと比べて落ち込んでしまったり、不意の寂寥感に気が沈んでしまったりする度に、イチノセさんのことをまるで精神安定剤のように利用して、自分を安心させるようになりました。些細な関わりすら築くことの出来ないような人が、私以外にもいるんだ――って。この言い方は私にとって都合の良いものになってしまいますけど、イチノセさんがこれまでひとりきりで居続けてくれていたことに、私はずっと、救われてたんです。実際はただ単に、自分の劣等感や寂しさをごまかすために、そう思い込んでいるだけのイチノセさんの姿を勝手に利用していたっていう、卑怯なお話に過ぎないんですけど」
「…別に卑怯だなんて、思わないですよ」
「やっぱり、優しいんですね」
彼女が薄く笑いながら僕の方をほんの少し見つめて、すぐにまた、正面に向き直る。
「話し掛けるような勇気なんて、いつもなら絶対ありませんでした。ただ、今日イチノセさんがお店に来た時、私本当にびっくりして、内心ばくばくで。柄にもなくというか、年甲斐もなくというか、サンタさんが気紛れにくれた機会なのかもしれない、なんて思ってしまって。それで、こうして声を掛けさせて頂いたというわけなんです。……ねえ、イチノセさん」
彼女は不意に張り詰めた面持ちになって僕の名を呼ぶと、立ち位置を変え、真正面から僕のことを見据えた。
そしてそのまま数秒の沈黙が流れた後、また不意に、今度はその緊張した表情を緩めて、言った。
「――いえ、やっぱり、なんでもないです」
さてと、と一度大きく伸びをして、彼女は羽織っていたコートを脱ぐと、僕へと差し出した。
「ありがとうございました。コート、お返ししますね」
何も言わず、静かにそれを受け取る。
「長い時間呼び止めてしまってごめんなさい。それと、私の一方的で独りよがりなお話を最後まで聴いて下さって、ありがとうございました。良ければまた、お店に遊びに来て下さい」
「…そうですね。ぜひ、また」
「約束ですよ」
笑いながらそう返して、彼女は夜空を見上げた。
「もう、イヴも終わっちゃいましたね」
横顔を一瞬見つめてから、僕も同じように夜空を仰ぐ。
「だからこれはクリスマスには関係のない、ただの勝手な願いごとなんですけど――、もしも叶うのなら、あなたがこれからもそのままのあなたでいてくれたら、私はとても嬉しいです」
最後に小さくそう言って、彼女は店の中へと戻っていった。
扉の閉まる音が背後に聞こえるのを待ってから、僕はコートを再び羽織り、今度こそ家へと帰る道を歩き始めた。




