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バッドデイ(旧)  作者: ふゆむしなつくさ
11/12

バッド・デイ ①

 自然と目が覚めた時、意外にも頭はすっきりしていた。昨夜あれほど馬鹿な飲み方をした割には、二日酔いの兆候は全く感じられなかったな。

 ベッドに入った時には既に明るくなってきていたはずの外が暗いのを不思議に思い、スマートフォンの電源を点けると、二重の意味で納得がいった。時刻は昼なんてとうに過ぎ、それどころかもう十八時を回ろうとしていた。そりゃあそれだけ眠りこけてれば、気分も良くなっているってものだろう。

 自室を出て居間に降りると、電気は何もついておらず、真っ暗のままだった。妹が居ないのはまぁわかるとして、どうやら母親も、丁度出かけているみたいだったな。多分買い物にでも出ているか、そうでなければ友達と食事にでも出向いてるんだろう。

 まぁなんにしたって、誰も居ないに越したことはないんだ。堂々と合わせる顔なんて、持ち合わせてないんだから。

 適当に歩きにでも出ようと思い立ち、僕は手早く着替えを済ませ、ひどい寝癖のついた髪や身なりを簡単に整えてから、家を出た。外はやっぱり呆れるほどの寒さだったけど、今朝方の記憶がまだ鮮明に残っていたもんだから、それに比べたら随分マシに思えたね。

 人通りの少ない道を選んでふらふら歩きながら、僕は飽きもせず、コヨリのことを考えていた。

 もうやめよう、なんて思いはしても、心の底まで刻みつけられた感情は、どうしたってそう容易く捨てきれるものじゃない。

 しかし一方で僕の頭は、自分の気持ちに見切りをつけようというその判断を、思いの外すんなりと受け入れることができているようでもあった。なんというか、まるで麻酔がかかっているみたいな感覚だったな。彼女への想いを諦めるってことへの抵抗に、鈍くなってたんだ。方向性はどうであれ、昨晩のイオリさんとの出会いは、僕にとって大きな出来事になっていたらしい。

 そう、ここにきて僕はようやく、本当の意味で、彼女のことを諦め始めつつあったんだ。悪あがきももう終わりにしよう、って具合にね。実際は悪あがきすらも出来てなくて、逃げるか待つかしかしてこなかったというのに、そんな風に思うってのもおかしな話だけどさ。


 三十分程歩いた辺りで、僕はふと目についた敷地に入り、足を止めた。そこは以前ならコンビニがあった筈の場所で、けれど今はもう店は閉まっており、放置されたテナントと自動販売機、それとゴミ箱だけが残された空間に変わっていた。いかにも僕好みな雰囲気の、くたびれた場所だったな。

 休憩がてら自販機でブラックの缶コーヒーを買い、開ける前に煙草を取り出して咥え、火を点ける。そして一口目の煙を吐き出し、プルタブに指先をかけたところで、僕は誰かがこの場所に向かって歩いてきているのに気が付いた。街灯すら遠い暗闇の中、かろうじて女性だとわかるその人影は、だんだんとこちらに近づいてくる。そして自販機の明かりが届く距離まで迫り、女性の姿が淡く照らし出されて――、いやはや、奇跡のような偶然ってのは、こういう願うのをやめた時に限って、唐突に訪れるものなんだな。

 それが誰かに気づいた瞬間、僕は息をするのも忘れ、呆然と彼女を見つめていた。

 視線に気付き、こちらに意識を向け、彼女もまた、同じように動きを止める。


「…ハルキ君?」

「…コヨリ?」


 もしもサンタクロースなんて人物が、この世界に実際に居るのなら。

 そいつは本当に、気紛れな奴なのかもしれないね。 




       ・




       ・





「何か飲みたいものある?」と、吸いかけの煙草を消しながら、かろうじてといった調子で、僕は挨拶もせずにまずそんなことを訊いた。

 慌てたように胸の前で手を振りながら、コヨリが答える。

「え、ううん、いいよいいよ。なんか悪いもの」

「別に遠慮しなくていいよ。たかが百円ちょっとなんだし」

「でも、されど百円ちょっとだよ」

「かもしれないけど。じゃあ、そうだな…実は今、無性に誰かに飲み物を奢りたい気分なんだ。協力してもらえると、とても嬉しいんだけど」

「なにそれ」ふふ、と笑いながら、コヨリは言う。「変わんないね、ハルキ君。なんか安心した」

 僕は思わず自虐的な苦笑いを浮かべて、訊き返す。

「本当にそう思う?」

「変わんないよ」

 コヨリは即答すると、自販機を見つめ、ほんの少し悩む素振りを見せた。そして控えめに三段目の右側を指差し、首を傾けるようにして僕の顔を見上げる。

「じゃあ、ホットココア、もらってもいい?」

「りょーかい」

 僕は手早く缶のココアを買って、コヨリに差し出した。コヨリがそれを両手で受け取り、そのまま掌で包み込む。

「ありがと」

「こちらこそ」

「そこはどういたしまして、とかじゃないの?」

「いいんだよ、これで」

「…そっか。ありがと、頂きます」

 成長の過程で明るく様変わりはしても、魅力はちっとも衰えない笑顔を僕へと向けてから、コヨリはその場にしゃがみこんで蓋を開け、缶を口元に寄せた。

 その姿を数秒見つめてから視線を外し、僕も同じように、缶を傾ける。

 コヨリが誰かと…いや、あの恋人と待ち合わせをしている最中なんだろうってのは、なんとなく予想がついた。どう見たって、僕みたいにふらふら散歩してるって様子じゃなかったからね。普段大学で見かけているよりも一段とお洒落な髪型や格好をしていたし、肩には綺麗なデザインのショルダーバッグが掛けられていて、腕時計までしてるみたいだったしさ。

 それに今いるこの場所からいっても、その予想が一番しっくり来るんだ。というのも、ここから少しばかり行ったところに、割と有名なショッピングモールがあるんだけどさ。そこは特にこの時期は、デートスポットや待ち合わせ場所として、よく利用されている所なんだよ。多分コヨリは、早く来すぎるなり、相手が何かしらの理由で遅れるなりしていて、歩いて時間を潰してたんじゃないかな。まぁ、あくまで予想だ。本当のとこがどうかなんてのは、わからない。

 ただここで意外だったのはね、僕がその予想に対して、嫉妬したり、理不尽に腹を立てたり、ひどく絶望したりといった鬱屈とした感情を、不思議とあまり感じなかったってことなんだ。そりゃあ少しは思いもしたけど、それでもいつも一人でねちねち考えてる時と比べたら、そういう気持ちが心を占める割合はずっと少なかったな。コヨリとこうして隣り合って、ふたりきりで言葉を交わしているってだけで、胸がいっぱいだったんだ。

 いやはや、ほんと、単純な男だよ。

 一分ほどの沈黙を置いて、ココアをちびちび飲んでいたコヨリが、不意に口を開いた。

「こっち帰ってたんだね、ハルキ君。知らなかったな」

「ああ、うん。今年はね」

 ひとつの短な受け答えをする度に、ぎこちない間が空く。別に僕としては嫌な沈黙ではなかったけど、なんだか歯車が噛み合わないような、ぎくしゃくとした感じがしたな。少し寂しくは思ったよ、そのことを。うん、正直に言ってね。昔みたいに話すには、僕もコヨリも、互いの知らないそれぞれの時間を重ねすぎたってことを、改めて実感させられたから。

 変わんないよ、とコヨリは言ってくれたけど、全部が全部そうとはいかない。それは、僕もコヨリも同じだ。もう、知らないことのほうがずっと多い。

 まだ温かいコーヒーを一口飲んでから、今度は僕のほうが口を開く。

「なんていうか、久しぶりだな、本当に」

「えっ?」

 コヨリは一瞬呆気にとられたようなきょとんとした表情を浮かべると、すぐにほんの少し寂しそうな笑みへと繕って答えた。

「…そうだね、久しぶり」

 その反応に、嫌な予感を覚える。

「…もしかして、気づいてた?僕が同じ大学に居ること」

「へー。気づいてないと思ってたんだ。心外だなぁ」

 いやあ、内心頭を抱えたね。気づかれていないなんて、僕の完全な思い違いだったわけだ。となると、僕が露骨に避け続けていたことも、とっくに伝わっていると見るべきだろう。ほんと、この時の気まずさったらなかったな。

 けどコヨリは、多分あえてだろうけれど、そのことには何も触れずに、僕を見上げていたじとっとした目つきを不意に可笑しそうな笑みに変えて、ただ一言、こう言った。

「…私が気付かないわけないじゃん。ハルキくんのこと」

 どうしようもなく居た堪れない気分の中で。

 それでも。

 僕がその一言をどれだけ嬉しく感じたか、なんてのは、もう言うまでもないことなんじゃないかな。

 




       ・





 それから大体20分くらいの間、僕らは度々間を開けながらも、他愛のない会話を続けた。話の内容自体は、ほんとに些細なものばかりだったな。

 何処何処の建物がいつの間にか変わっちゃってた、とか。

 まだギターは弾いてるの?とか。

 ちょっと前までそうでもなかったのに、急に寒くなって、とかね。

 僕にとっては何にも代え難い時間だったけど、傍から見たら面白くもなんともないだろうから、詳細は省こうと思う。

 想い人とのちょっとした世間話、なんて、当人にしか価値のわからない話を事細かにされても、君だって反応に困るだろうしね。そんなのは、僕だけが大事に覚えていればいいことなんだ。

「じゃあ、僕はそろそろ行くよ」

 何回目かになる小さな間が空いたところで、僕はとっくに飲み終えていたコーヒーの缶をゴミ箱へ捨てながら、そう切り出した。

 本当ならいつまででも話していたい位だったけど、コヨリがちらりとさり気なく腕時計へ目を落としたのに気づいちゃってさ。そしたらなんだか、それをコヨリの口から先に言い出させるのは、ひどく酷なことのような気がしてきたんだ。

「…そっか。うん、気をつけてね。今日は話せてよかった」

 ほんの少しだけ、虚をつかれたかのように間を置いてから、コヨリが答える。その表情や様子から見るに、どうやらその台詞は単なる社交辞令というわけでもなく、本心から言ってくれていることなんだろうな、ってのがなんとなくわかった。それだけで、充分な気がした。この瞬間は。

「僕の方こそ」

 小さくそう返して、僕はコヨリに背を向けて歩き始めて。

 ――そして、数歩もしない内に、すぐその足を止めた。

 本当にこれで終わりにしていいのか、そう思った。

 このまま立ち去ってしまったら、僕は本当の意味で、この天邪鬼な偶然を形に残せたとは言えないんじゃないのか、と。


 立ち止まったそのままの位置で振り返り、まだ僕の背を目で追っていたコヨリの姿を、正面から見つめて。

「どうかした?」と不思議そうに首を傾げる彼女に向けて、意を決して、口を開く。

「なぁ、そういえばさ」

 微かな一瞬だけを挟んで、僕は続ける。

「昔何回か行った公園のこと、覚えてるかな。山の上の、階段を登った先にあるやつでさ。遊具とかは錆びついてて使い物にならないんだけど、なぜかやたらと綺麗な展望台が一つ置いてある、あのよくわからない公園」

 反応を窺う余裕もなく、ぺらぺらと矢継ぎ早に言い切ってしまって、きっと聞き取りづらかっただろう僕の言葉に、けれどコヨリは懐かしむように目を伏せて、答える。 

「――うん。覚えてる。一回夜遅くに君と星を見に行ったら大騒ぎになっちゃって、二人で一緒に怒られたことも、全部」

「……あそこさ、まだ残ってるらしいんだ」

 そこで、少し躊躇って。けれど結局、僕はその先に用意していた台詞の続きを、口にした。ずっと引きずってきたこの想いに、決着をつけるだろう言葉を。


「良かったら、また見に行ってみないか?今から。あの頃みたいに」


 コヨリが驚いたように動きを止めて。

 それから、数秒の時が空いた。

 その間に、コヨリの表情が少しずつ変わっていく。

 最初は、なんだか悲痛そうな顔をして。

 そしてそれが徐々に、何かを噛みしめるように優しげな微笑へ変わり始めた頃。

 彼女はゆっくり立ち上がってから、僕のことをしっかりと見つめ返して、答えた。


「――ごめんなさい。もう、君以外に、私を待たせてる人がいるの」


 その返事を聞いた瞬間、僕がどうしてそんな表情を浮かべることができたのかは、自分でもよくわからない。別に誤魔化してるとかってわけでもなくてね、本当にわからないんだ。実際、少し前までの自分に言っても信じないんじゃないかな。コヨリからのその言葉を受け止める時、僕がそんな表情をするだなんてね。

 でもね、ともかく、その返事を聞いて、何故だか僕は、笑ったんだ。

 もちろん純粋な笑顔ってわけじゃない。触れたら砕けてしまいそうな、か細くて弱々しい笑みだったと思う。

 けど、それでも、僕は確かに、少し笑って。

「――ああ、知ってる」

 たった一言、小さくそう返した。

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