第二章
入り組んだ住宅街を抜け、318iSは池上通りに出た。
詩音は緊張した様子で無言のまま運転している。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと運転できてるよ〜!」
津富の励ましに、コクコクと頷く。
「対向車に…ぶつけそうで怖いです…」
「アハハ、そうだよね。でも右側全然空いてるよ」
教習所以来の運転、しかもいきなりの左ハンドル。
詩音の緊張は頂点に達していた。
環七に出て大井埠頭を抜け、お台場へと向かう。
津富に道案内されるまま、詩音が辿り着いたのは国際展示場駅前のロータリーだった。
夜9時を過ぎているので少しなら駐車ができるようだ。
「よし、じゃとりあえず適当に停めちゃって」
「あっ、わかりました…」
318iSは左に寄りながらゆっくりと停車した。
「はぁ〜〜〜怖かった〜〜…」
詩音はハンドルを両腕で抱えるようにして頭を垂れた。
「いや〜初めてにしては上手だよ」
「ほんとですか…?」
「とりあえずそこのコンビニで適当に飲み物買ってくるから待ってな、お茶でいい?」
「あっはい、ウーロン茶で」
「ほーい」
初めての自分の車でのドライブは緊張の連続だったが、これでいつでも自由に一人で何処へでも行けるのだと思うと、詩音の中で次第にワクワクした気持ちが湧いてきた。
それからというもの詩音は毎日運転した。
休みの日や、バイト前後の数時間に、色々な場所へ行った。
他の車にクラクションを鳴らされるような場面や渋滞、流れの速い幹線道路や高速道路での走行も体験した。
運転に対する恐怖感は、徐々に薄れていった。
そして土晩が訪れた。
初めて自分の車で、自分で運転して行く大黒。
詩音は心の底から楽しい気分になっていた。
大黒に到着し、いつも会うメンバー達が集まっているのを見つけて詩音が318iSで近付いて行くと、皆が拍手をしながら出迎えた。
指笛を吹いている者も居る。
十数人が拍手をしたので、見ず知らずの人達が振り返って見ている。
「「「「「「詩音ちゃんおめでとー!!」」」」」」
詩音が318iSから降りると、皆が一斉に祝いの言葉を合唱した。
「ちょっ…恥ずかしいからやめてくださいよ」
「いやぁ、盛大に迎えようってみんなで話してたんだよ」
津富がヘラヘラしながら話した。
「詩音ちゃん渋いの買ったね〜」
「これはかなりかっこいいですね」
真優と光が口々に詩音の318iSを褒めている。
「それにしても詩音ちゃん駐車下手だなー!メッチャ斜めじゃう゛っ…!!」
詩音が無言で津富を殴り、その様子を見た皆がドッと笑った。
「いってぇ……詩音ちゃんって人を殴るセンスあるよな…」
「運転も駐車も、これから上手くなるんですっ!!」
彼らの馬鹿騒ぎは大黒閉鎖の時間まで続いた。
日曜、詩音は318iSで真優の自宅へと向かっていた。
買った時から着いていた古いポータブルナビが早速役に立った。
今日は真優に化粧を教えてもらい、一緒に洋服を見に行くことになっていた。
詩音は車をコインパーキングに停め、真優の住むマンションまで歩く。
緊張でキョロキョロしつつ、オートロックのインターホンで503号室を呼び出した。
「あっ…あの…」
「あ〜詩音ちゃん、どうぞ〜」
詩音が5階でエレベーターを降りると、真優が玄関の外まで迎えに出ていた。
「いらっしゃい」
「あの…お邪魔します」
完璧な化粧をし、香水の良い香りに包まれた真優の色気に少しクラッとしながら、詩音は真優の家へ案内された。
(あぁやっぱり真優さんは綺麗だなぁ)と思った。
真優はとても丁寧に化粧を教え、詩音もとても真剣に学んだので、無事に化粧が出来るようになった。
だが詩音の脳裏に色濃く残ったのは化粧の事よりも、至近距離で真優と接したことによるドキドキのほうだった。
「よし、可愛い。じゃあお化粧を覚えたから、次はお洋服だね。」
真優は詩音の両肩に手を置きながら向かい合って、まるで母親が娘に言うような口調で話した。
「あの…何から何まですみません。も…もしよかったら、二台で行くんじゃなくて、私の車一台で一緒に行きませんか…?」
「そうだね、じゃあお願いしようかな」
まだ知り合って日も浅いが、もう詩音は完全に真優に惚れ始めていた。
忘れられないとはいえ記憶の中で徐々に色褪せ始めていた絵梨花よりも、目の前に現れた美しい女性のほうが鮮烈だった。
車中にて。
「詩音ちゃんは、ガソリンスタンドで働いてるんだっけ?」
「あ、はい。夜勤ですけどね。」
「そうなんだ〜」
「真優さんは大学へ行ってらっしゃるんですよね…?アルバイトとか、してるんですか?」
「…ん〜っと、大学も意外と忙しいし、まぁ…バイトは不定期で色々と…って感じだね」
アルバイトについて詳しく話さない真優を少し不思議に思った詩音だったが、なんとなくそれ以上詳しく聞くのは辞めにした。
2人は新宿サブナードを訪れた。
「ここに詩音ちゃんに似合いそうな服が売ってるお店があるんだ〜。あっ、もしお金足りなかったら私が出してあげるからね!」
「いやいやいいですよそんな!」
「え〜!だって詩音ちゃんに可愛い服着て欲しいんだもん」
「選んでいただけるだけで充分ありがたいですから…」
真優が詩音に選んだ服は淡い色のブラウスやワンピース、千鳥柄や黒のサーキュラースカートなど、控えめで清楚な女の子らしい服ばかりだった。
(私服でスカートか…)
詩音は気恥ずかしくなったが、真優が選んでくれたものだと思うと、そんなに嫌ではない気がしてきた。
着替えて試着室を出ると、待っていた真優と目が合った。
「可愛いーーーーー!!やっぱり私の目に狂いは無かったぜ!よっしゃー!詩音ちゃん可愛いー!」
「あ…ありがとう…ございます…」
「あとは美容院に行ってトリートメントしてもらうといいかもね、髪型は変えなくてもいいと思う。」
真優は詩音の重めの前髪を指で整えながら言った。
微かな指の感触に詩音は若干ときめいた。
「…あっ、あの、靴も…買ったほうがいいんですか?」
詩音が履いているのはお気に入りのニューバランスのスニーカーだった。
「あ〜靴?あのね、敢えてそのままがいいと思うんだ。今流行ってるんだよ?スニーカー女子」
帰りの車中。
「詩音ちゃん、好きな人とか居るの?」
「んーと…特には居ないですね〜」
「そっか〜、私と一緒だね」
詩音は嘘をついた。
本当は既に目の前の素敵な女性に恋をしているのだ。
詩音の心に、空の中へ吸い込まれるような、胸の奥を擽られるような、恋が始まるときの感覚が広がってゆく。
(この感覚は久しぶりだな…)
しかし詩音はこの想いを仕舞い込むべきだと思った。
高校時代のような失敗を繰り返すわけにはいかない、今回こそは、ずっと友達でいられるようにしなければと、自分自身に言い聞かせた。
「…ちゃん?…詩音ちゃん?大丈夫?」
「あっ…すみません、ボーッとしてました。何の話でしたっけ…?」
赤信号で停まったまま詩音は無言で考え込んでしまっていた。
「詩音ちゃんもツイッターやってよ〜って。淳吾も光くんもみんなやってるよ」
「ツイッター流行ってますもんね。帰ったらアカウント作ります。」
高校時代に作った"木崎"は削除して、新たなアカウントを作ることにした。
それから詩音は真優と2人で行動することが増えた。
大黒での集まりにはそれぞれ自分の車で行くのだが、ときには詩音から、ときには真優から誘い、様々な場所へ出かけた。
食事はもちろん、映画、美術館、水族館、買い物、散歩、夜のドライブなど、まるで恋人同士かのように親密に過ごした。
いろんな話をした。
真優は元々人との距離が近く、気軽に誰とでもスキンシップをとる人間なのだが、それが毎回詩音にときめきを与えた。
お互い手を伸ばせば触れられる距離に居て、真優は気軽に触れてくるが、詩音は触れることが出来ない。
触れられたら、抱きしめられたら、どんなに満たされるだろうか。
嬉しくて辛くて、楽しくて切ない。
詩音にとって、その濃密な時間の数々は絵梨花を完全に忘れ、真優に心底惚れるには充分すぎるものとなった。
詩音は恋に落ちた心境をツイッターで呟かないよう最初こそ我慢していたが、スマホを購入したことがキッカケでツイッターに依存するようになり、次第にポエムのようなツイートを投稿し始めた。
" 蝉の声に急かされた
奥底で騒ぎ出す淡い感情は眩しい
額縁に仕舞っていた過去は消し去って
私は七日間をどう生きよう
心を秘めて飛び立とう "
ある夜、真優の自宅にて。
「詩音ちゃん今日泊まっていけばいいじゃん」
「えっ!そんな悪いですよ」
「泊まってって!お願い!」
断りきれず、詩音は真優の家に泊まってゆくことになった。
風呂を借り、真優の部屋着を貸してもらった。
また詩音はときめいた。
ソファでいいと詩音は言ったのだが、真優は半ば強引に詩音をベッドに招く。
「せっかくなんだから一緒に寝ようよ」
「…!!」
腕を絡めたまま2人はベッドに倒れ込み、向き合うような姿勢で寝転がった。
2人の距離はとても近い。
詩音は手足に伝わる真優の柔らかな感触と、鼻腔を擽る良い香りに、自らの奥底で何かが湧き上がるような感覚を覚えた。
胸の高鳴りが真優に聴こえてしまわないか不安になった。
「えへへ〜、こうやって友達とお泊まり会するのって楽しいよね〜」
「あ…そ、そうです…ね……」
エアコンが除湿モードで稼働していたのであまり暑くはないが、このまま自分は蒸発してしまうんじゃないだろうか、と詩音は思った。
薄暗い寝室の中で真優は静かに色々な話をしたが、詩音はたまに相槌を打ちながらも殆ど上の空だった。
とても眠れそうにない。
詩音は話している真優の鼻の辺りをじっと見つめていた。
悶々としているうちに、どれくらいの時間が過ぎただろう。
気付けば真優は眠っていた。
真優の感触と香りに支配されたまま、時計の秒針の音だけが妙にうるさく詩音の耳に入ってきていた。
もう、どう収拾をつければいいのか完全に分からない。
(真優さん…ごめんなさい…)
詩音は意を決し、慎重に真優を抱き寄せた。
起きる気配は無い。
なんて綺麗な寝顔なんだろう、と思いながら真優の顔を見つめ、髪に触れた。
愛しさが込み上げてくる。
胸が苦しくて、涙が出そうになった。
詩音は目を潤ませながら、そっと真優に口付けをした。
目を閉じると涙が溢れた。
軽い口付けで終わらせるつもりだったのだが、吸い込まれるような錯覚に陥り、ディープキスになってしまった。
(もう、バレてもいいや…)
詩音の中で理性が溶けてゆき、再びキスをした直後。
んー、と声を上げながら真優が寝返りを打ち、詩音は我に返る。
やってしまった。
自分はなんてことをしてしまったんだろう、もう全て終わりだ。
と咄嗟に覚悟した詩音だったが、真優は熟睡していた。
(これで起きないんだ…バレなくてよかった…)
余韻と後ろめたさの中、詩音も眠ることにした。
テレビの音で詩音は目を覚ました。
ニュース番組だろうか、星座別の運勢が流れている。
ベッドから身体を起こすと、化粧をしている真優の姿が見えた。
「詩音ちゃんおはよう。起こしちゃってごめんね。若干忘れてたんだけど今日大学行かなきゃならなくて」
「あっ!じゃあ私すぐ帰ります!」
「んーん、いいのゆっくりで。午後からだから。それに、せっかく教えてあげたんだからちゃんとお化粧しなきゃダメだよ〜」
いい匂いのするベッドに若干の名残惜しさを感じながら、詩音は身支度を始めた。
「はぁ…」
津富はシルビアのボンネットを開けてエンジンを眺めながら、ため息をついた。
(まだしばらく彼女ナシか)
詩音の前では努めて明るく振る舞っているが、なんだかんだで失恋のショックを受けていた。
━━━━真優と別れて5ヶ月、バイト先に現れた、少年のような服装をした年下の女の子…津富は詩音に一目惚れした。
童貞ではないが決して恋愛経験が豊富とはいえない津富は、とにかく話を沢山して仲を深めようと考え、仕事を教える以外にも趣味である車の話をした。
興味津々に話を聞く詩音が可愛らしくて胸が高鳴った。
バイト先に詩音の元カレが現れたとき、津富は一瞬焦った。
せっかく現れた新しい恋の相手が元カレと寄りを戻したら最悪だ、と瞬間的に思いながらも、強がって余裕のある態度で接した。
気まずくて挨拶できないという詩音に少し安堵した津富は、勢いで詩音を土晩の大黒に誘った━━━━。
思い返しつつ、津富はボンネットを閉め、運転席に乗り込んだ。
キーを捻り、エンジンをかける。
セルモーターの音の後に、低い排気音を響かせシルビアが目を覚ます。
オーディオから音楽が流れ出した。
時刻は夕方の6時。
今日はバイトも無い。
津富は煙草を咥え、火をつけた。
女性の前では決して吸わない煙草。
津富が吸っているのはKOOLという銘柄だ。
"Keep Only One Love"の略だというその名前が気に入って吸い始めた。
吐き出した煙は開けっ放したドアから空へ登って行く。
テストが近いので本来なら勉強をしなければならないのだが、家に帰っても詩音のことばかり考えてしまうので、少しでも気を紛らわそうと津富は出かけることにしたのだ。
行くあてもなく走っていると、静岡県に差し掛かっていた。
もうどのくらい走り続けたのだろう。
目の前には名前も分からない峠道が続いている。
(こりゃいい道だな)
津富はギアを2速にシフトダウンした。
シルビアが咆哮を上げて加速してゆく。
ターボが効き始める3000回転辺りからの乱暴な加速が心地良い。
次第にペースは上がっていった。
警察に見つかったら確実に怒られるであろう激しい走り方で峠道を進んでゆく。
こうしている間だけは詩音の事も忘れられる。
こうでもしていなければ、また笑顔で会うことすらできなくなる。
辺りはすっかり夜になっていた。
気が付けば真っ暗な展望台に到着した。
煌めきの丘というらしい。
津富はシルビアを停めて窓を開けた。
心地よい夜の海風が入ってきた。
汗をかいて峠を攻めた後に吸う煙草がとても旨い。
だが同時に蘇ってくるメランコリックな気分は、やはり詩音の事を考えさせた。
(あのコは女の子が好きなんだ。だったら友達として理解して応援してやらないと…でもまだ俺はあのコのことが好きだな…)
頭の中で考えが巡り始め、これでは家に居るのと変わらないと思った津富は、自らの思考を振り払うように再び峠を攻め始めた。
「はぁ…」
詩音もまた、ため息をつくことが増えていた。
もちろん真優のことを考えていてのため息だ。
想いを秘めておくと決めたものの、やはり辛い。
彼女の事ばかり考えてしまう。
簡単に惚れ過ぎな自分に呆れつつも、詩音は恋する気持ちを止められないでいた。
" 決して戻れぬ道を進む
胸に新しい棘が刺さる
このままどこまで行けるだろう
歪な花を抱えたまま
掴めぬ光を追い続ける "
詩音のポエムツイートは、一日に何度も投稿されるようになっていた。
そんなある日、詩音のアカウントにDMが届いた。
" 詩音さん、こんばんは。"
相互フォローの光からのメッセージだった。
" いつも素敵な投稿に感銘を受けています。
もしよろしければ今度、お茶しませんか?
色々とお話をしてみたいです。 "
意外な人物からの連絡に詩音は驚いた。
と同時に、いつものポエム投稿を褒められたことが嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。
詩音は光と次の土曜日に会う約束をした。
真優のことで一杯になっていた頭の中に光が登場したことにより、心が少し楽になってゆくのを感じた。
そして土曜日の午後。
詩音は運転がしたかったので、光には家まで迎えに行くと言ってある。
バイトへは結局ノーメイク&今まで通りの服装で通っていた詩音だったが、今日は休日。
バッチリと覚えたての化粧をし、真優に選んでもらった服を着て出かけた。
1時間程で光の自宅へ辿り着いた。
「ここかな…」
随分と古風な一軒家である。
古いタイプの玄関チャイムを鳴らすと白髪の老人が出てきた。
「いらっしゃい、光のお友達かな」
「は…はい!木崎です」
「木崎さんね、ちょっと待ってて」
少し待っていると、光が出てきた。
普通に女装姿だったので詩音は少し驚いた。
(女装はお家の人公認なんだ…)
光は玄関から出るなり詩音を見て目を丸くした。
「えっ?(詩音さん可愛くなってる…)」
「…えっ?(化粧とか、なんか変かな…)」
「あぁいや、こんにちは。前と随分雰囲気変わったなぁと思ったもので」
「こ…こんにちは!あの、少し前に真優さんがお化粧教えてくれて、服も選んでくれて、あと、美容院も行ったんです!」
「へぇ…いや、とても素敵ですよ」
「…ありがとうございます」
「とりあえず、早速行きますか」
2人は光の行きつけだというコメダ珈琲を訪れた。
「光さん、私には敬語のままなんですね」
「あっ、やっぱりやめたほうがいいですよね」
「いや、話しやすいほうでいいんですけどね、私も敬語ですし」
「津富さんにだけタメ口っていうのも変だし、どっちにしろ友人に敬語使うのはやめていこうかなと思ってたんですよ。でもやっぱりクセで……この際だからお互いにやめてみますか?敬語」
「えっと…年上には敬語を使えって親に厳しく言われてきたので…年上の人に敬語を使わないのは正直怖いです」
「なるほど…じゃあ俺を使って年上に敬語を使わない練習してみましょうよ、ね?」
光の押しが強く、詩音は断りきれなかった。
前に津富から話を聞いてイメージしていた人物像とは違い、かなり積極的な感じだ。
「それじゃあ…やってみます、あっ、えっと、えっと…やって…みる…」
「よろしく。それにしても詩音さん名前がいいよね、園崎詩音みたいで」
「誰ですかそれ?あっ…誰?それ?」
「知らないか…ゲームの登場人物なんだけど、アニメ化もされて結構人気の作品なんだよね」
「…へぇ〜、光さん…ゲームとか好きなんだ」
「中身はオタクだからね」
「なんか、綺麗だから、オタク仲間の男の人に襲われちゃいそう」
何か言わなければと思うあまり変な事を言ってしまった、と詩音は思った。
「まぁ、飲み会で酒が入った時とか、多少セクハラまがいのことはね…でもふざけて冗談でって感じだよ」
「ふーん…やっぱりあるんだ…そういえば、私の変なツイート褒めてくれて嬉しかったよ」
「あぁそうだった、その話をしようと思ってたんだ。あれはホントいいよ。俺は好きだね」
「なんか、その俺っていうの見た目と全然合ってなくて面白い」
「あー、変だよね。そもそも女装してるくせに女声にしようとかもしてないし」
「僕って言ってたら可愛いかも…」
「僕かぁ…なんかワザとらしくない?」
「大丈夫大丈夫」
敬語をやめた効果だろうか、まともに会話したのは今日が初めてなのに妙に話しやすく、盛り上がるなぁと詩音は感じた。
その後も色々な話をしたが、詩音は自分が同性が好きだということを光にカミングアウトするべきか迷っていた。
女装している彼ならば、そういった事にも理解を示してくれるのではないかと思ったからだ。
これまでずっと自分が同性に恋してしまうというのは隠すべき事だと思っていた詩音であったが、津富に「恥ずかしがることじゃない」と言われて以来、その思いに少しずつ変化が生じ始めていた。
だが光は真優の友人である。
話してしまって良いものだろうか。
と同時に誰かに話して楽になりたいという気持ちもあった。
「あの…光さん。今日いきなりでおかしいかもしれないんだけど…相談したいことがあって…光さんなら解ってくれそうかなって…思って」
「俺…僕で良ければ聞くよ」
「誰にも言わない?」
「もちろん」
「じゃあ、あの…私……本当は……女の子が…好きで……昔から自分が女なのは…変だなって…ずっと思ってて…んっと…えっと…」
「落ち着いてゆっくりでいいから」
「うん…それで、今好きな人がいて…最近知り合った人なんだけど…」
「…もしかして、真優さん?」
「な…なんで分かるんですか…?」
「んーなんとなく、勘で」
人間関係が狭そうだから、とは言えないので、光は勘だと言った。
「ぜっ絶対真優さんには言わないで!」
「言わない言わない」
「最近ずっと頭の中真優さんのことばかりで…切なくて…」
「そっか…まぁ真優さん結構綺麗だもんなぁ」
「光さん、真優さんのこと好きなの?」
「いやいや、異性として魅力あるとは思うけど、恋愛感情は無いよ」
「よかった。光さんも真優さんのこと好きだったら私は身を引かなきゃなって、ちょっと思った」
「どうして?」
「だって、私は一応女だし、光さんは、一応男だし…」
「一応…ね。確かにお互い、一応って感じだ」
光は笑った。
「だからもし光さんが真優さんのこと好きなら、私なんかよりもお似合いなんじゃないかなって」
若干泣き出しそうな表情で詩音は言った。
「いや、そんなことないよ。僕だって女の格好なんだし…ていうかそもそもね、みんな性別に縛られすぎだよ。男は男らしくとか、女は女らしくとか、異性を愛するのが普通だとか、そんなのクソくらえだよ。みんな本当に好きな服を着て、本当に好きな人に恋したらいいんだよ。周りがどう思うとか、関係なく…」
「……っ……うっ…ううう…」
詩音は泣いた。
自分は間違ってないんだと言ってもらえたような気がしたのだ。
詩音が泣き止むまで、光は黙って両手で詩音の手を握っていた。
(こんなに可愛い見た目になって、こんなに簡単に泣いちゃって…正直、萌えだな)
「…それで、最終的に真優さんには想いを伝える?」
「…嫌われるくらいなら今のままがいい」
「そっか。まぁ真優さんが同性愛に関してどう思う人か分からないしなぁ…今度それとなく聞いてみるけど」
「ありがとう…正直それ…すごく気になってるんだよね」
夕暮れが近付き、道路が混む時間帯になる前に2人は帰宅することにした。
真優は目を覚ましベッドの上で体を起こすと、伸びをした。
「あ〜…寝すぎた…」
時計を見ると時刻は13時過ぎだった。
既に大学は夏休みなので、特に早起きする必要は無い。
が、何か損したような気分だった。
ふとスマホを手に取り画面を見ると通知が来ていた。
(ツイッターか…)
DMが来ているようだった。
詩音達と繋がっているメインのアカウントではなく、"裏垢"のほうだ。
"ツイート見ました26歳男性です
ゴ有ホ別3いけます
今日の18時に渋谷でどーですか?"
"分かりました。
18時渋谷でOKです。
ドンキ前の木の所に来てください。
到着したら服装お願いします。"
18時、真優は渋谷で男と合流した。
「じゃあまず、お金いいですか?」
「あっ、はい、よろしくお願いします…」
殆ど毎回そうだが、今回もあまり女性経験が豊富ではなさそうな男だなと真優は思った。
だが童貞かどうか質問したりはしない。
「この先にいつも使ってるホテルあるので、そこでいいですか?」
「あっ、はい」
実は真優は、こんなことをやり始めて数ヶ月になる。
大学に入ってからいくつかアルバイトをしたりもしたがどれも長続きせず、かといって一人暮らしと車の維持をするのに親からの仕送りだけではやっていけず、ツイッターの裏垢を使って身体を売り始めたのだ。
詩音に言えるわけがない。
好きでもない、美貌もテクニックもない男を相手にするのは最初こそ不快だったが、今ではすっかり慣れてしまった。
決して楽しくはないし、気持ちよくもない。
ただひたすらカネの為、少しでも楽に稼ぎたくてやっているに過ぎないのだ。
それほど時間は掛からずに男はあっけなく果てた。
後始末を終え、感謝の言葉を述べ合って、真優は先に部屋を出る。
本当はシャワーを浴びてから帰りたいが、相手に貴重品を盗まれたりする恐れもあるので、いつも真優は行為が終わった後はそのまま相手より先に立ち去ることにしていた。
2件目の依頼も無かったので、即座に帰宅して風呂に入ろうと思っていたら、スマホが鳴った。
光からの着信だった。
「はいはい?」
「お疲れ様です。真優さん、お暇ですか?もし都合良かったら、この後ちょっと芝浦辺りでお話でもしませんか?」
「あ〜今ね〜、暇っちゃ暇なんだけど、電車で渋谷来てるんだよね〜」
「なるほど。車で迎えに行きましょうか?」
「えっホント〜?じゃあお言葉に甘えようかな」
「わかりました。渋谷のどの辺ですか?」
「じゃあマルキューの辺りで、どっか停めれそうなとこに停まってて。光くんの車ならすぐ分かるでしょ」
見知らぬ外国人男性の集団に声をかけられたりしながら1時間程待っていると、光のゴルフ2が路上駐車したのが見えた。
「光くんおつかれ〜、ありがとね〜」
「いえいえ、お疲れ様です」
ノスタルジックな四角いデザインのゴルフ2が渋谷の喧騒の中を駆け抜けてゆく。
「…そういえば、詩音さんとも敬語を使わず話すようになったんですよ」
「えっホントに?じゃあ私ともタメ口で話してよ!」
「ちょうど、そうしようかなぁと思って」
「よかった〜、なんか距離感あって嫌だったんだよね〜正直」
「すみませんでした」
「敬語」
「あぁ…ごめん」
「許す」
2人は首都高の芝浦パーキングエリアへやってきた。
「芝浦来たの久しぶりだな〜…コンビニなくなっちゃったんだね」
「あぁ、そうそう、確か今年だったかな…」
コンビニの代わりに登場した自販機コーナーで飲み物を買って、2人は休憩用のテーブル席に座った。
「最近どう?真優さん」
「まぁ…ぼちぼち?普通の大学生生活よ」
「学生生活か…羨ましいな。恋とか…してるの?」
「してないしてない、恋人とかマジで必要ない」
「そっか……もしさ、例えば、女の子に惚れられたりしたら、どうする?」
「私が?」
「そう」
「あ〜…あんまし考えたことなかったな…」
「高校の時とか、同性から告白されたりしなかった?」
「いや全然なかった。あの頃は同級生の彼氏がいて、付き合ってるのみんな知ってたし」
「同性を好きになったことは?」
「ちょっ何?さっきから。光くん男に惚れたの?」
「いやいやいや、違う違う」
「ふーん。同性に惚れたことはないなぁ〜…可愛い女の子は好きだけど、恋愛感情じゃないね。もちろん性欲でもない」
「なるほどねぇ…」
「可愛いで思い出したけど、詩音ちゃんどうだった?私が化粧教えて、服選んであげたんだよ」
「あぁ、普通にメッチャ可愛かった。あれはオタクにモテるだろうな……………もし詩音さんが真優さんに惚れてたとしたら…どう?いや絶対ないと思うけど」
「なにそれ、あれだ、萌え!…でも難しいかもねー」
「同性だから?」
「んー、まぁ確かに世間の目とかあるかもしれないけど…それよりも、単純に私が恋人っていうのを求めてない。…もし例えば詩音ちゃんが本当に私に恋してたとして、そしたら私は絶対に差別とかしないし嫌ったりもしないし真剣に向き合うけど、想いに応えてあげることはできないね。プラトニックな関係だとしても、恋人っていう関係が正直、重いかな…」
「そういう感じかー…」
「まっ、無いでしょ!今の詩音ちゃん、運転が楽しくてしょうがないって感じだし」
そう言った真優であったが、心の中では、もし詩音が同性愛者だったら…という事を真剣に考え始めていた。