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Ep.22:ラウド・サムライ



◇22◆



 エンカ・シティの奥――スラム街にほど近い場所でオープンカーは止まった。周囲には朽ちかけたアパートが並び、その一角だけがぽっかりと更地になっている。


 オープンカーから降りた虎之介は周りを見渡す。車のライトで照らされたアパートのレンガは水染みが浮きだし、ところどころ欠けていて煤けている。踏み出した更地には雑草が茂っていた。


「ここは?」


「私が育った場所。昔は――教会と孤児院があったんだ」


「……教会、か」


 空いたスペースはお世辞にも広いとはいえなかった。当時はおそらくかなり狭く、小さな教会だったのではないかと想像する。レイチェルはボンネットに腰を軽く落とし、ライトで照らされた空間をぼんやりと眺めていた。


「ここにはシスター・メイリア……私たちのお母さんがいた。とっても優しかったんだよ。足腰も弱ってるのに弱音も吐かなかった。捨てられて、居場所のない私たちのことを一番に考えてくれて、いつも笑顔で」


「それは――聖母、って言葉が似合う人だな」


 虎之介の漏らした言葉にクスッ、とレイチェルは笑う。だがその表情は寂しげだった。そこでふと彼は疑問に思う。どうして彼女は十字架を逆さにしたのか。


 そこまで愛されていたのに、敬虔なシスターをやめてしまったのか。改めてそこに疑問を持った。レイチェルは視線が胸元の十字架に向いていることに気付いたのだろう。


「これはね。私の妹――同じ教会で暮らして子のものなんだ。シスター・シュリィ、シスター・リザーナ。本当の妹みたいに可愛かった。他のみんなだってそう。家族、だった」


 レイチェルの表情は寂しげだったが、その声はどこか懐かしむような色を含んでいる。思い出しているのだろう。虎之介は黙ったまま先を促した。


「シュリィは感情的で活発な子でね。リザーナは大人しくて寂しがり屋さんだった。神殺しが出た晩、この教会は炎に包まれた。私は二人を連れて教会から逃げたの。でも」


 彼女の独白は徐々に苦し気に、悲しげになっていく。眉間にしわを寄せて――。


「私は、二人を殺してしまった」


「殺した?」


 虎之介は予想外の言葉に首をかしげる。レイチェルはうなづいてから先を続けた。


「二人の手を繋いで、炎の中やっと外に出られた。けど、二人はもう――息をしてなかった。

焼けただれて、死んでた。私は逃げるのに必死で二人をちゃんと見ていなかったんだ」


――シスター・メイリアもその他の子たちも、私は見捨ててしまった。


「私は逆さ十字にして神を恨んだ。どうして敬虔なあの子たちが、メイリアが死ななきゃいけなかったのか。だったら私が神になればいい――私が救えばいい。あのときそう思って、そう誓った」


「……それで逆さ十字か」


「でもね。私は単純に逃げていただけなんだって、ようやく気付いたんだよ。あの子たちを殺したのは私で、見捨てたのも私。逆恨みも甚だしいってね」


 レイチェルは微笑んでいた。これほどまでに悲しい微笑みを虎之介は知らない。今にも泣きだしそうなその表情に胸が痛んだ。


「……神殺しは、どうなったんだ」


「逃げた。どこに逃げたかは分からない。でも、ノースブロックで足跡が見つかったって聞いたから、ジューク・ボックスも結局は捕らえることも殺すことも出来なかったみたい」


「――それでジューク・ボックスも神殺しを追ってたのか」


「そう……ラルフって言ってたかな。ジューク・ボックスの隊長らしいけど、そいつに言われたんだ。今でも覚えてる。シスターなら自分たちに協力すべき立場なのに役に立たないって」


 レイチェルはひと息で言ってからふぅ、と息をつく。じゅくじゅくと虎之介の腹の底が熱くなった。彼女がジューク・ボックスを嫌悪していたのはそれが理由なのだろう。


 大切な人を失って、慰めもなく、突き放すような言葉は――彼女にどれだけの失望を与えたか。そんなことも分からない輩がいることにはらわたが煮えくり返る思いがした。


「……これも逆恨みだよ。結局、私は私の罪から目を逸らし続けていただけ。二人の命を奪って、荒れて、色んな人を傷つけてきた。トラが助けてくれたあの日を覚えていながら、自分自身を見失ってたんだ」


 レイチェルは泣かなかった。涙を流すこともなく、ただ淋しそうに、悲しそうに、笑っている。それは自嘲だ。過去の自分と今の自分に向けての嘲りだ。


「私は自由に生きてきた。好き勝手に。それももう――終わり。もう私は自分の過去から逃げることは許されない。神殺しが出てきて、やっと気づいたんだ。遅すぎるけどね」


 泣く資格がない、そう思っているのかもしれない。思い込んでいるのかもしれない。そんなことはない、お前は悪くない――そう否定するのは容易いが、それで彼女自身が過去を肯定しないことくらいは虎之介にも分かった。


「だったら」


 虎之介は一歩、レイチェルへと近づく。風は吹いて、彼女の前髪が――赤と青に染めた二束がふわりと揺れる。


「どうすればその過去を乗り越えられるか、一緒に考えればいい」


「――トラ?」


「どうすればお前がお前を許せるのか、一緒に考えればいい」


 虎之介は彼女の両手でその肩を掴む。その手に力がこもる。レイチェルの身体は震えていた。


 過去から逃げ、罪から目を逸らし、向き合うことを諦めた。彼女がそう言うのなら――


「どうやって立ち向かうか、一緒に考えればいい」


 虎之介自身、過去に両親を失って散々な生き方をしてきた。もっとも大切な夢さえ諦めかけた。けれどその希望の灯を、今にも掻き消えそうなその小さな炎を守ってくれたのは――レイチェルなのだ。


 今だって迷い悩む虎之介だが、それだけは確かなことなのだ。それだけは誰にも否定などさせない、たったひとつの事実なのだ。


「でも、これは私の問題だから……」


「――らしくねえな。なんだよ、その弱気な態度は。いつものお前なら平気で俺を巻き込むだろうが。巻き込めよ、俺をッ! バカみたいに笑って巻き込めよ」


「トラ……でも、私は」


「どこまでだってついてってやるよ。だからいつも通り笑って好き勝手に俺を振り回してみせろよ。巻き込んでくれよ。なあ、パンキッシュ・シスター」




――俺はお前のバディだろうがッ!




 虎之介は腹の底から叫んだ。のどがひりひりと痛むのもかまわずに。夜更けの静まり返った街にその声が響き渡り、レイチェルは驚いたように目を見開いて、そこには流れない涙がたまっていた。


「――……ッ」


 なにかを言いかけて、言葉にならず、けれど彼女は小さくうなづいてその目を閉じる。そこでようやく溜まった涙が頬を伝った。





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