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Ep.7:朽ちかけた夢



◇7◆



 虎之介は両親の死以降、家賃を払えるわけもなく家を追い出され住む場所もなくスラムで暮らしていた。


 雨風をしのげる屋根もなく、住人は自分が生きることに精一杯で、子供である虎之介など目もくれない状態だった。


 近くにギャング『オーバードライヴ』がテリトリーとしている廃ビルがあったけれど、恐ろしくて近づく者はいなかった。それは虎之介も例外ではない。


 そんな中で、彼は父親から鍛えられた力をもって――賞金稼ぎになった。


 とは言え、ひと振りの刀は重く、扱うには難しすぎた。それゆえに大物なんて狙えるはずもなく、さらに言えば両親を亡くしたことで精神的にも不安定だった。


 それでも警察から手配書を受け取り、少額でも悪魔や魔獣を屠り続けた。身も心も憔悴しきっていたが、死ぬことをなによりも恐れていた。


 死を恐れてもなお、死線に立たねばならない。そんな矛盾の中を生きていた。正義の味方になりたい――その思いも、揺らぎつつあった。


 必死だったのだ。生きていくということに。親の庇護下にない子供にとってその現実は、夢や野望をくじくには充分なほどの重みがある。


 苦しい日々の中で、五万という今までの中で一番の大物を屠ったときも、喜びなんて感じることはなかった。ただ、これで明日も食っていける――そう感じただけだ。


 その五万の手配書を持って警察署――その地下に換金所がある――へ向かい、換金しようとしていると窓口で支払われたのは紙幣ではなく硬貨だった。


「ほらよ」


 警官にそれを床に投げつけられて、虎之介は呆然とする。警官はさも面倒くさそうに硬貨を投げただけで、彼のほうを見ることもなく仲間たちと談笑を続けていた。


「え、あの……」


「あ? なんだ? 用が済んだら帰れ」


「手配書には、その……ご、五万って」


「五百だ。なあ、お前ら。これ、いくらに見えるよ」


「五百だな」


「ほらな。ガキは計算も出来ねえから困る。それにお小遣いがあるだけマシだろ? 良かったな、ドーナツが買えるぞ」


 そう言って仲間内でケラケラ笑っている。これもある意味では想定内だった。 毎回仲介料だ、手数料だと満額受け取れないのだから。


 だが今回のあまりに酷い扱いに失望を隠しきれなかった。そしてそれでも飲み込むことしか出来ない自身の弱さにも。


 虎之介は膝をついてそれを拾うと、ひとりの警官と目が合ってしまった。


「なんだ、その目は」


 睨んでいたわけではない。


 虎之介の目つきの悪さがあだとなってしまったのだ。ただ見上げただけでも睨んでいると勘違いされたのだろう。


 憔悴と不安と恐怖が混ざり合ってその目は射抜くほどに鋭くなっていた。しかし虎之介はそれに対し自覚を持つほどの余裕もない。


「クソガキが」


「あ……ちがっ、違う」


 唾を吐かれて頬につく。気付けば窓口から三人の警官が出てきて虎之介を囲むと、


「なにが違うんだ? これだからスラムのガキは。目上の人間に対する礼儀を教えてやる」


 小柄で食事もまともにとっていない貧相な子供の前に立つのは大柄な警官たち。それだけで足がすくむ。


 そして思いきり警棒で殴られ、よたった身体が壁に当たり膝から崩れた。


 あまりの痛みで呻いているところにその腹へ蹴りが入り、再び脳天に警棒が振り下ろされる。ひたいが割れ、頬を伝ってあごから血が落ちる。


「うああああああッ!?」


「うるせえんだよ!」


 痛みに涙がこぼれ、しゃがれた声で悲鳴を上げると横っ面を蹴られた。全身が恐怖で震え上がってしまって対抗するどころか立ち上がることさえままならない。


「ご、ごめ、なさ……ッ!」


「なに言ってるか聞こえねえな」


「スラムのガキはこれだからなあ」


 ヘラヘラと笑う三人に、警棒で殴り蹴られて踏みつけられる。


 殺される――そう思った。


 助けを求めようにも換金する窓口は地下にありそこにいる者も賞金稼ぎで、暴力を止めれば今度は自分がひどい目に遭わされる。


 あるいは腹いせに大きく減額される。そう考えたのか、誰も目を合わせてくれなかった。


 それでも――。


「た、たすっ、たすけ」


 朦朧としかけた意識のままベンチに腰掛ける青年に手を伸ばすと、目も合わせずにその手を弾かれた。


「言い値で納得できないなら自業自得だろ。こっちに来るな」


「喚くんじゃない。わしらまで巻き添えを喰らったらどうするつもりだ」


「そうよねえ。私たちの賞金まで下がったらどうしてくれるのかしら」


 三人の賞金稼ぎたちの底冷えするほどの声を聞きながら、じわじわと背筋から絶望に包まれていく。


 動けず、声も出せずガタガタと震えるだけの虎之介は襟首を掴まれて堅い床に投げられ、尻もちをつくのを見る賞金稼ぎたちの目も、警官の目も蔑視の色が濃く、空恐ろしいもののように映った。


 腹につま先が入って嘔吐するが、ここ数日ろくに食べていないものだから胃液しか出てこずのどが焼けるように痛い。


「うわっ。くせぇな。だから嫌なんだよ、スラムのガキの相手は」


 これが人間なのか――悪魔も恐ろしいけれどそれと大差ないように思えた。


 髪を掴まれて、顔を近づけられる。咥えた紙巻き煙草の副流煙を吸って咳き込むとそのまま顔面を床に叩きつけられる。


「お前は金をもらった。これは悪魔にやられた。分かるか?」


「あ、う……」


 言えずにいるともう一度床に顔を叩きつけられる。


「分かるか?」


 警官の目は――それはもう恐ろしく、言葉に詰まればまた叩きつけられる恐怖に、必死にかぶりを縦に振る。ひたいから血が流れ、鼻血も出て口も切れていた。


「ちゃんと言葉で返事をしろッ!」


「ひっ……」


 もう一度床に叩きつけられそうになって声にならない悲鳴を上げたとき、警官が後ろに吹き飛んだ。少し遅れて銃声が聞こえて耳鳴りに変わる。


 警官は肩を押さえ虎之介の後ろを睨んで顔をしかめていた。その指の間からドロリと血が滲んでいる。


「――主よ、罪深き彼らに慈愛の祝福を。なーんてね」


 その声は女性のものだった。カツカツとワインレッドの編み上げブーツが揺れる視界に映る。それは通り過ぎて三人――否、残り二人の警官と対峙した。


「て、てめえッ! なにを――」


「私は七十万を換金しに来たの。つまり上限は七十万。さあ、あなたたちの値段を決めて」


 虎之介が顔を上げると、背中しか見えないけれどそれは白のジャケットにショートパンツ。髪はセミロングのプラチナブロンド。その女が警官に向けて銃を向けている。


「なにを……うあッ!?」


 言いかけた警官の肩を銃弾が貫く。火薬の匂いがした。


「あっはは! 早く答えないと命は浪費されるだけだよ?」


「わ……分かった。金は、いらない」


「へえ、無欲だね。でもね、私はあなたたちに自分の値段を決めて、そう言ったはず。金を受け取らないやつをどう信用する? どうやら犬には言葉が伝わらないらしい」


 彼女はそう言うとおどけるように肩をすくめて最後の警官の肩を銃弾で撃ち抜いた。


 トリガーを引いて一瞬の閃光のあとで銃声が響く。


「さて、取り引きを続けましょーね。七十万を三等分するか、私をブタ箱に詰め込むか。どんな駄犬でも分かりやすいように二択にしてあげたけれど――どうしたい?」


 銃は向けたまま血の流れる腕を押さえて警官たちは慄いたように目を見開いている。ひりひりと感じるのは、彼女から発せられる『殺意』だった。


 警官たちも銃を持っているが、先に利き腕――その肩を撃たれたこと、そして殺意が場を支配し、彼女の意のままになっている。


 きっと彼女が逮捕されるとき、この三人は生きてはいない。そう思わせるには充分なほどの殺気をビリビリと肌で感じる。


「……お、俺たちはなにも見ていない。この傷はなんとでも理由を作ってやる。だから――その手配書を置いてさっさと失せろ」


「さすがだねえ。それにあなたたちはとっても幸運だよ。本当に良かったね――」


 女は肩を揺らして笑うと、ちらりと肩越しにベンチに座る賞金稼ぎたちを見ると親指で彼らを差す。次いで出た彼女の言葉に三人の賞金稼ぎが戦慄し、その顔を青ざめさせた。




「だってほら――あと三人、ここに札束が並んでいるんだからさ」




 それがレイチェルとの出会いだった。忘れられるはずもない。その出会いが、彼女の言葉が、虎之介の絶望を霧散させ、見ていたモノクロの世界を彩ってくれた瞬間だった。


――らしくねえな。


 思い出すとなんとなくなく照れくさくなり、同時に情けなくもなって悪態をつくとシャワーのひねりを回して止め、かぶりを振って水気を飛ばした。




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