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Ep.6:戦う理由



◇6◆



――エンカ・シティはイーストブロックの中心にある繁華街、カグラ・シティから外れたスラム一歩手前の貧困街の名前である。


 そこに虎之介はレイチェルと一つの部屋を借りて生活をしている。お世辞にも広いとは言い難いが、キッチンと小型冷蔵庫、シャワー室、トイレ、部屋の半分を埋めるベッド。


 そのベッドの下にあるマットが虎之介の寝床である。帰宅した時間は午前三時を回り、レイチェルがシャワーを浴びている中、彼は腕立て伏せをしていた。


 まずは両手で、それから小指を離し、薬指を離し――最後は親指だけで。腹筋も身体をひねり右ひじが左ひざにつくように。背筋やスクワットも合わせて五十回を三セット。


 これが虎之介にとっての日課でもある。汗が頬を伝ってあごから落ちてマットに染みを作るが気にせずそのまま続ける。


 一日でも欠かせば取り戻すのに余計に時間が必要になることもあり、何時になろうがその日の終わりには必ず筋トレをすることでバイオリズムを保っていた。


「はあ、気持ちよかった。あれ、トラまた筋トレ? 怪我してるんだから無理しないの」


 念のためミスティの店で傷跡を見せたが内臓までは届いていなかった。レイチェルの応急処置が幸いしたらしい。


 あとはミスティに傷口を縫ってもらい大事には至らずに済んだ。ただあまり動かないようにとくぎを刺されたがそれを素直に聞くほど虎之介は出来た人間ではない。


「これ、ばっかりは、欠かせ、ねえんだよっ」


「……ほんとさぁ、トラってば生真面目というか硬派というか」


 呼吸を一定に合わせながら、横目でレイチェルを見る。


 シャワー上がりのレイチェルはホットパンツのみ、上は下着をつけないままその先を隠すようにフェイスタオルを肩にかけて瓶ビールを持っていた。


「んなことよりさっさと服を着ろ!」


「だって暑いんだもん。それにいつものことでしょー?」


「だから毎回言う羽目になってんだよこっちは!」


 集中力がそがれていくのを感じる。虎之介の精神は思春期真っただ中、十五歳の子供である。


 そんな彼にとってレイチェルの無防備な姿は目に毒であり刺激が強い。当の本人である彼女はそんなことは考えていないのか、そのままベッドに移動して瓶ビールを呷っていた。


「ご、じゅう……」


 最後の腕立てを終える。


「精が出るね」


「鍛えなきゃ勝てねえ。負けたくねえんだよ」


 虎之介はレイチェルのほうに視線を向けないままぶっきらぼうにつぶやく。


「それは悪魔に? それとも――人間にかな?」


 レイチェルの声は優しかった。それに対し、虎之介は眉間にしわを寄せる。


 この国は『どんな夢だって叶うただひとつの島』とも言われている。けれど、いつだってその背後には金という存在がついてまわる。


 愛も夢も命も『金さえあればなんだって買える』夢の島。それが実情、現実である。


 しかしそんなことも知らず真に受けてまんまと人間が入ってくる。貴賤なき夢を抱いて。


 けれど入ってくるのは簡単だが、結果失敗して過酷なその現実に打ちひしがれて島から出るにはバカみたいに法外な金額を必要とする。


 そして大体の人間はその事実に気付いたころには素寒貧すかんぴんだ。


 スラム一歩手前で島から出る金さえ持っていない。逃げ出そうにも厳重な監視のもとまんまと成功したなんて話は聞いたことがない。


 亡命、反乱は否応なく死罪だ。


 それも観衆の前で罪状を読み上げた上での公開処刑であり、それ自体が見世物として扱われている。人の死さえエンターテインメントなのだ、この国は。


 さらにたちが悪いことにそう言った処刑だけは無料で公開される。反乱因子や逃げ出そうと画策する貧困層の人間へ向けた見せしめとして。


 そしてそもそも金がある富裕層の人間はこの島から出ようとさえしない。大きな格差が横たわり、迫害がまかり通る。奴隷制度もこの国では当たり前のように存在する。


 家族、友人、恋人を売ってでも金を得てスリーピースのスーツで着飾るような島だ。


 そんな拝金主義の街は、賄賂も汚職も殺人もクスリも売春も金さえあればすべて合法である。


 警官が札束をポケットに入れてクスリを売りさばいているマフィアと握手するなんて日常茶飯事の光景である。


 過去にイーストブロックで富豪を殺した強盗が一夜にして豪邸を築いて逮捕もされずに贅沢三昧――なんて話もあるくらいだ。


 だから富裕層は屈強で名の通った賞金稼ぎを抱え込みボディガードとする。そうすれば明日は我が身なんて言葉は宇宙の彼方にある光景で、永遠に対岸の火事だ。


 だがその裏を返せばこの街の絶対悪は――貧困である。


 スラムの人間が盗みを働けば――過去の強盗のように上手くやらない限り――いとも簡単に殺される。殺したやつは警官と話をつけて金で罪を洗い流す。


 言ってしまえば悪魔も人間も大差ないのがこの街だ。だから虎之介は――



「――この世界(・・・・)に、だ」



――そう答えた。理不尽に、不条理に、正義の味方は決して屈するわけにはいかない。


 そもそも彼自身、レイチェルと出会うまでにどれだけの屈辱を与えられたか。


 どれほどの恐怖を覚えさせられたか。どれだけ人間のもっとも醜い部分を見てきたか。


 だからこそ、父親のような正義の味方になりたいのだ。金ではなく、ただ誰かを守るだけの、助けになれるだけの圧倒的な強さが欲しい。


 それだけは金では買えないのだから。


「シャワー浴びてくる」


「あ、そうだ。そろそろそのくせっ毛も伸びてきたでしょ。目も隠れてるし。ね、切ってあげよっか?」


 言われて虎之介は自分の髪に触れる。それは目を隠す程度まで伸びていた。けれど――。


「いや、別にいい」


「せっかく綺麗な黒髪なのにもったいないなあ。目もクリっとしてて可愛いよ?」


「……ひと言余計なんだよ。いいから、シャワー行ってくる」


 目つきが悪いのは虎之介のコンプレックスでもある。この鷹のような目のせいで睨んでいると勘違いされてチンピラに絡まれることも少なくない。


 当然それを知ったうえでのフォローなのだろうが虎之介にとっては逆効果である。


 軽く悪態をついてからレイチェルのほうは見ずに部屋から出る。短い廊下にシャワー室とトイレがあるのだ。


「うん、しっかり汗流しておいで」


 背中にレイチェルの柔らかい声が聞こえて虎之介は手を振って答えるとシャワー室に入る。シャワーをひねってしばらく待つと温水が出てくる。


 彼女との出会いは、今だって忘れてはいない。


 あれは――両親の死から半年ほど経ったころだった。




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