Ep.61:魂
◇61◆
振動を後ろに感じながら半壊したドアをくぐるとそこには巨大な試験管が並んでいた。さほど多くはないが神経質なまでに等間隔に置かれていて、丁重に扱われているのが分かる。
その中は青い液で満たされておりその中には赤子のように丸まっている『なにか』がへそあたりに管をつけられて浮かんでいた。
部屋自体は微かなオレンジの光源と青い液体の反射で異質な色合いになっていて、さらには試験管に取りつけられた機械が小さく振動する音が響いている。
「……なんだ、この部屋」
「ようこそ、我が屋敷へ」
虎之介が眉を寄せているとその最奥から声が聞こえてきた。そこには赤いソファーがありそこに座すもの――レイク・ブラッドの姿を視界に認めたとき、心臓を恐怖に掴まれるような感覚に陥る。
「レイク・ブラッド……」
「名前を憶えていたか。これは光栄」
「忘れたことなんてねえよ」
虎之介は忌々しそうに吐き捨てるが表情は青ざめ、冷や汗が背を濡らしていた。手足が自然と震えはじめる。
「寒いのか? 震えているようだが」
「――武者震いだ」
精一杯の虚勢にレイク・ブラッドは鼻で笑った。ドクン、ドクンと耳の奥で動悸が早まるのを感じる。
覚悟を決めたつもりだった。否、覚悟を決めたのだ。それでも対峙すればトラウマは恐怖を呼び覚ます。それでも腰を落として刀の柄に手をやると――連続して銃声がして試験官が割れ中の水が漏れだす。
レイク・ブラッドは表情こそ変えないが――殺気が膨張したように肌をひりつかせる。視界の隅でレイチェルが拳銃を構えているのが見えた。もう片方にはサブマシンガンが握られている。
「いとも簡単に私の研究を壊してくれるものだ。この礼儀知らずが」
「見るからにどうせ悪趣味な研究でしょ」
「――それらは魔王様の魂の依り代となる器だ」
「ほらね、ろくな研究じゃない」
レイチェルは肩をすくめて片眉を上げて挑発的に唇を吊り上げる。
「だが――もう必要はない。依り代となる器は目の前にいる」
レイク・ブラッドの視線が虎之介に向けられる。そこでジェラルドの言葉を思い出した。
――身体は魂の器と言われている。魂はいわば心。魂を失えば器だけが残る――やつらは魂を食らい器を操る術を持っている。
背筋に悪寒が走り、その目を見開く。歯が噛み合わない。これではあのころと同じだ。両親を失ってなにもできなかった、五年前のあのときと。
「なんで、俺なんだ」
絞り出すような声で虎之介はレイク・ブラッドを睨みつけた。
「君の父親は噂通りの強さを持っていた。だが――その頑なな信念が邪魔でね。その点、君はまだ青い。今みたいにすぐに心が揺れ動くうえ身体能力も発展途上だ。それでも入れ物としては充分に機能する」
「……ッ!」
じゅくじゅくと、五年前の憎しみが心から沁みだしてくる。
「少し難しかったか。簡単に言ってやろう。君は“なんにでもなれる”のだよ。恐れ、怯え、迷い、悩む。その上で――人間を恨み、悪魔を憎んでいる。充分すぎるほどの器だ。魔王様もさぞ使いやすいだろう」
「……そのためだけに南と西を――関係ない人たちを襲ったのかッ!」
「そのためだけ? 立派な大義だと思うがね」
虎之介はレイク・ブラッドの言葉が終わる前に駆け出していた。恐怖を怒りが上回り、鞘から刃を走らせる。高く跳躍して上段から袈裟切りに振り下ろすが――
「だから青いと言っている」
――レイク・ブラッドが立ち上がり杖の持ち手から白刃を引き抜く。
「しまっ――仕込み杖かッ」
「トラッ!」
かち合った瞬間、風が巻き起こり虎之介の小柄な身体は吹き飛び周囲の壁や床にひびが入って試験管にぶつかりその破片で頬やひたいを切って血が噴き出した。
「たった一撃でこれかよ……」
言いかけてゴフッと血を吐き出してコンクリートの床を赤く染める。
「おやおや、加減が難しいな。君に死なれては困るのだよ」
「クソが……ッ!」
メーナは言っていた。悪魔を前にしたときに動きが鈍る、と。恐怖を凌駕する怒りをもってしても切っ先がブレてしまう。身体を上手く動かせない
「トラ、ちょっと下がってて」
「レイチェル……お前」
「私はトラが弱いとは思わない。でも今はダメ。憎しみと怒りだけで勝とうなんて、私の知ってるトラじゃないよ」