Ep.5:ヘブンズ・ドア
◇5◆
「あらぁ、トラちゃんにレイチェルじゃない。いらっしゃい」
紫の短髪に紫の口紅、派手な柄シャツに身を包んだミスティが出迎えてくれる。性別は男だが口調は女性。虎之介は未だにそれに対して慣れない部分がある。
「こんばんわ。ねえミスティ、この子お願いできる?」
「あらまあ、この子は?」
「今回の被害者。目立った怪我は無いけど心配だし、預かってほしいの」
「まあまあ、可哀想に。ほら、ジェイムズ。病室に連れてってあげなさい。魔術がかかってないかしっかり調べるのよ」
ミスティは店の奥にあるドアの前に立つ黒服へ視線を向けると、そう言って手の平を担いだ女性へと向けた。
ミスティの店の奥は病室と呼ばれ専門の機材などが揃っている。魔術を感知する道具も。虎之介も無理ばかりをしているからそっちに関しても常連である。
「本当に助かるわ。最近は二次被害のほうが多くて困ってたの」
と、ミスティは息をつく。その目は困ったように伏せられていた。
そもそも金にしか興味のない賞金稼ぎが大半で、悪魔を殺したあと生きている被害者をその場に置き去りにする輩のほうが多い。それこそ二次被害など考えることもなく。
虎之介は背負った女性を黒服に身を包んだいかつい男――ジェイムズへと預ける。
その大きな体躯は四角形に近く、さらにそこから伸びる丸太のような腕で女性を丁寧に優しく抱えた。
「えっとあの……頼みます」
「ええ。委細、承知いたしました」
ジェイムズは大柄でいかつい表情とは裏腹に虎之介に対して慇懃な態度で軽く会釈してから奥へ下がる。聞いた話だとミスティの『ジューク・ボックス』時代の部下らしい。
過去になにがあったかは分からないけれど、ミスティに対して忠誠心の厚い数人を連れて『ジューク・ボックス』の職を辞し、この店を建てたのだと。
「あとはね、これ!」
レイチェルはニコニコと笑みを浮かべて手配書をミスティへと渡している。虎之介はもう夜も更けているというのに騒がしい店内を見る。
樽に座って酒を飲んでる金髪の男、その樽の下で三角座りをして肉やパスタの盛られた大皿を勢いよくたいらげている少女。
テーブル越しに胸ぐらを掴み合って怒鳴っている男たち、ゲラゲラと笑い転げている男女、床で寝ている男。カウンター席で静かに酒を飲んでいる女。
荒くれものの集う自由すぎる空間にうんざりする。
「さってとー。なに食べる?」
カウンターに座ると、隣りに来たレイチェルがメニューを見せてくれる。とはいえ、いつだって頼むのはいつも同じだけれど。
「バッファローチキンとサラダ。あと水」
チキンなどの肉類は正直のところ苦手だった。それはあの日――五年前をきっかけに、身体が肉類を受け付けず、何度も吐くはめになっていた。
けれどそれではあの老紳士に負けるような気がして――克服するためにもいつだって肉を頼む。小さくとも些細であろうとも、抗うことを忘れれば負けだと。
ちなみに選んだのが鶏肉なのは自虐の意味も込めてある。
「じゃあ私は――ホワイトシチューとフォカッチャね。あと水お願い」
余談ではあるがこの国で無数にある飲食店の中でも水がタダで飲めるのは虎之介の知る限りこの店だけである。
「はぁい。ちょっと待っててね」
身体をしならせて唇に人差し指を当ててからキッチンに向かうミスティに食欲が減退するような感覚に陥るが顔には出さない。
ミスティを敵に回したバカの末路は嫌というほど見てきたからだ。
「……おい、クソガキじゃねえか」
料理を待っている中、樽の上に座りジョッキを呷っていた男――ファングがこっちに来る。
上半身は裸で身長は百八十五もある。さらに鍛え抜かれた筋肉にその背には笑みを浮かべたドクロに羽の生えたタトゥーが入っていた。
この男は年がら年中上半身が裸で、その背のタトゥーは同業者や階級の低い下っ端の警官、小規模のマフィア程度なら手を出すなと言われるレベルで知名度もある。
「……なんだよ」
「なんだよ、じゃねえんだわ。ガレットの手配書、持ってったのてめえだろ」
金髪の両サイドを刈り、堀の深い顔立ち。
さらにその鋭い目つきは見るものを震え上がらせる――が、今まで何度も絡まれているものだからすっかり慣れてしまっていた。
「だったらなんだよ」
「あの野郎は俺が狙ってたんだッ! それを勝手に奪いやがってよぉッ!」
ガンッ! とカウンターを殴りつける。
「し、師匠……飲みすぎですって」
樽の下で座っていた少女――朱歌が大皿を床に置くと慌てて駆け寄ってきてファングをなだめる。
といってもどこか気弱そうな細い声でガヤガヤと騒がしい喧騒に消え行ってしまう。
朱歌は黒のタンクトップに下はファングと同じダボダボの黒いつなぎのようなズボンで袖を腰あたりで結んでいた。
「朱歌は少し下がってろ。ちょっと話すだけだ」
「で、でも」
ファングは朱歌に対して声のトーンを上げて、優しく頭に手をぽん、と軽く置く。こいつらしいな、と虎之介は運ばれてきた水に口をつける。
「――だいたい、てめえはほとんど役に立ってねえだろ」
「……あ?」
「レイチェルがいなけりゃまともに悪魔も殺せねえガキだろうがッ!」
「――んだとこの野郎ッ! お前みたいな年中裸の変態に言われたかねえよッ!」
「ああッ!? 上等だおらぁッ! 表出ろクソガキッ!」
ファングに胸ぐらを掴まれて虎之介も立ち上がり、カッと頭に血が上った。それが図星だったからこそ余計に腹が立ったのだ。
長身のファングは腰を折り、身長が百五十八しかない小柄な虎之介はつま先立ちになり鼻が当たるかという距離で眉間と鼻先にしわを寄せた。
睨み合っては互いに狂犬さながらのどを鳴らしている。
「……ファング、私たち今から食事なの。静かにしてくれない?」
そこに心臓を凍らせるほどの冷たい声が降ってくると同時に――チャキリ、という音がしてファングの表情が強張った。
「――そういえばガレットの依頼を受けたのはレイチェルよねえ」
ミスティもチキンの乗った皿をテーブルに置きながら頬に左手を当てて首をかしげる。
「れ……レイチェルさん……」
朱歌もあわあわと間に入ろうとするが彼女の眼に射すくめられ、結局なにも言えないようだった。ファングは舌打ちをして虎之介から手を離し両手を上げる。
「……それを先に言ってくれよ」
「先にいちゃもんをつけてきたのはあなたでしょ? そもそも二十二歳にもなってそんな子供みたいな絡み方しか出来ないのはみっともないよ?」
それをお前が言うのか、と内心で虎之介はため息をつく。二十歳のレイチェルからも年相応の接し方をされたことはないのだが――と。
しかしレイチェルの声はどこまでも冷えていた。
ファングは強い。どんな相手でもその身体で挑む。肘まである銀製のグローブを使い、鍛え抜かれた筋肉で近接格闘を得意とする猛者でもある。
しかし――ひとつだけ弱点があるとするならば女性にめっぽう弱いのだ。
それは女癖が悪いなどというものでも、女性不信というものでもない。ただ女性に対しての暴力や恫喝はもちろんのこと、睨むことさえ出来ない。
「……身の程を知っとけよクソガキ。賞金稼ぎなんざ辞めて大人しくて震えてろよ」
「馬鹿の一つ覚えかよ。こちとらもう聞き飽きてんだよ、この露出狂が」
「ほんと口の減らねえクソガキだなッ! 飲みなおしだ! ミスティ、酒だ酒! 一等強いの持ってこい!」
「はいはい。まったく元気ねえ」
ミスティは困ったように笑ってホワイトシチューをレイチェルの前に置く。
ファングにとってミスティは男扱いなんだな、と呆れつつも虎之介は座りなおし、
「いただきます」
と両手を合わせてチキンにかぶりついた。
「あの……トラ」
「んあ?」
残された朱歌が気まずそうに両手をへその前で遊ばせて、
「ごめんね、師匠は別にその……」
「ああ、どうせ女ばかりを狙ってたから許せなかったってだけだろ。それに――挑発に乗った俺も悪かったよ」
虎之介の言葉に、ふ、と朱歌は笑って「あ、あの、ありがとね」とお辞儀をしてからファングのほうへ戻り大皿を膝に乗せていた。
朱歌の大食いはこの店の常連なら誰もが知っている。しかし虎之介からすればあのスマートな体型の一体どこに入っているのか常々疑問でもある。
「まったく、年下の女の子にフォローさせてちゃダメでしょうに」
レイチェルも銃をホルスターに収めながら息をつく。
そう言えば朱歌は十八歳だったか――と不意に思い出す。それでも十五歳の虎之介よりは年上ではあるのだが。
確かファングに助けられてから弟子になったとも聞いたことがあるけれど、どういった経緯で弟子にしたのかまでは知らない。
「冷めたら不味くなるぞ」
「それもそうだね」
苦笑してからレイチェルもスプーンを手に取った。