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Ep.12:炎



◇12◆



 それからレイチェルはマーケットの行き帰りに何度も少年の助けてくれた場所に足を運んだがついぞ会うこともなかった。


 なぜなら――それから数日後にレイチェルの住む教会が文字通り業火に包まれることになったからである。


 それは突然だった。就寝時間に火の手が上がったかと思えばすぐさま燃え移り、礼拝堂や自分たちの住む寮まで及んだ。


 親代わりであるシスター・メイリアの指示で子供たち六人が逃げ出そうとした。けれどその炎の中で子供たちは酸欠になり倒れていく。


 レイチェルも歪む視界の中、それでもシュリィとリザーナの手を繋いで必死に逃げる通路を進んだ。熱が肌と呼吸器官を焼き、一酸化炭素が肺まで侵入してくる。


 誰の声も聞こえなかった。メイリアの声も。ただごうごうと燃える炎と建物の倒壊する音だけがやたら激しく耳朶を打った。


――もう少しで出口だから頑張って。


 シュリィたちにそう言ったつもりだったが、声になったかどうかさえ分からない。外が見えて三人で転げるように飛び出る。外は小雨がぱらついていた。


「二人とも大丈夫――?」


 そしてすぐさまシュリィたちの様子をうかがおうと身を起こす。しかしそこには、ふたつの焼死体があるだけだった。


「――そん、な、シュリィ……リザーナ……」


 手を繋いでいた。確かに。けれど――二人は二の腕あたりから顔、身体にかけてケロイド状になり、ところどころ熱によって皮膚が剥がれ落ちている。


 口元に耳を当てるが呼吸は完全に停止していた。そこでレイチェルは彼女たちを連れて逃げていたのではなく――


「あ、ああ……」


――ふたつの死体を引きずって出口まで逃げてきたのだと悟った。


「う、あ、ああ……」


 途中でとっくに息絶えてしまっていたことにも気付けずに三人で逃げているつもりだったのだ。


 助けているつもりだったのだ。振り向くこともせずに。二人の様子をしっかりと確認することもせずに。


 声をもっとかけていれば。ちゃんと振り返って見ていれば――。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 レイチェルは頭を抱えてのどがはち切れんばかりに叫んだ。それに呼応するかのように雨足が強くなっていく。


 すでに熱と煙でのどがイカれていたがそれでも空の上にいる主に向けて血走った眼を見開き血の混じる唾を飛ばして言葉にならない叫びをあげた。


 どうしてこの子たちが、どうして自分だけがとガタガタに炎が猛り崩れ去る教会と同じほど壊れた脳内で叫んだ。そしてその見開いた眼が捉えたのは。


――高い空に浮かぶ、巨大な影だった。


 それはすぐさま消え去ったが、レイチェルは確かに見た。その影が黒い炎のように曖昧な輪郭をもって燃え尽きていく教会の上を旋回していたのを。


 黒い、夜よりも黒い翼竜だった。黒いうろこに瞳孔の周りは赤く灯っている。はるか高い位置にいるというのにその翼は空ごと覆い隠していた。


 死に瀕して鋭敏になった彼女の視覚はその細部の形まで捉えていた。


 やがて遅れて消火活動は始まり炎が鎮火したそのあとで白いローブの集団がやってきて教会だったものを眺めていた。


 レイチェルはすでに息をしていないシュリィとリザーナを抱きしめてジューク・ボックスのひとりに声をかけた。


「悪魔が――魔獣が、いました」


 自分でも驚くほどにひどくしゃがれた声だった。ジューク・ボックスのひとりがレイチェルを見下ろす。それは、あの日レイチェルの手を振り払ったエクソシストだった。


「知っている。やつは我々が追っている悪魔なのだから。まあ、命があるだけ運が良かったな小娘」


 そう言って鼻を鳴らし、五人組のところへ混ざっていった。


「ラルフ隊長、情報はありましたか」


 五人の中のひとりが彼に声をかけた。


「子供がドラゴンを見た、それだけだ」


「やっぱりやつですか。神殺しの黒竜――」


「ああ。だがまあ、少しは情報を持っていると思ったが期待外れだったな。教会に住むシスターなら我々に協力すべき立場だというのに――まったく役に立たん」


 それだけ、期待外れ、役に立たない。


 ジューク・ボックスの追っていた悪魔に居場所が焼かれ、親同然だったシスター・メイリアと同じ孤児として育った子供たちが炭にされた。


ともに逃げきれたと思ったシュリィとリザーナは面影さえなく焼かれていた。


――運がよかったな小娘。


 この惨状を見て、家族を焼かれ、ひとり生き延びたことが幸運だと彼は言ったのだ。そしてその言葉はレイチェルを絶望させるには充分な言葉だった。


 どれほどの時間が経ったのか、降りしきる雨の中レイチェルは二人の死体を抱いて空を仰いでいた。その口が笑みを象り、それとは裏腹に目からは滴が頬を伝う。


 それは教会の庭になっている土へと落ちて雨とともに染み込んでいった。


「――ころす」


 夜が明けるころ、ぼそりとつぶやく。その眼は狂気とも呼べるほどの色を孕んでいた。主の加護や試練なんて所詮は都合の良い言葉だと。


「ころしてやる。ぜんぶ、こわしてやる。ころしてやる――」


 何事もそういうことにしておけば平穏が続くのだと信じていた自分がバカらしくなる。ならばいっそもっとバカバカしく、都合の良い生き方をしてやろうと。


――だから、レイチェルは。


 首から提げた熱で歪んでしまった十字架を千切って捨てると、シュリィから十字架を、リザーナからひしゃげた鎖をそれぞれ外し、組み合わせて逆さ十字にすると首から提げる。


『お姉ちゃん! ご飯が終わったら遊ぼうね!』


『わ、私も!』


 思い出は残響となり炎とともに鼓膜に脳に心に薄れることのない傷となって残った。それは刻印のように。まるで焼き印のように。


 そしてもう二度と目を覚まさない二人を寝かせて立ち上がると曇った空を睨み付けて煤けた手をかざして中指を立てる。そこにいる主とやらに向かって。




「あんたなんかいらない。私が、私にとって唯一の主となる」





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