Ep.10:バッドラック
◇10◆
「あー、気持ちよかったぁ! あっはは! 最っ高!」
イーストブロックはカグラ・シティにある射撃場を出て、運転席に乗り込むと上機嫌なレイチェルは空に向かって伸びをした。
「バカスカ撃ちすぎなんだよ」
その右側で虎之介は嘆息する。レイチェルは百発を越えるほど撃ちまくり、銃声に劣らないほど大声で笑い、結果一発だけ外した。
それには顔見知りのオーナーもあきれ顔で、
「相変わらずイカれてやがる」
とこぼすほどだ。
レイチェルは撃てば撃つほど硝煙の匂いでハイになる。それゆえトリガーハッピーという呼び名はぴったりだなと虎之介は思う。
隠れて撃つときは抑えているらしいが、正面をきって銃撃戦をする彼女を一度でも目撃すればその狂気じみた戦闘スタイルに恐ろしさを痛感する者も少なくない。
「次はご飯でもいこっか! ね! ね!」
「今の時間ってミスティの店やってるか?」
「別のお店でもいいよ。せっかくカグラ・シティに来てるんだし」
「俺はこの辺の店ってあんまり詳しくないから任せるわ」
「んじゃ、任されようかな」
キーを回して黒い煙を吐き出し、車を発進させる。
カグラ・シティは同じイーストブロックでありながらエンカ・シティとは違い街並みが活気づいている。
どのブロックにも言えることだがエンカ・シティはイーストブロックの中でも貧困層が住まう街であり、逆に中心地ともいえるカグラ・シティは富裕層や中流階級の人間が多い。
射撃場のあるこのあたりは繁華街となっていてアミューズメント施設――バッドキッズが毎回コンサートをする小さなホールもこの辺りにある。
レンガ造りのアーチの上、クモの巣状に張り巡らされたレールを機関車がけたたましい警笛を鳴らして通り過ぎていく。
そんな街並みを眺めていると、不意にレイチェルが口を開いた。
「そうだ、今夜あたりさドライブシアターにでもいかない?」
「夜は仕事があるだろ」
「うーん、まだ三十万あるんだから二、三日は休んでもいいんじゃないの? それにさあ、ポップコーン食べたくなっちゃって」
「――金じゃねえんだよ。分かるだろ。あとそれはマーケットで売ってる」
懸賞金の残金――百七十万の行方に関して虎之介はなにも言わなかった。もちろん内訳としては食費や生活費、今日の射撃上での料金も入っている。
しかしそれを差っ引いてもたった一日で残金が三十万になるはずもない。レイチェルは金とゴシップに目がないけれど、それ以上に虎之介と同じように目的がある。
だからそれに対し口を出すことはしない。
虎之介の目的のためにレイチェルは協力してくれる代わりに虎之介もレイチェルの目的のために協力しているのだ。
「それもそっか」
「今度の相手は」
「決めてないなあ。ご飯も食べたいしやっぱりミスティの店まで戻ろっか――」
そのとき。
悲鳴がとともに銃声が聞こえた。
視線は前方の左側――どうやら小さな銀行の中のようだ。
そこから飛び出してきた男三人はバッグを抱え、逃走用の車に戻ろうとしているのが目に映って――虎之介は刀の柄を握った。
「――レイチェル」
あれは――強盗だ。
「あっはは。間抜けだねえ」
「まったくこの国は……」
「お姉さんに任せなさーい」
通り過ぎさまスピードを落とすこともなく、銃声が三回鳴った。そして――バッグをもって近くに停めてあった車に向かおうとした男三人が悲痛な叫びをあげてそのまま倒れる。
虎之介は彼女が片手でハンドルを握りながらもう一方の手に拳銃を握っていることに気付く。
「……殺したのか」
「まさか。足よ、狙ったの。急所は外してるに決まってるでしょー?」
「お前なあ……」
銃をクルクルと回してホルスターに納める。その間、レイチェルの運転は乱れることさえなかった。
「ま、運が無かったってことで――」
言いかけた瞬間、レイチェルはブレーキを踏み込み虎之介の頭を座席に押し付けた。後方から発砲音がして、車のミラーが割れる。同時に男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「クソッタレがッ!」
――四人目がいたのか。おそらくレイチェルの発砲の後から出てきたのだろう。
そう考えてる間にも強盗たちの車は虎之介たちとは逆の方面へと走り出す。
「私の……私の車に――」
「レイチェル、落ち着け」
「――私の車になにしてくれてんのッ!? このファットアスッ!」
「おいッ! レイチェル!」
ギアを変えてドリフト、強盗たちが乗った車に追いつくべく黒い煙を上げてメーターを振り切る。傷を負ったひとりが身を乗り出して銃口をこちらに向けている。
「甘いんだっての! この車はあんたの命より重いんだよッ! 二通りの意味で!」
「それは理不尽すぎんだろっ!? あと上手くねえからな――うおッ!?」
乱暴にハンドルを切って銃弾を躱し、警笛を鳴らしながら向かってくるボンネットバスをよける。
レイチェル自身も銃を取り出してその眼に怒りを湛えている。こうなればもう止められないことを虎之介は知っている。
強盗たちの失敗はレイチェルの言う通り――運が悪かった、それだけだ。
レイチェルが通り過ぎさえなければ成功していた可能性も多少なりともあっただろうにと憐憫の情を感じざるを得ない。
「くそッ! 追いついてきやがったッ! ぐあッ!?」
レイチェルが発砲すると、その弾丸は窓から身を乗り出して銃を構えていたひとりの肩を貫通する。乱暴な運転の中、対向車を避けながら――命中させた。
「金で洗い流せない罪があるってことを教えてあげる!」
「いやだからこれ完全に私怨じゃねえか! おわッ!?」
蛇行運転で虎之介は軽口を叩いたことを後悔する。舌を噛みそうになったのだ。
「舌噛むよ、トラ!」
「先に言ってくれ!」
「あーもうっ! こんなことになるならグレネード持ってきたらよかった!」
「街中であんなもんぶっ放したら大惨事になるだろうがッ!」
追いかけ続けていると後ろからサイレンが聞こえ始めた。虎之介が振り向くと赤と青いライトが光ってこちらへ向かってきている。
「警察――よりによって今かよ」
「トラッ! なにかに掴まって!」
言うが早いか、レイチェルは発砲してから急ブレーキを踏み込みハンドルを切る。ドリフトとともに煙が舞って虎之介はあやうく振り落とされるところだった。
前を見ると強盗の車はタイヤが撃ち抜かれ横転していて、そこからなんとかバッグを抱えた二人が飛び出してくるが――彼らの車の前方からも同じライトが光っている。
「あーあ。もっと痛めつけたかったのに邪魔するから」
「もう充分だろ……」
レイチェルは後からきた警察に明らかな敵意を見せて虎之介はため息をついた。
「そこの二人、手を上げて頭の後ろへ回せ。回したら膝を地面へつけろ」
チャキリ、という音がして振り向くと禿頭で褐色肌の男が銃口をこちらに向けて立っていた。大柄で肩には拳銃のホルスターをつけてワイシャツには警察のロゴ付きである。
その目はサングラスで隠れていて、スラッと通った鼻に厚い唇。身長は百八十ほどある。
「……私たちは強盗じゃないんだけど?」
「知っている。協力は感謝するが――やりすぎだ」
「同じ意見ってのは気に入らないけどその通りだな」
男の言葉に呆れたように虎之介も同調する。ここまでに強盗の乗った車は対向車を巻き込んだ挙げ句、横転して通行人にまで被害が及んでいる。
「え、なんでトラまでっ!?」
「仕方ねえだろ。死人が出てないのが奇跡なんだから。でもおっさん――協力者に対していきなり銃を向けるってのはどうなんだよ」
そう言って褐色肌の男を睨み付けている。過去のトラウマが頭をよぎる。この国で生きてきた虎之介にとっては悪魔にも人間にも大差ないほどの心的外傷を抱いている。
男は虎之介の言葉に、一度だけ頷いて銃を上に向けもう片方の手で胸ポケットから手帳を取り出す。
「挨拶が遅れた。イーストブロック管轄のデリック・モーガン。出身はサウス・ブロックのファンク・シティ。階級は警部補だ」
「――まあいいや。それでデリック警部補サマ。私たちは手持ちが三十万なんだけど」
レイチェルは財布を取り出そうとジャケットの内ポケットに手を入れる。その瞬間、銃口がもう一度こちらのほうへ向く。
「動くなと言った。あと――俺を買収しようと考えているのならやめておけ」
「あっはは。お金が好きじゃない人っているんだね」
「金は大事だ。けれど俺には妻と子供がいる。情けない姿は見せられない」
なるほど、とレイチェルは両手を上げた。
金で洗い流せない罪がある――レイチェルが強盗に放った言葉よりも説得力があるなと虎之介はその違いに不服ながらも感心する。
「それで? 私たちもブタ箱に入れるわけ? 善良で信心深い一般市民を」
「ウソくせえ……」
ウンザリ顔で虎之介が舌を出す。けれどデリックは低く笑う。
「十字架を逆さにしておいて信心深い、か。ひどいジョークだ」
「――あっはは。気付いてた? サングラスだと視線を隠せるから便利だね」
「とにかくだ。協力は感謝するが見逃してやるわけにはいかない」
「協力してもお金を握らしても見逃してくれないわけか……じゃあまさか私の身体をっ!?」
「残念だが君よりうちの家内のほうが魅力的なんでね、無理だ」
「デリック警部補サマは女の扱いがなってないね」
「愛妻家だと言ってもらいたいものだ。どちらにせよあまり反抗的な行動はよしたほうがいい。今なら勾留所に一泊で済むが――逆らうならブタ箱行きだ」
デリックがシニカルな笑みを浮かべ白い歯を見せる。虎之介はレイチェルと視線を合わせると二人して肩をすくめた。