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西日暮里 VS 田町 鶯谷の攻防!

作者: 藤夏燦

 身動きのとれない車内で、私は今にも叫びだしそうだった。

『ザッネクストッピングゥうぐいすだに』

 自動放送の流暢な英語アナウンスが無意味にこだまする。揺れも震えもしない山手線内回り電車は、鶯谷駅に差しかかかったところで緊急停車した。前方をいく列車が人身事故を起こしたらしい。張りつめた空気に毛穴が詰まりそうだ。

『ただいま安全確認を行っております。運転再開まで今しばらくお待ちください』

 やっと人間の声が聞こえた。そんな焦りもしない口調で言われても、素直に待てるわけがない。もちろん、いつもの私なら暢気に携帯でも眺めるか、となるだろうが、今日はそうはいかない……。

 ダメだ。今すぐここで、叫んでしまいたい! 喉元から湧き上げる咆哮のエネルギーが、解放をもとめて疼いている。

 私は車内を見渡して叫べそうな場所を探した。窓は開かない。座席の下は? 空調設備だ。ともすれば、連結部は? 乗客が多すぎる。土曜の昼なのに、ぎゅうぎゅう詰めだ。じゃあどうする? ここで叫んでしまうのか……。

 それは駄目だ、大勢死人が出るぞ、と私は思った。凡人なら、奇人扱いで済むだろうが、折あしく私は大声コンテスト日本代表だ。私がひとたび叫ぶなら、ほとんどの人間の鼓膜は粉砕され、すり身になって鼻から出る。しかも今日の私は大事な試合のために「声量飲料水」を2本も空けている。こんな狭く響きやすい場所で叫んでしまったら、山手線はおろか、鶯谷のホテル街にまで被害が及ぶだろう。

 私は沸き上がる咆哮衝動をなんとか抑えようと、口パクでJR新宿駅の乗り換えアナウンスを唱えることにした。音声学の学会でも咆哮衝動を抑えるには、法令の条文か首都圏の乗り換え案内を唱えることが推奨されている。法令の条文は噛みやすく(噛むと効果は薄くなる)、私はいつも新宿駅の乗り換えアナウンスを暗記して、いざという時に唱えることにしているのだ。次は新宿、新宿。おでぐちは左側です。ちゅうおうせん、しょうなん新宿らいん、さいきょうせん、おだきゅうせん、けいおうせん、ちかてちゅっまるのうちしぇん。やばい、噛んだぞ。とえいちかてちゅ、なんだっけ……?

 目の前の少女が、奇妙な目で私を見つめた。正体がバレたか?! 私は口元を覆うようにして顔を隠した。なんとアンラッキーなことに、少女はピンクとウグイス色のユニフォームを着ている。今日の試合で私たちが戦うライバルチームのサポーターだ。

 私の所属する「西日暮里シャウターズ」と双璧をなす、首都圏大声リーグの強豪「田町コマクブレイク」。今日行われる優勝をかけたビックマッチに向かうべく、田町のサポーターたちが山手線に乗って西日暮里に乗り込もうとしていたのだ。改めてよく見ると、車内はピンクとウグイス一色ではないか!

迂闊だった。だから土曜の昼間にも関わらず、こんなに混んでいたのか。もし私が、西日暮里のエースプレイヤーだと気づかれたら、田町のサポーターにありったけの炭酸飲料でも飲まされて、試合中にゲップが止まらない有様にされてしまうだろう。それは絶対に避けなければ。何としても西日暮里の選手だと気づかれてはいけない!

 息の詰まりそうな車内で、私は無情にも孤立無援だった。電車はまだ動かない。焦りからか、毛穴から脂汗が噴き出し、顔面の凹凸を滑りはじめる。ううぅ、なんてことだ。

 もしも今日、無事にスタジアムにたどり着けなければ、あるいは、第一声を車内で上げてしまい、試合で第二声を披露することになれば、西日暮里の勝利はまずありえない。今日は両チームがベストメンバーでぶつかる優勝決定戦だぞ。誰ひとり欠けるわけにはいかない。しかも、田町のスターティングメンバーには、海外から帰ってきた新加入の選手がいるらしい。聞いた話では、欧州のチームで4回、アメリカでは2回の優勝を経験している相当な手練れのようだ。私が日本代表のエースとして、チームを引っ張らなければ!

 考えれば考えるほど、限界は近くなった。もう無理だ、叫びたい。胸の奥から咆哮の炎が食道の粘膜を焚きつけてメラメラと上がる。西洋の火を噴くドラゴンはこんな気持ちなのか。いや、そもそもあいつらは今の私と違って、いつでも自由に炎が吹けるじゃないか。口をすぼめて、ガマガエルのように顎をひいた私の顔は、さぞかし不細工なはずだ。目の前の少女は、そんな私を真っすぐに見たまま、口角をピクリとも動かさない。大したガキだ。私が感心しながら見つめ返すと、何やら少女の口元がもにゃもにゃと動いている。


じぇいわーいせぶんてぃーん、ざどあおんざれふとさいどおーぷん、ぷりーずあちぇんじあふぉっちゅうおうらーいん、しょうなんしんじゅくらーいん、あんおだきゅうらーいん、あん……。


 傍からみればまるで呪文でも唱えているかのようだが、私はすぐに意味を理解した。この少女の口から出ているのは、新宿駅での乗り換えアナウンスだ。まさか、叫びそうな私を気遣って、一緒に唱えようと誘導してくれているのか! 私が目くばせすると、少女はふんわり笑って目じりをすぼませた。大丈夫、安心して、私がついているよ。そう言っているように聞こえた。

まだ小学校低学年くらいだというのに、なんてよく出来た少女なのだろう……。私は感銘に涙を浮かべ、少女の口元に合わせて一緒に乗り換えアナウンスを唱えはじめた。そうしているうちに緩やかに脂汗が引いていき、咆哮衝動は心臓の鼓動に合わせてゆっくりとおさまっていった。

『お待たせいたしました。安全確認がとれましたので、運転を再開します』

 車掌のアナウンスがこだまして、ガコンと山手線が揺れる。私が少女にうなずくようにお辞儀をすると、少女はパッチリのまぶたで、可愛くウインクした。私には彼女が勝利の女神にさえ思えた。


 そして私は叫んだ! 何万人ものサポーターの前で! それはこれまでにない最高のシャウトで、ありえない高得点に西日暮里サポーターは湧いた。誰もが優勝を確信し、会場は歓喜に包まれる。

 あとは田町の最後の一人が叫ぶのを待つのみ。しかし私の出した記録は日本記録にも匹敵するほどで、容易く超えられるものではない。私は優勝インタビューの文言を考えはじめた。明日の一面は私だ!

 件の新加入選手が田町の最後の一人らしい。どれどれ、海外組のお手並み拝見ってとこだな。余裕を持って腕を組んでいた私は、入場してきた彼女の姿に、呆然として息を吸うのを忘れた。そこにいたのは、山手線で私を助けてくれた、あの少女だった。

 そんなバカな! あの子が田町の選手だと!? しかも海外帰りのエース、それもあんなに小さい年で! 私は呼吸を整えながら、自分に言い聞かせた。落ちつけ、大丈夫だ、たしかに驚いたが、いくら何でも私の記録は越えられまい。日本代表の試合でも見せたことがない、人生最高の咆哮だぞ!

 そうして少女は叫んだ! その瞬間、私の慢心は見事に打ち砕かれ、屍のように地面をのたうち回った。バカな、なんて爆音だ、耳が痛い、プロの私ですら耐えられない!!

 少女の叫びは会場をはるかに飛び越え、東京を抜け出して八王子や柏まで届いていた。それは世界でもトップレベルともいえる大声だった。そうか、彼女が乗り換えアナウンスを唱えていたのは、私を助けるためではなく、自分のあまりにも大きすぎる咆哮を抑えるためだったのだ。

 西日暮里は逆転負けを喫し、田町の選手は歓喜の中で優勝トロフィーを掲げた。私は喜びを噛み締める田町の選手たちの横で、密かに代表引退を決意した。



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