迷いと自信
統括本部へ行く前に、現場担当が集まるオフィスへ朝一番で出向いた小野寺だが、出勤予定時刻の前にも係わらず、すでに十人以上の同僚が出社しており、全員が固まってパソコンのモニターで天気予報を確認しているのだった。
「おはようございます」
部下が口々に挨拶をするも、すぐに目線をモニターに戻すのだった。
「これが最新の予測か?」
「はい。やっぱり直撃コースですね」
小野寺の言葉に答えたのは木元だ。
「大型で強いって出てるな」
「現時点でも一昨年の二十一号と同じくらいの風速だそうです」
「あの風じゃラグビーどころか、出歩くのも無理だな」
「そうですね」
「予想は土曜の朝までか」
「はい、今のところは」
「朝九時で四国の南海上まで来ているとしたら、土曜開催は不可能か」
「くの字に折れるみたいなので、日曜に関東から東海に直撃するコースを辿るみたいですね」
「だとしたら日曜開催も無理だな」
その言葉で溜息から始まる週明けとなった。
それから小野寺は上級職員が参加する会議に出席するために移動した。会議室の大型スクリーンにも最新の天気図が映し出されており、職員らの気持ちを暗くさせるのだった。
この日は試合予定がないため、大会期間中は顔を合わせることのなかった協会の役員らも姿を見せて近況報告などを行っていたが、誰一人としてサモア戦の勝利に浮かれている者はいなかった。
椅子はシアター形式の配置で置かれ、横に六席で八列ほど組まれていたが、現場部門のリーダーを任せられている小野寺でも二列目の位置に座らされていた。
通路を挟んだ隣の席に座っているのは、技術部門を任せられている大堀一郎だ。小野寺とは十以上も年齢が離れており、大学時代からお世話になっている恩人でもある。
製造業の技術畑出身ながら、実業団のラグビー部でゼネラル・マネージャーを務めてから協会入りしたという異色の経歴を持ち、同時にGM補佐をしていた時に小野寺をスカウトした人物でもある。
温厚な平松とは好対照で、短く刈り込んだゲンコツのような頭が印象的な強面ではあるが、作業員や選手の労働環境を一番に考える情に篤いリーダーだ。タイプとしては司令塔の平松に対して、最後の砦でもある十五番のフルバックといえるだろう。
「女房と娘さんは元気か?」
「はい。おかげさまで」
一週間前にも同じことを聞かれた小野寺だが、常に家族のことを気に掛けてくれる大堀の存在をありがたいと思うのだった。
「最近は台風の上陸数が多くなってるそうだ」
「近年、その傾向が続いているみたいですね」
「逸れてくれるなんて期待はしない方がよさそうだぞ」
「大会期間中の上陸は織り込み済みとはいえ悩ましいですね」
その言葉に大堀が鋭い眼光を向ける。
「小野寺よ、お前さんが悩んでどうするよ?」
一言で心の内を見透かされる小野寺であった。
「戦うのが選手で、戦わせるのがコーチング・スタッフだ。だが、おれたちの仕事は違うぞ。いくら選手が試合をしたいって言ったって、開催できるか冷静な判断を下さなければならないんだからな」
現役から退いてしばらく経つが、未だに選手の心情を拭いきれていないのが小野寺であった。
「選手がそうであるように、おれたちにも迷いがあってはならない。次のワールドカップに出られない選手や、代表を引退する選手もいる。クビを賭けたコーチだっているだろうよ」
そういう人たちを多く見てきたのが大堀だ。
「だがな、それがどんなに非情な決断だとしても迷ってはいけないんだ。台風が上陸する度に必ず人が死ぬんだからな。観客だけではなく、たくさんのボランティアや、大会スタッフの命を預かっていることを忘れるんじゃないぞ」
無理な開催だけはしてはいけない、というのが責任者に課せられた使命だ。それを肝に銘じる小野寺であった。そこで五分刈りの頭を撫で上げつつ、大堀が自問するかのように続ける。
「そうはいっても、最終的な決断を下すのはWR(国際統括団体ワールドラグビー)の組織委員会だろうし、日本側としては分析した正確な情報を伝えるだけなんだがな」
災害時の対応マニュアルは大会前に完成している。
「それでもこちらの決定事項が重要な判断材料となるんだ。平さんが最善と思われる決断をしてくれるとは思うが、それにはおれたちが適切に状況判断をしなければならない。だから迷いは許されんぞ」
そこで手を伸ばして、小野寺の肩に手を置く。
「いや、追い込んでしまったが、おれは何も心配していない。お前が現場チームのキャプテンに任されたということは、すべての者が、小野寺にはできると判断したわけだからな。だから、自分の判断に自信を持て」
シニア時代を共に戦った時のことを思い出し、静かに奮い立つ小野寺だった。




