十月十二日
台風が上陸する当日、小野寺率いる組織委のメンバーは、日産スタジアム内の管理会社が使用する会議室を借りて、そこを本部として使わせてもらっていた。
台風が通過した後に清掃作業を行うため、五十人以上いるスタッフは全員作業着に着替えており、その中に小野寺や木元や美山香純の姿もあった。他にも管理会社の職員も参加しており、会議室は作業員で溢れていた。
そこでみんなを前にして現場部門のチーフである小野寺が指示を出す。
「先ほど八木沼さんから、十八時過ぎに静岡県に台風が上陸したとの情報が入りました」
気象アドバイザーの八木沼も作業着を着て会議に参加していた。
「観測史の記録を塗り替えるほどの集中豪雨になる見込みなので、全国各地に避難を余儀なくされた人たちが大勢います。一夜明ければ、ラグビーどころではなくなっているかもしれません」
全員が小野寺のことを真っ直ぐに見ている。
「ですが、我々がやれることをやらなければ、今まで準備をしてきた人たちの努力も無駄になります。我々はかつて大きな震災を経験しました。そこで得た教訓は、不可能でない限りは、経済活動を自粛してはならないということです。開催を願うのではなく、我々の手で実現させましょう」
小野寺がラグビーを知らないかもしれない清掃スタッフに説明する。
「ラグビーには、『オフロード』と呼ばれるパスがあります。これは敵からタックルを受けながらも味方にボールを渡すプレーなのですが、今の日本はまさに台風十九号にタックルされた状態です」
言葉に熱が帯びる。
「ここでボールを失うわけにはいかないんですよ。我々の後ろには、試合を待っている選手がいるんですから。今、ボールを預かっているのは、ここにいる私たちです。ここまでパスを繋げてくれた人たちのためにも、我々も次の人たちにボールを渡しましょう」
そこで小野寺の現役時代を知る組織委員の後輩が声を掛ける。
「キャプテン、最後に気合を入れてもらってもいいですか?」
小野寺が弱り顔を見せる。
「俺はもう現役じゃないんだよ」
そう言うと、他の者からも「お願いします」と囃し立てる声が掛かるのだった。その声が大きくなり、「キャプテン」コールと共に手拍子が起こったことで、小野寺が心に決めるのだった。
「よし、分かった!」
コールをかき消すような大きな声だった。
「全員立って、隣の者と肩を組め!」
円陣とはいかないが、全員が身を寄せて腕を回すのだった。
「明日の試合に勝って日本ラグビーの歴史を変えるのは選手たちだが、それができるかどうかは、ここにいる俺たちの手に懸かっている。メディアに取り上げられることもないから、誰も俺たちがやろうとしている仕事を知る者はいない。だが、君たちの家族や、友人や、これから出会う人たちはどうだろう? あの日、あの時、君たちが何をしていたのかを知れば、必ずや敬意を持ってもらえるはずだ。全員で力を合わせて、一生自慢できる仕事にしようじゃないか! 準備はいいな? やるぞ!」
そこで気合の入った掛け声が会議室からスタジアムへと響き渡るのだった。




