十月十日
ワールドカップ史上初となる試合中止が発表されたが、世間の反応は賛否あるものの至って冷静であった。それは台風十九号が「非常に強い」勢力で上陸することが決定的となったからでもある。
また、記者会見で国際統括団体ワールドラグビー(WR)の統括責任者が大会規定を丁寧に説明し、セーフティ・ファーストを強調したことで、批判の声を最小限に抑えることができたとも考えられる。
国際社会における強いリーダーシップとは、ルールを作って、合意させて、守らせることにある。開催国の国民生活に配慮して、適切な判断を下したWRの組織員会は、まさに規範となる大会運営を行ったといえるだろう。
そんなことを、記者会見の場にいた小野寺は思うのだった。来年は東京オリンピックが開かれるが、IOCもWRのように開催国の国民に寄り添ってくれるように願うばかりであった。
記者会見を行ったが、それで終わりということはなく、まだ残りの五試合が検討中なので引き続き話し合いが行われていた。
現時点での進路予測では、土曜日の午後から日曜日の午前まで、東海から関東を中心に広い地域で暴風雨になると予想されている。
結論を出すには、先に交通機関の計画運休が確定してからとなるので、先送りにするしかないわけである。
そんな中、夕方になると小野寺は古い友人ら三人で半年前から予約しておいた銀座の寿司屋へと向かうのであった。一人は菊田で、もう一人は元スコットランド代表で、現在はWRの組織委員をしているゴードン・フレッチャーだ。
フレッチャーは競技生活の晩年を日本のトップリーグで過ごしたので日本語はペラペラだった。日本でプレーする全ての外国人選手が日本語を話すようになるわけではないので、どちらかというと特別な部類に入る。
台風が迫りくる中、三人が会食をキャンセルしなかったのは、それは一緒に食事をすることが仕事と同じくらい大事だからである。それが戦った相手ならば尚更だった。
ラグビーの世界にはアフターマッチファンクションという文化がある。これは試合が終わった後に、両チームが一緒に食事をしたりお酒を飲んだりする交歓会のことなのだが、それが最も大事だったりする。
日本では『ノーサイドの精神』という高い理想として言葉だけが一人歩きしているが、ヨーロッパでは口だけではなく、一緒にメシを食って酒を飲むことの方が、はるかに喜ばれるのである。それを小野寺に教え込んだのがフレッチャーだ。
仕切りはないが、四人掛けのテーブル席が個室という扱いで、おまかせで握ってもらいつつ、三人は気持ちよく酔っ払っていった。ただし小野寺はこの後も用事があるので控え目にするのだった。
「まずい」
「え?」
フレッチャーの言葉に反応したのは菊田だった。
慌てて否定する。
「いや、スシじゃない、協会のことだ」
この場でも小野寺は聞き役に回っているので、会話を受けるのは菊田だった。
「『まずい』ったって、誰の責任でもないからな」
「いや、ウチの教会はWRに責任を求める」
「ああ、そういえば『中止の場合は翌日に延期しろ』って言ってるらしいな」
「それだけじゃない」
「他に何を要求するつもりだ?」
「中止にしたら訴えると言っている」
そこで菊田が大きな溜息をついて、すぐに日本酒を補給する。
「でも、本気で訴えるわけないよな?」
「いや、弁護士と話し合ってるからホンキだ」
「それ、俺たちに話してもよかったのか?」
「問題ない。CEOが明日の会見で正式に表明するから」
「おいおい、正気かよ?」
そこは安易に同調しないフレッチャーだった。
小野寺が説明する。
「つまりスコットランド協会は記者会見をすることによって世論を味方につけたいわけだな。中止になれば予選敗退だから、四年間準備してきた選手やスタッフのために出来る限りのことをしようと思ったのだろう」
フレッチャーが頷くのを見て、小野寺が続ける。
「しかし、そのやり方は確かに『まずい』な。訴訟を起こすのは自由であり認められた権利だが、『訴えるぞ?』は脅し文句でもあるから、チラつかせるだけで、何もしなければ脅迫になる。つまりスコットランド協会はWRを脅すことになるわけだ」
菊田が大袈裟に頭を抱える。
「そりゃ、やべぇな」
「キクタ、頼むからフザけないでくれ」
「すまん」
と言いつつ、笑いを堪えるのだった。
小野寺が窘める。
「お前な、ゴードンの気持ちも少しは察してやれ」
「そう言われてもな、この状況で『訴える』なんて言うか?」
「スコットランドに台風はないからな」
「でも、その会長さんは今この日本にいるんだぞ?」
「実際に経験していないから分からないんだろう」
「台風がどれだけ人を殺してるか、数字だけでも見りゃ分かるだろう」
そこでフレッチャーが口を挟む。
「まさにキクタのような反応が、世界中で起こるような気がしてならない」
「余所は知らないが、日本人はムッとするだろうよ」
小野寺も予想する。
「WRも黙ってないだろう。何しろ脅されるわけだからな」
フレッチャーが改まる。
「オノデラサン、なんとかならないか?」
「そう言われても、今回の台風は身を守るだけで精一杯だからな」
それが小野寺の正直な気持ちだった。




