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18/31

古橋正吾の場合

 その日、古橋正吾ふるはししょうごは自宅でテレビを観ながら不安を感じていた。日本ラグビーの歴史を変える日曜日の試合が台風で中止になるかもしれないからだ。


 高校に入ってからラグビーを始めて、競技者としての活動は短かったが、観戦歴だけなら四十年以上はある。だからこそ、スコットランド戦が今後を左右させる大事な一戦になることを誰よりも理解していた。


 それでも自分にできることは限られていると知っているので、台風が逸れてくれることを祈りつつも、勤続三十年以上にもなる製本業の仕事に向かうのだった。



 始業前に古橋が事務所の隣にある休憩室で参考書を読んでいると、珍しく同僚の下川から声を掛けられた。持ち場が違う上に年齢も一回り違うということで、滅多に話さない間柄だった。


「今日も英語の勉強ですか?」

「うん、毎日目を通しておかないと、すぐ忘れちゃうからね」


 下川がスポーツ新聞を広げつつ、話を続ける。


「古橋さんがそこまでラグビーが好きだったとは思いませんでしたよ」

「自国開催でもなければラグビーが話題になることはなかっただろうからね」

「若い連中もテレビをまったく観ないわけじゃなく、サッカーとか大谷とかオリンピックの話はするんですよ。でも、ラグビーの話は聞いたことありませんでしたからね」

「いや、それも連勝しているから興味を持ってくれただけで、負けていたら関心を持ってくれたかどうか」


 下川が自嘲する。


「若い人だけじゃなく、大抵のスポーツに興味を持つオレですら、ちゃんと見たのがアイルランド戦でしたからね。それも録画放送でしたし」

「ありがたいです」

「完全なニワカですけど」

「観戦してもらっただけで嬉しいですよ」


 下川がホッとする。


「ラグビーって全体的に低姿勢ですよね。テレビでもルールをしっかり説明してくれるから、それが本当に分かりやすくて助かりました」

「あれは日本でのラグビー人気の現状を把握しての対応ですから、普及していないことを謙虚に受け止めた上で番組を作っているんですよね」


 下川が頷く。


「荒々しいことをしている選手も試合が終わると礼儀正しくインタビューに応じるので好感が持てるんですよ」

「代表選手はガラガラのスタンドで試合をしてましたから苦労を知ってるわけです。ラグビーファンも神戸製鋼の方が人気だって知ってるんで」

「それにしても、こんなにハマるとは思いませんでした」


 そこで缶コーヒーを飲みながら悔しがる。


「たった二試合観ただけですが、後悔していますもんね、今までどれだけ面白い試合を見逃してきたんだろうって」

「今からだって遅くないですよ」

「調べるとスゴイ選手が日本の社会人ラグビーでプレーしているみたいでビックリします」

「神戸のダン・カーターが一番有名ですね」

「はい。でも年齢を知って、やっぱり興味を持たなかったことに後悔するんですよ」

「それでもキーラン・リードのようなビッグ・ネームの加入も決まっていますので楽しめると思います」


 下川が訊ねる。


「でも、オリンピックのように四年に一度の一時的な人気かもしれないですよね? なでしこジャパンも凄かったじゃないですか」

「これまでもラグビー人気には波があったので、熱狂が冷めることも分かっていると思います」

「サッカーや野球ですら人気を維持させるのが大変ですもんね」

「そうですそうです、関心を持ってくれたばかりなのに、そこで『トップリーグの試合を観なければファンじゃない』なんて言い出したら、聞く方はイヤになっちゃいますよ」


 下川が微笑む。


「やっぱりラグビーは自由でいいな」

「野球やサッカーのように、人生の一部ではなく、人生そのものだっていう人が増えてくれないことには定着させることはできないので、成功している他競技のプロリーグをモデルケースとして学ばないといけないですよね。つまり、どうしたって時間が掛かると思うんですよ」


 そこで下川がニヤりとする。


「ラグビーのために仕事を休む、まさに人生そのものですね」

「ああ、いや、その」


 と古橋が頭をかく。


「鈴木君には悪いことしたな」

「そんなことないですよ」

「でもね」

「いつも仕事を代わってもらってたから、借りを返すことができて喜んでましたよ」

「そう言ってもらえると助かるけど」


 と言いつつ、表情は晴れない。


「まだ何か?」

「いや、本当は鈴木君のような人に試合を観てもらいたくてね」

「それなら心配はいりません。ヤツは家にいてもスポーツなんて見ませんから」

「それはそれで寂しいな」

「でもスポーツに関心を持たない人がいることで世の中が正常に動くわけですから、そういう人も大事なんですよ」

「なるほど、それを聞くと気が楽になるね」

「ですから、開催できるように頑張ってください」


 エールを贈られたことに感謝する古橋だった。


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