今日まで私は一般人
とあるちょっと田舎の住宅地に住んでいる3姉弟たちは、今日も元気に暮らしていた。
「みーちゃん、服のボタンを無くしちゃって…。」
と、珍しくかなり朝早くに起きてきた私のかわいい弟がしゅんとして言いづらそうに話しかかてくる。
私は急いで朝ご飯兼お弁当のおかずのつもりで作っている卵焼きを焼く手を止めて、目の高さと身長を合わせるべくしゃがみ込む。
そしてなるべく笑顔になるように口角を上げた。
「大丈夫だよ、ボタン無くなっちゃったんだね。まだ予備のボタンが残ってたはずだから、今日は洗濯籠の中に入っているやつを着ていってね。」
その言葉に陽司の顔はぱぁっと明るくなっていく。
そして「うんっ!」と元気よく返事をすると洗濯場の方へ駆けていった。
最近、経済的、金銭的、家庭的な事柄が分かり始めたのか、まだ4年生の弟は何かがあるたびに妙な気遣いをするようになった。
本当に優しい子で大変うれしいのだが、子供なのだからもっと甘えさせたい気持ちもあり、ちょっと悩んでいる。
お菓子、玩具が欲しいのを我慢する程度ならほほえましいのだが、さすがに今日みたいにボタンが1つ無くなったくらいで申し訳なるなんて心配になる。
それに最近めっきり休日にどこかに行きたいと言われることがなくなり、週に連続で動物園や遊園地に連れて行こうとすると「大丈夫、今日はお家で本読むから!」と言われるようになる始末。
これも成長する大切な過程なんだろうけどさ、お姉ちゃん寂しいよ。
心の中で涙を流しながら、卵焼きをひっくり返すとじゅわぁといい音を立ててくれる。
それと同時に甘い香りが鼻腔をくすぐった。
私は「おいしそう」と沈んていた気分を持ち直すことができ、鼻歌交じりになる。
今日は私も暁奈もテストなので朝が早めになっている。
ただいま午前5時、春ももう終わるころ合いなので朝早くでもだいぶ明るくはなったが、山に家が建っているので霧が濃く、辺りは白みがかっている。
私はこの少し肌寒いくらいの温度が丁度いいので春の朝は好きだ。
鼻歌も最終局面に迫ったといったところで二階からいかにも機嫌が悪そうに声を出して降りてくる少女が1人。
「朝からうるせぇ…、雑音散らすなよ、糞姉。」
寝癖があちらこちらに跳ねてもじゃもじゃになっているのは、私のかわいい妹の暁奈だ。
今年から中学2年生になって、今は絶頂反抗期(私限定)なので口が悪い。
反抗期が始まってからもう1年、私がかまいすぎたのがいけなかったのかすっかりやさぐれている。
しかし、私以外にはきちんとしていてしっかりもので優しいので、表向きの評判はいいため強く叱ったことはない。
「ありゃ、起きちゃったか。ごめんね暁。まだ眠かったら寝てもいいよ?起こしてあげるから。」
「げっ、嫌だよ。…テスト勉強してるからご飯できたら陽を部屋に来させて。」
わざわざ私ではなく陽に来させるあたり、私じゃダメなのだと言われている気がするが気にしないでおこう、じゃないと泣きそうだ。
「うん、頑張ってね。」
私は暁奈の乱れた頭をさらにぐちゃぐちゃにする形でよしよしと撫でる。
すると暁奈は固まってしまった。
(あ、ちょっと馴れ馴れしすぎたかな…?)
暁奈は固まったまま動かない。
心配になってきたので「暁?」と呼ぶと暁奈は体をピクッと動かしそのまま脱兎のごとく自分の部屋に逃げていった。
ありゃ、これはしばらく話しかけさせてもらえないかな?
私は「まぁいいか。」とお弁当に具材を詰めていった。
ー陽司視点ー
僕は布留川陽司、小学4年生。
僕の家庭は所謂両親のいない家庭で、高校生のみのりお姉ちゃんと中学生の暁奈お姉ちゃんと三人暮らしをしている。
さすがに小学4年生にもなればうちがどんなに異質な家庭かちゃんと知っているつもりだ。
お母さんは僕が1歳の時に亡くなったらしいし、お父さんは5歳の時に亡くなったから、両親について覚えていることなんて少なくて、みのりお姉ちゃんこそが僕のお母さんみたいだった。
みのりお姉ちゃんはとっても優しいし、勉強もできるし、運動もできるし、家事も難なくこなす自慢のお姉ちゃんだ。
そんなみのりお姉ちゃんだからこそ幸せになってほしいなと思う。
だから最近はお菓子も玩具もなるべく我慢して頭もよくなるように勉強をして、本を読んで過ごしている。
なるべく良い職について、お姉ちゃんを支えてあげるべくだ。
それなのに、僕と言ったら…。
「はぁ…。」
僕は早朝、まだあたりも暗く白い中、部屋で一着の服を掲げていた。
中間用の学校の制服は上から2番目のボタンが取れてなくなっている。
これは昨日帰ってきたときに気が付いたもので、結局正直に言えずに朝を迎えてしまったのだ。
僕は今日がテストの日だというのにこれを打ち明けることに緊張してあまり眠れず夜を過ごしてしまった。
(それもこれも僕が弱虫なせいなんだ。)
そう思うのに勇気が出せない自分が恥ずかしい。
こんなんじゃみのりお姉ちゃんを支えるのなんて夢のまた夢だ。
僕は部屋の中で1人ため息をついた。
なんとかなけなしの勇気を振り絞って部屋を飛び出したのは、起きてから1時間後だった。
リビングと隣接しているキッチンではみのりお姉ちゃんが今日の朝ご飯を作っていた。
僕は持っている制服を握りしめた。
(怒られるかな…、それとも失望される…?)
どっちも嫌だが失望されるなら怒られる方がましだなと思いつつゆっくりとみのりお姉ちゃんに近寄る。
そして固く結んだ唇を開けて苦々しく言葉を発した。
「みーちゃん、服のボタン無くしちゃって…。」
みのりお姉ちゃんは突然の声に驚いたように目を見開く。
ーーー失望されちゃったかな…。
けれど帰ってきたのは僕が考えていなかった言葉だった。
「大丈夫だよ、ボタン無くなっちゃったんだね。まだ予備のボタンが残ってたはずだから、今日は洗濯籠の中に入っているやつを着ていってね。」
「…っ!」
思わず息をのんだ。
みのりお姉ちゃんはこんな僕でも許してくれるの…?
お手伝いをしたくても失敗ばかりで、テストの成績だってお姉ちゃんたちみたいにすっごくいいわけじゃない。
僕は何にもできないのに…、それでもいいの?
目線を上げるとそこには優しく笑うみのりお姉ちゃんの顔があった。
うれしかった、今の僕を認めてもらえたのだ、嬉しくないわけない。
ずっとなにをやってもできなくて誰にも認めてもらえなかった僕は、寂しかった。
学校でも居場所がないものだと思って常に1人だったから。
でも、今になって僕は思い知ったのだろう家族というものを。
僕の永遠の見方でいてくれる存在を。
心がぽかぽかするんだ、これが幸せなのかな?
僕は「うんっ!」と元気よく返事をして、制服を取りに洗濯場に向かった。
そんな大好きなみのりお姉ちゃんから頼みごとをされたのは制服に着替えたすぐ後だった。
どうやら暁奈お姉ちゃんが部屋で勉強をしているから朝ご飯ができたことを伝えてほしいのだそうだ。
もちろん、断れるわけなどないが僕は心情が複雑だった。
なんせあのお姉ちゃんは…。
考えるだけでも頭が痛くなるのだ、考えると行きたくなくなりそうだったのであんまり考えないようにして、僕は暁奈お姉ちゃんの部屋に向かった。
部屋の前に付いたのでこんこんとノックをして「暁奈お姉ちゃん、ご飯だよ。」と呼んだ。
なのにも関わらず、部屋は一向に空きそうにない。
仕方がないので僕は部屋がちゃりと開けた。
中には大量のパソコン類と、テレビ、カメラなどなど。
他にも部屋一面にはカーテンと写真があった。
モニターの机にはヘッドホンを被った暁奈お姉ちゃんの姿が…。
「あーーちゃんっ!!!」
僕は耳元で大きな声を立てる。
「うわっ、って、陽か…。なに?」
「そっちが呼んでおいてそれはないでしょ!?ていうか、また盗撮してたの?」
そう、暁奈お姉ちゃんの趣味それは。
「失礼なお姉ちゃんの警護だから。ほんとお姉ちゃんはかわいすぎるからいつ狙われるかわからないでしょ?!」
「………。」
実の姉の盗撮、盗聴だ。
みのりお姉ちゃんは暁奈お姉ちゃんに嫌われているのだと勘違いしているようだが、実際は興奮しすぎているのを隠すために思っていることと真逆のことを言っているだけで、いいように言えば、思春期の照れ隠しというやつだ。
それも相まってか、最近は特に症状がひどくなってきており、ついには家の中で監視するだけに飽き足らず、毎朝GPSをみのりお姉ちゃんの服に付けて常に位置を確認する始末。
本当、呆れるを通り越して怖い。
「ぐへへ…、今日もお姉ちゃんのご飯…。これを活力に私は毎日を生きれるんだっ!!!」
暁奈お姉ちゃんは、机を乗り出し目の前の大きなパソコンを掴みかかり、はぁはぁと息を荒げながらみのりお姉ちゃんを凝視している。
「あー、はいはい。」
僕は、こうなるともう収集とかつかないということを知っているので、そのまま何も言わずに恐ろしい部屋から脱出して、我らが女神もとい、みのりお姉ちゃんもとへ向かった。
暁奈を呼びに行った陽司はなぜか1人で戻ってきて、3分ほど遅れて暁奈がやってきて朝食となった。
今日のメニューは卵焼きと、みそ汁と、白ご飯、ほうれん草の和え物、ホッケの塩焼きだ。
栄養調整のため、ご飯も卵焼きも、基準の一人前よりも少なくしてある。
普段なら、朝食に卵焼きを出すことはないが、今日はテストなのでいつもより糖分がいるかな?と思い久しぶりに出してみた。
もちろん、私の今日の昼ごはんのおかずにもなっている。
いただきます、と手を合わせて早速口にしてみるとほんのりとした甘さが口に広がって何とも言えなかった。
はぁ、おいしい。
何気に、この卵焼きのレシピは父秘伝のもので、母が好んでいた味付けらしい。
うちは父も母も家事ができて、共働きだったので分担交代して家事を行うというなんとも男女格差偏見のない家庭だったため、私は母からも父からも家事を教えてもらったものだ。
私も卵焼きは甘い派で、この味付けは大好きだ。
母が死んでからは父は卵焼きを食べる私を見てよく「その卵焼きを食べてる時の幸せそうな顔はママそっくりだな。」と笑っていたものだ。
ああ、懐かしいな。
私はそっと目を閉じて思いをはせた。
しかし、3秒もたたずに私は空想の世界から現実に戻ってくる。
「おいしぃ~。」
と、陽司が言ったので目を向けると頬は高揚して、目をうっとりと細めて幸せそうに微笑んでいた。
―――もしかして幸せそうな顔ってこんな感じだったのだろうか…。
するとなんだがおなかの底から笑いがこみあげてくる。
幸せそうなかわいい弟を邪魔するのもなんだなと思い、私は肩を震わせながらもう一度卵焼きに箸を向かせた。
「ふぅ、終わった…。」
私はテストが終わりほぅっと一息つく。
クラスのみんなもテストが終わってほっとしたのか楽しそうにしゃべりあっている。
そんな中2人の女の子が私の席に近寄ってきた。
私と同じ中学校出身の親しい旧友たちだ。
「お疲れ様、いやー難しかったね。」
「うんうん、特に英語さぁーあれテスト範囲に乗ってない問題が3問くらい出なかった?!」
英語の先生は何かと面白がり屋でこういうことをよくやるのだ。
私もそれは知っていたので範囲よりも広めに勉強した覚えがある。
「確かにね、…あっ今日さこの後早めに下校じゃん?みのりんさ、今日は時間開いてる?」
「えっ、時間ですか?」
今日は確か、午後2時終わりと、妹たちよりも1時間ほど早めに帰宅ということになる。
洗濯も昨日やったばかりでたまってないし、掃除もした。
家の家事も問題ない。
「1時間くらいなら大丈夫ですね、何かするのですか?」
その言葉に1人はガッツポーズをして、また1人は嬉しそうにほほ笑んだ。
「いやさ、みのりん弟妹たちの世話やら家事やら、いろいろ忙しいじゃん?なかなかこういう日でもないと一緒に遊びに行くとかできないし。前々からショッピング行こうかってルルと言ってたし、せっかくなら誘おうと思って。」
そうだったのか。
そういわれてみれば、小学生の時はよく友達を家に呼んで一緒に遊んだりだとか、動物園に行ったりだとかよくしていたけれども、両親が死んでからは家のことは私がしなくちゃならなかったし、弟も小さくてそれどころじゃなかった。
―――私、忙しさに目がくらんで2人に寂しい思いをさせてしまったんだな…。
そう思うと、2人には感謝をしなくちゃなと思う。
2人はこんな私でも諦めずにわかってくれて、私の居場所を残しておいて教えてくれている。
「ありがとう、誘ってくれて。…そうだね、久しぶりに遊ぼうか!」
私は立ち上がってカバンを手に取ったを。
そして他愛もない話の中で私が弟妹達がいかに可愛くて素晴らしいかを語ると2人は「シスコン、ブラコンが過ぎる」と笑ったのだった。
あぁ、こんな風に人生が過ごせ続けたらいいな、と私は願わずにいられなかった。