第13話 帝国の事情
年が明けた1940年。
正月休みは終わり、艦隊は活動を始めた。
バギーニャのクリスマスは12月25日だが、
ロシアのクリスマスは1月7日。
なので、バギーニャの正月休みは1月7日までと
決められている。
さて、今年の俺たちの活動を話す前に、
このバギーニャの親分とも言える
俺の祖国、大日本帝国について話さないと
いけない。
大日本帝国は1905年、日本海でロシア、バルチック艦隊を
撃滅し、ロシアとの戦争に勝利した。
第一次世界大戦の後、ワシントン海軍軍縮条約が
結ばれ、日本の戦艦保有量は米英の6割に
制限された。
ここまでは俺の知っている歴史となにも変わらない。
だが、ここから日本に変化が起こる。
日本はカムチャッカ半島に誕生した
新興産油国、バギーニャ王国に目をつけた。
共産主義の広がりを警戒する日本にとって、
革命から逃げてきた人々のつくった新国家は
大きな防波堤となりうるからだ。
カムチャッカ半島には江戸時代から人間が住んでいたため、
水道、電気などのインフラ整備はそれほど
苦ではなかったが、軍隊は違った。
軍隊を運用するには、資源だけでなく、
それを加工、生産する工場や、
新兵器を生み出す技術力、そして
運用に関する豊富な経験が必要だからだ。
そこでバギーニャは建国に多大な貢献を
した日本を頼った。
日本は軍艦を、バギーニャは石油や鉄を
それぞれ輸出する。
この貿易が双方にどれだけの利益をもたらすかは
先に述べたとおりだ。
バギーニャからの鉱山資源によって
日本の状況は劇的に変わった。
まず、満州事変が起きていない。
日本の失業者はバギーニャにやってきて
開拓や工業力の整備に貢献した。
1929年の世界恐慌からも日本はいち早く脱却。
高橋経済と、軍艦輸出が功を奏したのだ。
経済が安定していたため、ロンドン海軍軍縮条約も
締結されず、5.15事件もない。
日本の政党政治は汚職や不祥事こそあれ、
今も続いている。
バギーニャの鉱山資源は日本の歴史を
180°変え、史実よりもはるかによい
結果をもたらした。
日本海軍は、ワシントン条約で戦艦の
建造を制限されたものの、バギーニャへの
輸出で高い技術を保っている。
艦隊については戦艦よりも航空母艦に
重きを置いている。
ここで史実の日本海軍と保有軍艦を比べてみたい。
史実日本海軍
戦艦:10
正規空母:6
軽空母、練習空母:4
重巡洋艦:18
軽巡洋艦:18
駆逐艦:113(旧式含む)
潜水艦:57
作戦機:1200機
現在の日本海軍
戦艦:6
正規空母:10
軽空母、練習空母:5
重巡洋艦:20
軽巡洋艦:16
駆逐艦:135
潜水艦:58
作戦機:1800機
このように見ると、戦艦は最低限に
削減され、空母とその護衛艦艇に
費用が回されているのがわかる。
ここまで説明すれば、
「この世界の日本って日米開戦する必要なくね?
平和に終わるんじゃね?」
と思う人が多いはずだ。
でもそううまくはいかない。
それが現実なんだ…。